家マスク

 

先だって、
ひと月、いや、ふた月ぐらいまえ、
ま、どっちでもかまいませんが、
たしか五木寛之さんが新聞のコラムに、
新型コロナの問題が起こる前から、夜、寝るときには
マスクを着けていると書かれていました。
冬は乾燥するし、
咽喉を保護するためにいいかもしれないと思い、
わたしも真似して、
夜寝るとき、またこのごろは、
起きている時もなるべくマスクを着けるようにしています。
じぶんの呼気で
適度に口の周りが保湿されますから、
なかなかいい具合。
慣れてくると、
煩わしいともあまり感じなくなりました。

 

・桃源の使ひ然たる寒烏  野衾

 

小さな変化

 

もう一つの重要な小さなイノベーションは自動車の鍵とロックである。
これによって持ち物を自動車のなかに閉じ込めることになった。
そしてこのことは、
自動車システムをA地点とB地点を結ぶ
単なる物理的な移動手段以上のものとして、普及させるのを早めた。
現代の小さな変化は、
家庭や職場から離れて別の方向にむかう新たな形態の移動を促す
標準化されたクレジットカードの登場である。
おかげで個々人は移動をしながら、
危険な思いをして大金を運ぶ必要はなくなったのである。
(ジョン・アーリ[著]/吉原直樹+高橋雅也+大塚彩美[訳]
『〈未来像〉の未来――未来の予測と創造の社会学』作品社、2019年、p.108)

 

イギリスの社会学者ジョン・アーリ最後の著作。
やわらかくていねいな記述から、
思考の過程を追体験できるようで、
いろいろと考えさせられます。
あまりにあたりまえな自動車の鍵とロック、クレジットカードの登場が、
世の中にどんな変化をもたらしたのか、
言われてみれば、なるほどで。
しばらく前から3D印刷が
マスコミでも取り上げられるようになりましたが、
ジョン・アーリの考察は、
その技術がいかに世の中を変えてしまうものであるか
を精緻に描いていて目をみはります。
これまで人類は、モノを製造してきましたが、
3D印刷がさらに高度になり普及すれば、
モノは、
製造するのではなく、印刷する、
そういう時代がやってくることになる。
マニュアルをダウンロードし、
居ながらにしてモノを印刷する…。
そうか。
既知の未来から未知の未来へ。

 

・懐かしき山も学舎も寒の内  野衾

 

いちばんの営業

 

ながく世話になっている鍼灸院でのこと。
開業して25年ほどになることを以前聞いていましたので、
開業してからこれまで、
患者の数が減ったことはありませんでしたか、
と先生に尋ねたところ、
言下に、
それはなかった、と。
はじめてから十年ほどはきつかったものの、
いままでずっと右肩上がりに推移し
現在に至っています、
云々。
「患者さんの体調をよくすることで精一杯、
とくべつ営業努力はしていません」
お人柄も含め、
なるほどと合点がいきました。
弊社にあてはめて考えれば、
ながく読んでもらえ、つぎへと橋渡しする学術書をつくる
ということになるでしょうか。
弊社の場合、他方で、
日々の営業努力は欠かせませんが、
社業の本質は何か、
について、
いつも心に留めていたいと思います。

 

・試験日に自転車で行く雪の道  野衾

 

読書尚友

 

高校一年生のときに夏目漱石の『こゝろ』を読んでぶったまげ、
それをきっかけにして
本の世界に入ったようなわけですが、
実人生としては日本の昭和を生きつつ、
本の世界はまさにどこでもドア、
時空を超えます。
その感覚はいまも続いているけれど、
このごろは、
作品の内容もさることながら、
自然と作者に意識が向かい、
どんな人生を送った人だろうと、
興味が湧くようになりました。
修道社版柴田天馬訳の聊斎志異を少しずつ読みながら、
原作者である蒲松齢の人生を思わずにいられません。
500篇ほどの怪異譚には、
狐や虎をはじめとする動物が
人間に成り変って登場するものが少なくなく、
それが人間以上に人間の魅力を湛えているように感じます。
ある方が月報で、
松尾芭蕉の野ざらし紀行を引き合いに出しながら、
捨て子への眼差しと重ね合わせ、
「無心」のこころを書き留めておられた。
そうか、
裏と表があるのが人間で、
そうでない人間はいない。
蒲松齢は人間という生き物をそういう風に見て、
怪異譚をあつめ書いたのではないか。
そんなふうに考え始めると、
時空を超えて近しく親しい友人が一人できたようにも感じられ、
しみじみした感慨に浸り、あそび、
本っていいなあ、って思います。

 

・寒の朝蛍光灯下ドリルかな  野衾

 

記憶のとびら

 

興味があって、興味があるから、いろんな本を読むわけですが、
それが小説であれ、哲学の本であれ、
読んでいるうちに、
ふだん思い出すことのない記憶が不意によみがえることが間々あります。
そんなときは、
本のページを両手で押さえたまま、
眼をいったん本から離し、
よみがえった記憶にしばらく浸ります。
と。
本が好きか? と訊かれれば、
嫌いではないけれど、
「好きです」とシンプルに答えるのに、
ちょっと抵抗がある
というか、
もともと本好きな子どもではなかったし。
でも、
本を読んでいると、
読んでいることがきっかけとなって、
本を読まなかった頃の記憶までよみがえり、
そのことは、
ひょっとしたら、
そのことだけがわたしにとって意味があり、
だけでなく、
いまこの瞬間が立体的に立ち現れ、
それがめっぽう面白く、楽しく、うれしい。
その感覚を求めて読むのかな。
記憶のとびら。
どんどん開けていくうちに、
生まれる前の記憶にたどり着けるか…。
それはないか。

 

・あてどなく色を求めて探梅行  野衾

 

ひとり静か

 

年末から始めてこのところ休日出勤し、
だれもいない広い部屋で静かに仕事をすることが増え、
その味を覚えてきたせいか、
通常の勤務日において
「もうひと踏ん張り」の気持ちが薄くなってきました。
「がんばる」と「がんばらない」
の境い目はじぶんの感覚で分かりますから、
いまは、
がんばらない方を選びます。
ひとり静かな時間を見つけてする。
医者の勧めもあって、
アルコールをまったく口にしなくなったこととも
関係している気がします。
静かな時間の味わいは、祈りにも似て、
極上の酒の味がします。
なんて。
独りを慎むという言葉もあり、
ひとり静かの時間は、音楽も要りません。

 

・聊斎の書を閉づ夢の探梅行  野衾

 

まず、そういうごど

 

新型コロナの感染者の数が高止まりしていることもあり、
心配をかけないために、
だいたい一日おきに秋田に電話をします。
コロナの前から、
年齢のこともあってか、
とくに父のことばの端端に電話を待っている
様子がうかがえたので、
特段の用向きがなくても、
なるべく電話をかけるようにしている。
用向きがないので、
「天気、なとだあ?」「朝ごはん食べだがあ?」「変ったごどないがあ?」
その三つが決まり文句。
わたしからされる質問が毎度のことなので、
父もそれなりに答えを用意しているのか、
短く的確。
たとえば「去年、屋根のペンキを塗ってもらったせいで、
屋根に積もった雪が全部落ち、雪下ろしの必要がない。
落ちた雪を除雪車で飛ばすだけでよい」
答えが的確だと、
会話はあっという間に終る。
それで最後に父は、
「まず、そういうごど」と、必ず言う。
これがなんだか面白い。
どういうふうなニュアンスかといえば、
おそらく、
「細かく話せばいろいろいろいろ、あるにはあるが、
概略をかいつまんで、要点だけを取り出せば、いま言ったことになる」
といった感じでしょうか。
ただいま5時40分。
きょうは秋田に電話する日。
7時20分になったら電話をします。
最後は、
「まず、そういうごど」

 

・休日の仕事場窓に寒雀  野衾