田辺聖子さんの本のことを何度か書いていますが、しみじみ、なるほどなぁ、
と、おもしろくてたまらない。川柳、やってみようかな、
という気持ちになってきた。
ていうか、
スマホのメモ帳に、俳句とは別に、川柳らしきものをすこし残しています。
ということで、きょうもまた書きます。
遊びには馴れていたのが花又花酔、彼は縁日商人の取締り、花又一家の跡取りで、
この花又一家は
おでん・綿菓子・電気飴・しんこ細工・飴細工・いか焼・蛸焼
などを縄張に扱っていたという
(『川柳のすすめ――鑑賞と作り方』浜田義一郎・神田仙之助・渡辺蓮夫編、有斐閣刊)。
神田旅籠町《はたごちょう》の生れ。
尤も花酔はのちに芝居の肉襦袢《にくじゅばん》絵師に転じている。
『川柳総合事典』によれば
「戦後は日本でただ一人の無形文化財的存在」だったそうである。
花酔は明治二十二年生れだから三太郎より二歳年長だ。
廓吟《くるわぎん》の第一人者といわれ、
廓や遊女の句に佳吟が多い。
新興川柳推進派からみれば唾棄《だき》すべき句境かもしれないが、
遊女への哀憐切々たる句に心搏《う》たれぬものがあろうか。
川柳世界は渺茫《びょうぼう》として無辺際《むへんざい》、
猫の額のような尺寸の定義をかぶせないでほしい。
私の解釈でいえば、
そも川柳は〈個〉と〈座〉の二面の芸術性をそなえている。
しかも個は座の文芸にも通ずる面をもち、
座の文芸にも個の背骨がある。
いや、
なくては座の文芸にならない。
川柳を性急に狭窄《きょうさく》せず、
浩々《こうこう》たる天地の間に解き放ってほしい。
そしておのずからそこに、
作り手の個性、座の気韻《きいん》がただようものであらまほしい。
もしそれ何かの共通項を探すとすれば、
愛とユーモアであろう。
文芸には客観性が要求されるが、ユーモアほど客観で成立しているものはない。
ともあれ、
花酔を有名にした句は、
「生れては苦界死しては浄閑寺」以下、花酔
である。
浄閑寺は娼妓遊女の投げ込み寺であった。
引き取り手のない遊女の亡骸《なきがら》は、荒菰《あらこも》に巻かれて
ここへ投げ込まれる。
いま東京都荒川区南千住二丁目の浄土宗浄閑寺に
この句が刻まれているというが、
私はまだ見ていない。
(田辺聖子[著]『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代(上)』
中央公論社、1998年、pp.541-542)
つよいいい方に、川柳愛がみちていると感じます。
ユーモアは、辞書を引くと、いろいろに定義されてでてきますが、
わたしの解釈でいえば、
それはじぶん自身を客観的に見「じぶんを笑う精神」
であると思います。
ひと様をわらうのではなく、じぶんを笑う、
じぶんを笑わない人の文章、発言は、読んでいて、聞いていて、苦しくなる
ところがあります。
だれにいわなくても、
自身、半生をふり返れば、笑わずにいられません。
・明日知らぬけふときのふを生きて夏 野衾