仕事柄もあると思うのですが、なにが書かれているか、と同じぐらい、
ひょっとすると、
それよりすこしウエイトがかかるぐらいに、
どういう書きっぷりであるかが、以前とくらべて気になります。
内容をすぐ忘れるから、かも知れませんが。
ともかく、
このごろ田辺聖子さんの文章が、いいなぁ
と、しみじみ思います。
田辺さんは川柳がお好きなようで、
『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』
という本を書かれていますが、
本のなかで紹介される川柳の味わいと相まって、
田辺さんの文章の味を堪能できる本であると感じ、ゆっくり、おもしろく読んでいます。
――こういう教養が、むかしの日本人をかたちづくっている。
そういえば、
司馬遼太郎氏の『菜の花の沖』で高田屋嘉兵衛が浄瑠璃本をつねに読んでいた
ということを教えられた。
一介の廻船業者ながら、
情理そなわって芯の通った嘉兵衛の見識は
浄瑠璃本によって涵養《かんよう》された教養であるらしい。……
庶民文化の根をもう一度探りたいような気が、
私にはしている。
この間私は、
興深い文章を読んだことがある。
日本経済新聞の文化欄に寄せられた山田風太郎氏の「深編笠の太平記読み」
なる一文である(平成2・11・11)。
『太平記』は文学性や史書としての価値はともかく、
後世に与えた影響はまことに大きい、
といわれる。
「太平記読み」なる浪人を蔟出《そうしゅつ》せしめたのだ。
講談の源流である。
彼らは『太平記』のさわり所を朗々、哀々と読みあげる。
名場面のいくつかはそうして民衆の耳へ染みこんだ。
ことに楠公討死はそのクライマックスである。
古来から、
どれほど日本の民衆に愛されたか。
山田氏は
「かくして忠臣楠公は定着し、遠く太平洋戦争にも影響を与えたのではあるまいか」
といわれるのである。
山本五十六は一度は三国同盟に反対した。
しかしひとたび連合艦隊司令長官となってアメリカと戦うことがきまったあとは、
「もはや異論は口にせず、躍々《やくやく》として真珠湾奇襲の作戦にとりかかった」。
そこには廟議ひとたび決したあとは、
武人たるもの異論を申したてるに及ばずと湊川へ駆けつけて討死した、
正成の影響はなかったか、
といわれるのである。
――民族伝統の奥深いところにずっと蠢動《しゅんどう》している、何かがある、
芝居も落語も講談もその一部であり、
「川柳」という文学ジャンルもまたその根に繋がるのではないか
と私は思っている。
(田辺聖子[著]『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代(上)』
中央公論社、1998年、pp.42-43)
すぐに役立つことはなくても、教養としての読書、
というのは、
古びることはないのではないでしょうか。
古代ローマの政治家で、カエサルに抗し、後に自害した小カトーが
死を前にしてなお、プラトンを読んでいたというのも、
同じことのような気がする。
けっきょく、根にかんすることなのだとおもいます。
*
弊社は本日より通常営業となります。
よろしくお願い申し上げます。
・とりあへず人事沙汰止む夕立かな 野衾