山田洋次さんのこと 2

 

映画『男はつらいよ』のシリーズを、わたしは映画館で観たことがありません。
もっぱらDVDによってです。
テレビでやっていれば、それもつい観てしまいます。
ですから、なんのことはない、
たべものでいうところの食わずぎらい
だったということになるでしょう。
映画の冒頭に流れる星野哲郎さん作詞、山本直純さん作曲のあの歌の
プワ~ッという音に、
わかき日のわたしは共鳴しませんでした。
ところが、映画も歌も、じわりと効いてきて、
いまでは、全部ではないけど、相当数のDVDをもつほどになっています。

 

北は北海道から南は沖縄まで、彼ほど全国各地で撮影をしてきた監督は
ほかにいない。
四国にも行ったし、東京から東北の岩手県の松尾村(現在の八幡平市)
まで足跡は及んでいる。
どんな地方でも、
彼は住んでいる人たちの大半が顧みることのなかった日本の現実を、
深いところまで示そうとしてきた。
それが彼の作品の人気の理由なのだろう。
90歳を超えた今も、
自分の国を知りたいという思いを持ちつつづけている。
彼は自分の国について、最初は外国から知ったのだという。
「私は、アルジェリアに暮らしていたフランス人に似ています。
彼らもフランスを地中海の対岸から見ていたのです」
(クロード・ルブラン[著]大野博人・大野朗子『山田洋次が見てきた日本』
大月書店、2024年、pp.53-54)

 

「アルジェリアに暮らしていたフランス人」から
カミュさんのことを連想します。
また、ふるさとも、
いったん外に出ることで見えてくるところがある気がします。
ちなみに、
著者のクロード・ルブランさんは1964年生まれですから、
アルジェリア戦争と地つづきの1968年パリ五月革命の波を浴びています。

 

・交差点待つ間の黒き薄氷  野衾

 

山田洋次さんのこと 1

 

ある時期から映画『男はつらいよ』にハマってしまい、以来、
『男はつらいよ』にかんするものだけでなく、
渥美清さんや山田洋次監督にかんする本も手にとるようになりした。
山田洋次さんについてフランスの方が書かれた評伝の日本語訳が昨年発行され、
さっそく読んでみました。

 

技術面で業績を上げることに熱心だった正は、入社したばかりのこの企業に、
さらに思い入れを強めることになった。
当時のナショナリズムの高まりの中にいれば、
そこから逃れるのは難しかった。
しかも、その高まりをもっとも体現している企業で働いているとなれば、
なおさらだった。
日本政府は、東京―パリ間の鉄道敷設を促進するうえで、
特急あじあ号を前面に押し出した。
日本初の超高速列車を牽引した「メイド・イン・ジャパン」の
パシナ型蒸気機関車によって、
鉄道分野での日本の技術的な優位性を強調したかったのだ。
このころ日本の技術者たちは弾丸列車計画に取り組みはじめるのだが、
これは、
やがて1950年代に「新幹線」の建設につながり、
1964年10月にはじめて東京―大阪間で運用されることになる。
(クロード・ルブラン[著]大野博人・大野朗子『山田洋次が見てきた日本』
大月書店、2024年、pp.38-39)

 

たとえば、こういう記述が、むしょうに興味深く感じられます。
歴史は、まえもうしろも、途切れることなくつながっているのだな、と。
文中の「正」は、山田洋次監督のお父さんの正さん。
「入社したばかりのこの企業」とは、南満洲鉄道株式会社、
いわゆる満鉄です。
『男はつらいよ』には、列車のシーンが多く登場します。

 

・明烏三声発して朧かな  野衾

 

悩みについて 3

 

あるていど年をかさねてくると、健康についての悩みがふえてきます。
ともだちと会っての話題も、年々それが多くなります。
健康にかんする悩みも尽きないわけですが、
森田正馬さんの考えを紹介しながら、
帚木(ははきぎ)さんは、こんなことをおっしゃっています。

 

病気か未病か、健康か不健康かで考えるよりも、
病気即未病、健康即不健康というように、「即」をつけたほうが、
より実際の人生に近いのではないでしょうか。
〈健康すぎる病気〉があるのかもしれません。
今は未病でも、いつかは病気になる。
病気とまではいかなくても、半病人くらいにはなる。
たとえ半病人であっても、
健康人らしい顔をして健康人のように生きていれば、
これもまた健康といえるはずです。
本来、人の一生は、健康を守り通すのが目的ではありません。
与えられた命を全うするのが、その人の目的です。
となれば、
不健康であっても構わないはずです。
(帚木蓬生[著]『生きる力 森田正馬の15の提言』朝日新聞出版、
2013年、p.109)

 

なかなかこういう考えを身に付けることはむつかしい気がしますが、
とてもたいせつな考えであると思います。

 

・流れきて流れゆくなり雪解川  野衾

 

悩みについて 2

 

じぶんのからだやこころについて悩み始めると、
迷路にまよいこんだような気持ちになってしまうことが間々あります。
そうすると、
「どうしたんだろう?」「どうして気が晴れないんだろう?」
原因はあるにしても、
考えてもどうしようもないところをグルルグルグル回ります。
そうしてますます身動きがとれなくなったり。

 

急がれる仕事は、次から次へと目の前に現れます。
それをこなしていくうちに、どういう状態に立ち至るでしょうか。
意識と注意が外に向かいます。
自分はひとまずおいて、自分の外に気持ちが向くのです。
自分の気分など、いつの間にか吹っ飛んでしまいます。
気分が多少悪くても、そのままです。
嫌な気持ちが起こっても、起こりっ放しです。
疲れても疲れっ放しです。
どうする気も起こりません。
次々に仕事を工夫していくのみです。
特別な感情が起こったところでこだわりません。
こだわっても、こだわったままで進みます。
人は、
ややもすると自分が肥大化し、主題にしたがります。
自分はこういう性格であり、
こういう好みをもち、こうした仕事はしたがらない、
というように、
自分の像をつくりやすいのです。
最近よく耳にする〈自分的には〉という言葉は、この傾向の端的な表われです。
自分はこういう人間である、
とあらかじめ規定する必要があるでしょうか。
決めつけるべきでしょうか。
いえ、
決めつける前に、
自分がこうした人間だと、そもそも分かっているでしょうか。
ましてや当人が若ければ、
わざわざ自分を窮屈な枠にはめる必要などありません。
若ければ若いほど、どんな人間にでも変えていけるからです。
〈自分〉の概念化は、ひとつとして利点はありません。
〈自分〉は、
たとえていえば水であって、
形は定まっていないと考えるほうが、よほど事実に合っています。
人は、容器次第でどんな形にもなります。
それほど、元来は自由な性質をもっているのです。
いつも「ハラハラドキドキ」の「無所住心」の境地に立っていると、
〈自分〉を主題テーマにする余裕もなくなります。
自分の外に充分な気配りをしながら日々を送るので、
自分の問題に手を出す暇などないのです。
自分を主題にして、あれこれ、裏にしたり表にしたりして見つめても、
獲物などひとつもころがっていません。
欠点ばかりが目について、自分が嫌になるのがオチです。
(帚木蓬生[著]『生きる力 森田正馬の15の提言』朝日新聞出版、
2013年、pp.96-97)

 

帚木(ははきぎ)さんは、作家であり精神科医でもありますから、
森田正馬さんについての本を書くことは、
ふしぎではありませんけれど、
文章をゆっくり読んでいると、
読者に向かって書いている(のは、もちろんのこととして)
というよりも、
自問自答しているようにも感じます。
帚木さんじしん、ごじぶんの「神経質」を見ておられるのかな、
とも思います。

 

・はるばると山の麓の残る雪  野衾

 

悩みについて 1

 

森田療法で有名な森田正馬(もりた しょうま 1874-1938)さんの本を、
ときに応じて親しんできましたが、
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』
の著者である帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)さんが
森田さんにかんする本も書いていらっしゃいますので、
こちらも読んでみました。

 

悩みと無用な心配は、身体を休めてじっとしている間に、背後からとりつきます。
休めば休むほど、背後霊のように、悪魔の手がつかみかかるのです。
もし、ある心配が、
心配によって少しでも解決に向かえば、どんどん心配したほうがいいでしょう。
事実は逆で、何の成果もありません。
心配は損どころか、脳を傷めて大損をしているのです。
悩みや心配は、
五分以上頭のなかでひねくりまわしてはいけません。
五分たったら、身体を動かし、
何でもいいですから、手を出すのが一番です。
身を忙しくしていると、
脳はもう悩みません。
忙しくしている目前の事柄に注意を向けなければならないので、
脳は忙しくなり、悩んでおられなくなります。
(帚木蓬生[著]『生きる力 森田正馬の15の提言』朝日新聞出版、
2013年、pp.45-46)

 

森田正馬さんは、自身の生い立ちから「神経質」を取り上げ、論じ、
研究された方ですが、
神経質を、病気ではなく、
ふつうのこととしてあつかえば治る、
と喝破したところに大いなる希望があると思います。
ちなみにわたしのふるさと秋田では、
神経質のことを「しんけたがれ」といいます。

 

・せせらぎの遥か彼方を残る雪  野衾

 

ヒトも歩けば

 

暦のうえでは立春を過ぎましたが、まだまだ寒いですね。
こんしゅうの後半から
少しあたたかくなりそうだと気象予報士がテレビで話していましたが、
どうでしょうか。
そうだ、散歩しよう!
と、
きのうの昼食後、不意に思いつき、
ひさしぶりに横浜市児童遊園地まで散歩しました。
まえはけっこう訪れていたのですが、
忙しさにかまけ、このごろは、とんとご無沙汰していました。
ゆっくり歩いても30分ほどで到着しますから、
散歩コースとしてはもってこい。
ひろびろとした公園をまわり、帰路についてしばらく歩いていると、
なんとなく醤油のにおいが鼻をついた気がし、
じぶんの指を鼻にもっていった。
昼、納豆を食べたので、
醤油の入った小さいふくろを開けるとき、指先に付いてしまったのかと危ぶみ。
が、
わたしの指ではありませんでした。
どうやら近くの家で、料理をしているらしく、
その家の方から、
醤油の香ばしいかおりがただよってきているのでした。
ちょっとじぶんをおかしく思いながら、
また歩きます。
この辺は、小さな公園がいくつかありますので、
そこへも歩をすすめ、
木の芽をさがしたり、鳥の声に耳を澄ませたり、雲のゆくえを目で追ったり。
さてと。
ベンチから腰をあげ、また歩きます。
わが家にだいぶ近づいたころ、
二階のベランダを掃除している女性がいました。
掃除の手をちょっと止め、わたしにお辞儀をしたようでしたから、
わたしもお辞儀。
彼女を知りませんし、
彼女もわたしを知らないはず。
ほんのちょっとの時間でしたが、うれしくなりました。
また散歩しよ!

 

・残雪やふるさとの山家七軒  野衾

 

結論を急がない負の力

 

イギリスの詩人キーツさんがシェイクスピアさんに備わっていると発見した
ネガティブ・ケイパビリティ(負の力)について、
キーツさんは、
弟たちへの手紙で一度だけ触れたそうですが、
それを、
第二次世界大戦に従軍した精神科医ビオンさんが再発見したとのこと。
帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)さんの
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』は、
いまの時代のさまざまな問題を考えるうえで、
また、
むつかしいこの世をどう生きていくかを考えるうえでも、
多くの示唆に富む本だと思います。

 

ネガティブ・ケイパビリティが最も自戒するのは、性急な結論づけです。
しかし同様の自戒は、
精神分析学のフロイトも、現象学のフッサールも提起していました。
例えばフッサールの現象学的還元は、
観察者が自らの偏見や主観を消し去って、純粋無垢な眼を手に入れる
ための試みです。
一方、
フロイトの自由連想法では、
患者は自らを括弧に入れて、想起された事柄すべてを口にします。
その事柄が重要であるか、
そうでないかの判断は棚上げするのです。
もちろん治療者のほうも同様です。
成り行きにいかなる目的も持たず、
連想や治療の新たな展開にも、驚きをもって身を任せ、
終始とらわれのない心眼を開いておくのが理想
とされます。
フッサールが外側から世界を括弧に入れたとすれば、
フロイトは内側からそれを試みたと言えます。
私自身、
もう三十五年以上も前、
『鬼平犯科帳』の作者である池波正太郎氏が、
ある月刊誌で編集者と対談したときの記事を読んだことがあります。
池波氏が週刊誌に時代小説を連載していた頃です。
ある回の最後のところで、
夜道を歩いていた主人公の侍が、背後から一太刀を浴びせられます。
瞬時に身をかわした場面で、その回は擱筆したのです。
担当の編集者が、
「この切りつけた男は、いったい何者ですか」
と訊いた返事が、
「いや私も実は分からんのだよ。来週になれば大方の見当はつくと思うが」
でした。
このやりとりを読んだ私は、
何と無責任な作家だろうと、腹が立ちました。
しかし、
創作とはそういうものだと、今では池波氏が到達していた境地に敬意を払う
ばかりです。
(帚木蓬生[著]『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』
朝日新聞出版、2017年、pp.145-147)

 

精神科医であり小説家でもある帚木さんは、
この本のなかで、
この世の多くのことは、
答えの出る問題よりも、答えの出ない問題の方が多い、と述べています。
医療の問題にしても、教育の問題にしても、
人生の多くの問題にしても。
ポジティブ・ケイパビリティでなく
ネガティブ・ケイパビリティ。
生きるうえでの、だいじな補助線だと思います。

 

・母の居ぬ初めての世や春隣  野衾