さまざまのこと 40

 

世の中は夏休みでしょうか。おーなり由子さんの『ひらがな暦』を昨年の7月21日から
1ページずつ読みはじめて、ちょうど一年が過ぎました。
どの一年もおなじながさのはずなのに、
体験する時間のながさはそうではないようです。
『ひらがな暦』7月21日のタイトルは「夏やすみ」。
7月はゆっくり時間が過ぎるのに、8月はあっという間、と、
おーなりさん書いていますが、
そのとおりだなぁと思いますね。
夏休みといえばまた、「絵日記」なるものがありましたけど、
あれ、にがてだったな。
だいたい絵を描くのがにがてでしたから。
画家で装丁家の矢萩多聞さんとつき合い始めて数年たったころかと思いますが、
多聞さんが小学校に上がるまえに描いた絵を見せてもらう機会があり、
ああ、やっぱり子どものときからちがうものだなぁとつくづく感じましたよ。
そんなわたしではありますが、
これまでの人生で一度だけ絵を描いて賞をもらったことがあります。
忘れもしません。
中学一年のとき、学校全体の行事として、担任の似顔絵を描くというのがあり、
わたしはI先生の顔を描きました。鉛筆画。
丸くてちっちゃくって三角なのはサクマの「いちごみるく」ですが、
I先生のお顔は、丸くてでかくて四角かった。
教卓のところに陣どった先生の顔をなんどもなんども見ながら、
こまかいところまで、できるだけていねいに描きました。
そうしたら、後日、発表があり、
わたしの描いた鉛筆画がななんと一等賞でした。
廊下だったか体育館だったかにしばらく掲示されました。
それ一回だけですけど、うれしかったなぁ。

 

・網持たぬ子の手にでかい甲虫  野衾

 

さまざまのこと 39

 

中学に入り、英語をはじめてならいました。H先生。おとこのせんせい。
英語ことはじめにおいて、ああ、これは、わたしには向いていないなと思いました。
それは、H先生がappleとorangeの発音をやって見せてくれたとき。
H先生のあとから生徒全員でまねして発音し、
まぎれてわたしもエァポー、オウレンヂみたいな音を発したものの、
顔がぽっぽと熱くなったのをおぼえています。
赤面していたのでしょう。
ノートブックもノテボコで済ませたかった。
でも、どうやら、
英語を学ばずにやり過ごすことは叶わないようだとは感じましたので、
エァポー、オウレンヂとはちがう方向を模索。
などというと、おおげさですが、
「道がだんだん狭くなろう」のnarrow(ナロー)は「狭い」
とか、
「兄バッサリやられた記念日」のanniversary(アニバーサリー)は「記念日」
とか、
「女医が来てくれた喜び」のjoy(ジョイ)は「喜び」
とか、
そういうのは、くっくっと笑いながらおぼえました。
邪道だとは思いましたけど。
ん。
これって、どこかに書いたことがあったな。書いた書いた。
でも、さまざまのことを書きながら、
ひょいとまた書きたくなるのは、それだけ印象が強かったのかな。

 

・土間の釘祖父愛用の麦藁帽  野衾

 

さまざまのこと 38

 

中学一年のときの授業。理科。理科は理科教室で受けることになっていました。
担当は斎藤先生。教頭先生でもありました。
天体のことについて。
太陽の光は、どのように地球にとどくか、それを黒板に描いて示せ。
ということで、
なんにんか先生に指名されたか、挙手したか、
黒板の片側に地球をまるく描き、
反対側に太陽をまるく描き、太陽から発した光線を放射状に描いた。
そのあとTくんが手をあげたか、呼び出されたかして、
まえのほうへ歩いて行き、
おもむろに黒板に図を描いた。
地球をまるく描くところまではほかの生徒といっしょだったが、
太陽をまるくでなく、黒板の上を下をむすぶ、ほとんど直線のようなゆるい弧を描いた。
あっ! と思いました。
Tくんの考えていることがわたしにもピンときた。
太陽の圧倒的な大きさをTくんはそのように表現したのです。
すげ~。なるほどなぁ。太陽の大きさを考えたら、そういうふうにしか描けないよなぁ。
Tくん、えらい!
そうして、Tくんは、
太陽から発せられる光の線を、放射状でなく、平行に記した。
なるほど、そうなるか。
光線が平行に来ても、地軸が傾いているし、
まるい地表に光が当たるとき、場所によって角度が変るから、
光線の強いところと弱いところが生じるだろう。
Tくんの無言の図示を見、当時、そんなことを考えたっけ。
T君の発想のすばらしさを、斎藤先生、絶賛しましたが、とうぜんと思いました。

 

・夏休み汽車で叔母さんの家まで  野衾

 

「ナルニア国ものがたり」のこと

 

通勤のとき電車内でちょっとずつ読んでいた『ナルニア国ものがたり』ですが、
だんだんおもしろくなってきたので、
朝、すこしまとまった時間をとって家でも読みはじめました。
ただいま最終7巻目の『さいごの戦い』。
巻のなかほど、こんなことが書かれてありました。

 

「ああ、すてきだわ!」とジルはいいました。
「こんなふうに歩くなんて。わたし、こんなふうな冒険なら、もっとあればいいと思うわ。
けれどもナルニアにいつも、事件があって、お気のどくね。」
けれども一角獣はジルに、それはまちがいだと話してきかせました。
その話では、
アダムのむすこやイブのむすめ(つまり人間の男の子や女の子)がそのふしぎな世界
からこのナルニアにおくられてくるのは、
ただナルニアがゆり動かされ、
めちゃめちゃになっている時にかぎっているので、
いつもそんなふうだと思ってはいけない、というのです。
人間の子どもたちがやってくるまでのあいだに、何百年、何千年という年月があり、
平和を好む王から平和な王へと何代もつづいて、
とても各代の名をおぼえていることも、数をかぞえることもできないくらいで、
じっさいには歴史の本にしるしておく事件とて、ほとんどないのです。
そして一角獣はさらに
ジルのきいたことのないむかしの女王たちや英雄たちの話をしてくれました。
(C.S.ルイス[作]瀬田貞二[訳]『さいごの戦い』岩波少年文庫、1986年、
pp.150-151)

 

一角獣にしてみれば、人間の住む世界は、ふしぎな世界なのでしょう。
また、こちらの世界とナルニアでは、時間のすすみかたがちがっています。
それは一巻目の『ライオンと魔女』を読めば、すぐにそのことに気づかされますが、
それがここでもいわれています。
そして、ナルニアが危難のときにあるとき、
こちらの世界からナルニアへのとびらをひらくのは、
おとなでなく子どもたちであることが分かります。
そこにルイスさんの大いなる希望がこめられていると感じます。

 

・夏休み何もしないを確かめる  野衾

 

さまざまのこと 37

 

いよいよ中学生。自転車に乗り、学生服を着用するようになって、
なにが変ったかといえば、
小学時代とは異なり、ようやくみずから勉強しはじめました。
とうじ、わたしがかよった中学では、
「課題学習」なるものを積極的にとり入れており、
生徒が自発的にしらべることにより、
与えられた問題のこたえを見いだすというよりもむしろ、
ひとつの課題からさらなる課題を見つけ、
それをほり下げる、
そういうようなことをスローガンにして学校全体がとりくんでいました。
たとえば。
ある授業のなかでさらなる課題が見つかる。
生徒はそれをノートに記し、家に帰ってから、辞典や事典でしらべ、
関連のある項目の説明をノートに書き写す。
ノートのつかい方まで決まっていて、授業で1ページ、課題学習で1ページ。
1ページで収まらないときは、
ルーズリーフの紙をノリで貼るしかありません。
そのように指導されました。
ある日、
机間巡回にきた先生に、わたしは誇らしい気持ちでノートを示した。
課題学習が1ページで収まらず、さらに紙1枚をノリ付けしていたから。ふふ。
すると、
となりの席の女子Mさんが紙1枚をノリ付けしても足らずに、
ノリ付けしたその紙にさらに2枚目をノリ付けしていた。
あれ!!
国語か社会じゃなかったかと思います。とにかく。
つぎの授業のとき、わたしはノートのページにさらに3枚ペタペタと紙を貼った。
ふふ。どうだ!
そうしたら、Mさん、つぎの授業のとき4枚貼り。
というようなことで、キリがない。
課題学習なるものがなんだか紙貼り競争みたいな様相を呈してきた。
けっきょく、わたしの紙貼りは16枚がさいこう記録。
ノートがチャンバラトリオのハリセンみたいになったのでした。

 

・炎天下彼方よりもうもうとバス来  野衾

 

さまざまのこと 36

 

中学生になるにあたって、自転車を買ってもらいました。
天神というところに自転車屋があって、井川東小学校に通っていた子どもたちの多くは、
だいたいそこで自転車を求めたはずです。
そのころは、
井川東小学校と井川西小学校があって、
中学には、二つの小学校から生徒たちがあつまってきました。
事前に天神の自転車屋がカタログをもって、各家を訪問していました。
それまでは、
ベージュのフレームの子ども用自転車でしたから、
自転車屋のおじさんが示したカタログをひらくと、どの自転車をみても、
文字どおりキラキラかがやいて見えたものです。
フレームの色は青系と赤系が多かったかな。
青系が男子向け、赤系が女子向けということだったのかもしれません。
そのなかに、黒いフレームで、
しかもピカピカしていない、
写真で見ても、特殊なつや消しがほどこされているようであり、
少年のわたしにシブイ!と感じさせるにじゅうぶん。
さっそくそれを注文。
実物がとどくまでの時間のなんとながかったことか。
ついにあの自転車がじぶんのものに。
五段切り替えの変速ギア。
じぶんのものなのに、じぶんのものでないみたい。
メルセデスベンツよりもポルシェよりもランボルギーニよりもかっこよかったさ。
はじめて乗ったとき、
だれかに見られるのではないかと気になった。
なんだか恥ずかしいような。
顔が赤くなっていたかもしれません。

 

・稜線を宙になぞるや夏の山  野衾

 

リリーさんとエミ子さん

 

きのうにつづいて「エミ子さん」にかんする文章ですが、読んでいて、途中から、
あれ、これひょっとしたら、というある想像がはたらいてドキドキ、
なので、むしろ、ゆっくりゆっくり読むことになりました。

 

「今日、母さんに逢って来た」
と、ある日彼女に告げられてびっくりしたことがあった。
手づるがあって母という人が新宿のバーで雇われマダムをしていることを知り、
逢いに行ったのだそうである。
何の追憶もない母親の前に立って、
この人が私を生んだ女かと思っても奇妙に感動が湧かないものだ、
というようなことをエミ子さんは語った。
「仕方ないから、あんた本当に私のお母さん? と聞いて見たの」
と冗談のように云う彼女の顔を見ながら、
私たち夫婦は涙をおさえるのに苦労したものである。
寒くなると南の、
たとえば四国や九州の温泉場のバーで働き、暑くなってくるとだんだん北へ移動する。
汽車賃なんかなくたって一向平気、通りすがりの車が拾ってくれる、
というエミ子さんの青春時代のフーテン暮しは、
寅さん像にはっきりと投影されているし、
『男はつらいよ・寅次郎忘れな草』の中で浅丘ルリ子さんが演じた放浪の歌姫、
リリー像はこの人がモデルなのである。
(山田洋次『映画館《こや》がはねて』講談社、1984年、pp.43-44)

 

そうでしたか。なるほどねぇ。それにしてもリリーさんにモデルがいたなんて、
思ってもみませんでした。
マドンナ役として浅丘さんは四回『男はつらいよ』に出ていますが、
映画のなかでも、
リリーさんが母親に逢いに行くシーンがたしかありました。
エミ子さんがモデルだったんですねぇ。

 

・炎天にけふの務めの二つ三つ  野衾