通勤のとき電車内でちょっとずつ読んでいた『ナルニア国ものがたり』ですが、
だんだんおもしろくなってきたので、
朝、すこしまとまった時間をとって家でも読みはじめました。
ただいま最終7巻目の『さいごの戦い』。
巻のなかほど、こんなことが書かれてありました。
「ああ、すてきだわ!」とジルはいいました。
「こんなふうに歩くなんて。わたし、こんなふうな冒険なら、もっとあればいいと思うわ。
けれどもナルニアにいつも、事件があって、お気のどくね。」
けれども一角獣はジルに、それはまちがいだと話してきかせました。
その話では、
アダムのむすこやイブのむすめ(つまり人間の男の子や女の子)がそのふしぎな世界
からこのナルニアにおくられてくるのは、
ただナルニアがゆり動かされ、
めちゃめちゃになっている時にかぎっているので、
いつもそんなふうだと思ってはいけない、というのです。
人間の子どもたちがやってくるまでのあいだに、何百年、何千年という年月があり、
平和を好む王から平和な王へと何代もつづいて、
とても各代の名をおぼえていることも、数をかぞえることもできないくらいで、
じっさいには歴史の本にしるしておく事件とて、ほとんどないのです。
そして一角獣はさらに
ジルのきいたことのないむかしの女王たちや英雄たちの話をしてくれました。
(C.S.ルイス[作]瀬田貞二[訳]『さいごの戦い』岩波少年文庫、1986年、
pp.150-151)
一角獣にしてみれば、人間の住む世界は、ふしぎな世界なのでしょう。
また、こちらの世界とナルニアでは、時間のすすみかたがちがっています。
それは一巻目の『ライオンと魔女』を読めば、すぐにそのことに気づかされますが、
それがここでもいわれています。
そして、ナルニアが危難のときにあるとき、
こちらの世界からナルニアへのとびらをひらくのは、
おとなでなく子どもたちであることが分かります。
そこにルイスさんの大いなる希望がこめられていると感じます。
・夏休み何もしないを確かめる 野衾

