先年お亡くなりになりましたが、精神科医の中井久夫さんにみじかい原稿をお願いし、
書いてもらったことがありました、
『春風新聞』の前誌『春風倶楽部』の時代です。
中井さんの書くものは、専門性のたかいものであっても、
ゆっくりよむと、なるほどなぁ、とか、そうなのかぁ、とか、
いろいろおしえられる気がし、おもしろいので、いまもときどき読んでいます。
現実に、多くの患者が治療者や家族の思いもよらない生活世界をもっている。
そして、そのことを人に語らないでいる。
私が知りえたのも、彼らがうっかり洩らしたことばの端からであったことが多い。
ところが、
その生き方を実はすでに十数年前からしていたことが少なくなかった。
たとえば、
うっかり洩らしたのであろうが、
まるで当然のように
「いつものグループの待ち合せ場所で、昨日、こんなことが……」
「えっ、いつもの? グループ?」
時には何気なく告げられることもあるが、
それは相当に信用されてからのことである。
私の場合、十年くらいかかっただろうか。
どのような生き方かといえば、
たとえば、
全く自宅に閉じこもっているばかりと思われていた人が、しばしば、
決まった曜日に家をぬけ出して決まったところへ行っている。
それは、孤独に、ひとりで列車にのって、ある港町に海をみに行き、
また帰ってくる、とか、ある町の映画館に行くとかのことである。
出かけるのはひとりだとしても、たとえば、
あるビア・バーの常連であったり、ある評論家のサロンに入ったりする。
そういうとことへは一旦入ってしまえばしめたもので、
ひっそり聴き耳を立てている人間は咎められないものだ。
(中井久夫『中井久夫コレクション 世に棲む患者』ちくま学芸文庫、
2011年、pp.11-12)
中井さんの本を読んでいると、
若いときに読んだ『ドグラ・マグラ』の世界を思いだすことが少なくありません。
やまいを抱えているのが患者で、治るのを補助するのが治療者なわけですが、
いつか、知らないうちに、
治療者も患者のやまいにとり込まれていくような怖さがあります。
たいへんな仕事だなぁ、と思います。
・飛行機は夏空をゆく水馬 野衾

