山田洋次さんのこと 1

 

ある時期から映画『男はつらいよ』にハマってしまい、以来、
『男はつらいよ』にかんするものだけでなく、
渥美清さんや山田洋次監督にかんする本も手にとるようになりした。
山田洋次さんについてフランスの方が書かれた評伝の日本語訳が昨年発行され、
さっそく読んでみました。

 

技術面で業績を上げることに熱心だった正は、入社したばかりのこの企業に、
さらに思い入れを強めることになった。
当時のナショナリズムの高まりの中にいれば、
そこから逃れるのは難しかった。
しかも、その高まりをもっとも体現している企業で働いているとなれば、
なおさらだった。
日本政府は、東京―パリ間の鉄道敷設を促進するうえで、
特急あじあ号を前面に押し出した。
日本初の超高速列車を牽引した「メイド・イン・ジャパン」の
パシナ型蒸気機関車によって、
鉄道分野での日本の技術的な優位性を強調したかったのだ。
このころ日本の技術者たちは弾丸列車計画に取り組みはじめるのだが、
これは、
やがて1950年代に「新幹線」の建設につながり、
1964年10月にはじめて東京―大阪間で運用されることになる。
(クロード・ルブラン[著]大野博人・大野朗子『山田洋次が見てきた日本』
大月書店、2024年、pp.38-39)

 

たとえば、こういう記述が、むしょうに興味深く感じられます。
歴史は、まえもうしろも、途切れることなくつながっているのだな、と。
文中の「正」は、山田洋次監督のお父さんの正さん。
「入社したばかりのこの企業」とは、南満洲鉄道株式会社、
いわゆる満鉄です。
『男はつらいよ』には、列車のシーンが多く登場します。

 

・明烏三声発して朧かな  野衾