どの本でも、読みながらおもしろいとおもったところに付箋を立てます。
本を読み終え、付箋を立てた箇所をあらためて読みなおしたとき、
その文についてもういちど考えてみたいとおもえば、
このブログに引用し、拙文を添えています。
私は宗教的な人間からほど遠い。そのためであろう、
宗教が精神病者を救いうるかという表題からは、次第に離れてしまったように見える。
しかし、
「宗教は精神病者を救いうるか」という一般的な問いを先に立てて、
いかようにせよ答えを出してしまうと、
救える者も救えないという機微はないだろうか。
「精神科医は精神病者を救いうるか」
という問いには一般的には「是」も「非」もない。
これは自明であろう。
精神科医は「治療者」という言葉で呼ばれるけれども、
実は、一種の触媒に過ぎず、
よい反応もよくない反応もその上で起こるであろうが、
触媒自体は、反応について多くを知ることはできず、また、
その必要もないどころか、触媒の分際で周囲のすべてを知ろうとすれば、
反応自体が失われるだろう。
つまり「いまここ」で起こっている、より大きな事態、より大きな文脈の中の一部
である。
宗教の場合はいかがであろうか。精神医学は精神科医なしにありえないが、
宗教は、生身の宗教者なしに(必ずしも僧ということではないが)
ありうるのだろうか。
精神医学の本を読んで治癒する人はあっても、軽症の人であろう。
少なくとも精神科医が呼ばれるほどの患者の場合、
いかに不完全な存在であっても生身の精神科医抜きでは治療はありえない。
宗教の場合はいかがであろうか。
(中井久夫『中井久夫コレクション 世に棲む患者』ちくま学芸文庫、
2011年、pp.324-325)
中井久夫さんの『世に棲む患者』を読み、いろいろ考えさせられました。
ひとのこころというのか、精神というのか、
こういうありようをとるのかとの思いをつよく持ちしました。
・笑み合えば同級会の夏休み 野衾

