どのジャンルかにかかわらず、欧米のひとの伝記を読むときのたのしみの一つに、
『聖書』をいかに読んでいたのか、ということがあります。
たとえば、
ハインリヒ・モルフさんの『ペスタロッチー伝』を読むと、
牧師になることを志したぐらいのひとですから、当然かも知れませんが、
ペスタロッチさんが『聖書』を自家薬籠中のものにし、
かれの日々の営みに生かしていたことがよく分かります。
ビルショフスキさんの『ゲーテ その生涯と作品』に、
以下のような記述があり、
目をみはりました。
ゲーテさんがシチリア島を旅していたときの話。
帰路は往路よりなおいっそう不快だった。風向きが悪く、船も居心地が悪く、
旅客を満載し、
しかも土地の人たちがその知識を信用していない船長と舵手が船を動かすというありさま
だったのである。
三日目の夕刻にはカープリ島とミネルヴァ岬の中間に来ていた。
完全な凪の状態だった。
それだけにいっそう旅客の動揺は激しかった。
彼等の言うところによると、
船長の不手際のために船がカープリ島の周囲を流れる潮流に巻き込まれ、
島の暗礁に乗り上げる危険が生じた。
危険が近づくにつれて人々の興奮も高まった。
全員が甲板にあがり、
まだ救助方法を考えあぐねているようにみえた船長に激しく詰め寄った。
ゲーテはこのような状況を目の辺りにして、
これ以上なにもしないで手をこまぬいていることはできなかった。
騒げば乗組員をますます混乱させるから、
暗礁よりも大きな危険を招くことになると考えた。
力をこめてゲーテは
このことを人々に言って聞かせ、
臨機応変にだれに対しても適切なことばを見つけられる才能を駆使して、
奇蹟を信じやすい南イタリアの人々をこう諭した。
「あなた方の熱心な祈りを聖母にささげなさい。あらしのテベリヤ湖で波が今にも船を
吞み込もうとしたとき、
イエスが当時彼の使徒たちにされたことをみなさんにも行われるように、
聖母が御子にとりなしてくださるかどうかは、
ひとえにそれにかかっています。
あのとき、
しかし主は眠っておられたが、
慰めも助けもない彼らが主をお起し申したとき、主はただちに、
風よ静まれとお命じになりましたが、
ちょうどそのように、
もしほんとうにそれが主の神聖なおぼしめしとあれば、
主は今、
風よ吹けとお命じになることもできるのです。」
彼のこの行動が願わしい効果を及ぼした。
人々は祈ることで落ち着きを取り戻した。
そしてようやく穏やかな風がほんとうに吹き始め、
船を危険な潮流から脱出させたのである。
四日目、
すなわち五月十四日の午前に、旅人たちはナポリに上陸した。
(アルベルト・ビルショフスキ[著]高橋義孝・佐藤正樹[訳]『ゲーテ その生涯と作品』
岩波書店、1996年、pp.456-457)
生きるか死ぬかのとっさの場面で、
『聖書』に記されたエピソードをもちだすゲーテさんはさすが
でありますが、
「そうか。そうだそうだ。そうだった」
と、
さっそく祈った人びとのなかにも『聖書』は活きている。
教会のことはいったん置いといて、
ことばの力と文化的な背景を考えざるを得ません。
・いづこより蜻蛉戸惑ふ日照り雨 野衾