『狂気』

 

ピンク・風呂インド、
いや、ピンク・フロイドが1973年に作ったアルバムで、
原題は、
The Dark Side of the Moon
世界で5000万枚以上を売り上げたといいますから、
驚きます。
もう半世紀近く前になるんですね。
むかしレコードで持っていてよく聴きました。
いまはCD。
ほんの時たま、
聴くことがあります。
アマゾンで本のレビューを見ていたら、
おもしろい文章があったので、
その人が、ほかにどんなものを読み、
どんな感想を持っているのだろうと興味が湧き、
順番に見ていくと、
ピンク・風呂インド、
いや、ピンク・フロイドの『狂気』を取り上げており、
星が一つ。
レビュアーさん曰く、
要するに古い、
と。
レビューの文体から察するに、
若い方かと想像されます。
それにしても★一つとは。
言われてみれば、
たしかにうなずけるところがあり、
時代が変ったんだなあと思うことしきり。
『狂気』もそうですが、
当時流行ったプログレッシブロックなるものは、
ピンク・風呂インド、
いや、ピンク・フロイドをはじめ、
キング・クリムゾン、イエスにしても、
いま聴くと、
ちょっと、
いや、かなり大げさな感じがしてしまいます。
あの頃は、
人生の深奥の音のように聴いていたのに。
我がことを含め、
変れば変るものです。

 

・春待つやピアノの家の起きてをり  野衾

 

読む山日記

 

春風社を起こして約半年後にこのブログを始めました。
「港町横濱よもやま日記」
いま22期目ですから、
21年つづいたことになります。
朝起きて歯をみがき、
センブリを煎じたものを薄めた水を一杯飲んで、
それからパソコンに向かいます。
前日あったことを思い起こし、
じぶんのアタマを整理し、
ひとさまに読んでもらえる文章を練る。
書き終えたころ、
向かいの丘は、
やうやう白くなりゆき。
新しい一日の始まり。
このことをじぶんに課してきましたが、
あらためて、
ひとは言葉でつながることを意識しています。
話し言葉が基本だとは思いますが、
あたりまえのことながら、
話し言葉と書き言葉、
別のものではない気がします。
たとえば、
白川静、諸橋徹次、吉川幸次郎の文章を読んでいると、
この方たちの語りが
なんとなく想像できます。
おそらく、
漢文によって鍛えられた言葉のセンスによって、
精神まで磨かれていたのではないか。
文を読み、
言葉を吟味して綴ることにより、
汚魂を洗い、
ダメなじぶんを鍛えたい。
ある時点で折り返すという考え方もありますが、
年を取ったせいもあるでしょうけれど、
人生は折り返さないのではないか、
という気がしています。
一方向へ向かう。
死んでも勉強という新井奥邃の考えの方が、
わたしには好ましく感じられます。
お読みいただいている皆様、
読んでくださり、
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

 

・丘の家春を奏でるピアノかな  野衾

 

大きな計画をしない

 

もしプランニングで誤りを冒しているとすれば
――何が完璧かがわからない以上、現在の私たちはそうですが――
ゆるやかで、最小限に計画して、少し自由すぎるくらいに
その場その場で対応するほうが、
その逆よりもかえってよいのです。
経験から得たよい方法は、
必要以上に計画を大規模なものとしないことでしょうし、
絶対に必要以上のはるか将来を計画しないことです。
(ジェイン・ジェイコブズ[著]
サミュエル・ジップ+ネイサン・シュテリング[編]
宮崎洋司[訳]
『ジェイン・ジェイコブズ都市論集 都市の計画・経済論とその思想』
鹿島出版会、2018年、p.210)

 

都市の計画についての発言ですが、
会社経営についてもあてはまるところがあると感じます。
引用した箇所のまえでジェイコブズがいうように、
計画することは楽しく、
したがって、
大々的な計画を立てることは大きな魅力にもなり得ますが、
それがどうやら間違いのもと。
ジェイコブズと親交のあったドイツのプランナー・ルドルフ・ヒルブレヒト
の言葉も記憶にとどめておきたいと思います。
「すべてを決める必要はない。
我々は次の世代に何かを残しておかなければならない。
彼らにもアイディアがあるだろうからね」
(『同書』p.209)

 

・弟と土器を拾ひし春を待つ  野衾

 

聊斎志異の女性たち

 

『聊斎志異』は、中国、清の時代の怪異短編小説集で、
作者は蒲松齢(1640-1715年)。
柴田天馬の訳で読んでみたいと思い、
修道社から昭和30年に発行された『定本 聊齋志異』全6巻を
古書で求めていたのをやっと読みはじめました。
が、
これのどこがおもしろいの?
と、
悩ましいものもありまして。
かと思えば、
スッキリハッキリ、
おもしろいのは、めっぽう面白く。
とくに恋愛、結婚譚で、
ああ、たしかに魅力的な女性だなぁと思って読んでいると、
だいたい、いや、ほとんど、いや、ほぼほぼ、
人間の女性でなく、
狐でありまして。
美人であることはもちろん、
情に厚く、可愛げがあり、
涙ぐましいほど真実で。
一方、
生身の人間の女性はといえば、
人間に変身した狐の女性に比べると、
影が薄い。
こちらはそれほど魅力的に描かれていない。
巻が進むうちに、
じぶんのこれまでの半生で出会った素敵な女性は、
あのひとたちはみんな、
ひょっとしたら、
狐?
ふと、そんな想像をしてみたくなります。
それはともかく、
63篇もある狐の変身譚には、
作者である蒲松齢の女性観、人生観が如実に表れている気がします。

 

・鍼灸院出でて二声寒烏  野衾

 

ビバークの日々

 

松本大洋おススメの『神々の山嶺』を
年末一気に読みました。
「山嶺」と書いて「いただき」と読ませています。
夢枕獏の原作を谷口ジローが漫画化したもの。
登山家の羽生丈二が、
エベレストの南西壁を冬、無酸素で単独登頂に挑むという
過酷極まる物語。
登山用語で露営、野宿をビバークといいますが、
冬山でひとり蓑虫のように釣り下がって時を過ごす描写は、
実体験のない者にまで、
刻一刻の重さがひしひしと伝わってきました。
わたしがするのはハイキングぐらいで、
登山というレベルのものは実際にしたことがありませんけれど、
『神々の山嶺』は、
山に登る精神、
とでもいったものを見せてくれるようです。
山頂から見える光景をひたすら夢見、
体力の限界、頭脳の限界をもって山嶺に向かう。
頂上から見える光景が鏡となって映しだされるのは、
まだ見たことのない、
これまで知ることのなかった自分の姿かもしれない。
そんなことを感じながら読み進めているうちに、
ハッと気づいたことがありました。
いまのわたしたちの置かれている状況は、
ゴツゴツとした冬山の山頂近くでビバークする登山家の場所、
に似ているのではないか。
いままで体験したことのない時間のなか、
ときに窮屈な思いをしながら
ひっそりと過ごすしかありませんが、
ここでいろいろ考えたことが、
やがて清々しい光景につながり、
それが鏡となって、
これまで見えなかったものが見えてくる、
そんな時が来るような気がし、
またそう願いたい。

 

・暁闇の何の予兆か初烏  野衾

 

見える会社、見えない会社

 

第一五三項 見える教会のどの部分においても誤謬が可能であり、
したがって、誤謬が何らかの仕方で現実的であるように、
どの部分においてもまた真理の矯正力は欠けていない。
(F・シュライアマハー、
安酸敏眞[訳]『キリスト教信仰』教文館、2020年、p.977)

 

この箇所を読み、すぐに、
ラファエロ描く『アテネの学堂』のプラトンの姿を連想しました。
見える教会と見えない教会を対比し論じるところに、
プラトンの著作に親しみ、
プラトンのドイツ語版を上梓したシュライアマハー
の面目躍如、
という気もします。
教会でなく会社はどうか。
見える会社はどの部分においても、誤謬を犯し得る。
しかし、志において間違いがなければ、
真理の矯正力は欠けていないと信じたい。

 

・寒風や帰郷の山の正しかり  野衾

 

自発性について

 

弊社は、昨年12月30日から今月5日までが冬季休業でしたが、
帰省しないことでもあるし、
担当している本の仕事をすこし進めたいと考え、
大晦日と年が明けた2日に出勤。
沈黙の声さえ聴こえてきそうな
静まり返った社内で、
ひとりゲラの照合をしました。
仕事が捗ってきたので、
パット・メセニー&チャーリー・ヘイデンの
Beyond The Missouri Sky
をBGMにして。
順調順調。
と、
14時半。
15時ちょっと前でしたか、
編集者のYさんが入ってきて、
「三浦さん、出ていたんですか」
「はい。担当のものを少し進めたいと思って…」
それからは、
ふたりただ黙々とじぶんの仕事を。
そのとき、わたしは思いました。
これでいい、と。
わたしが知らないだけで、
Yさん以外にも出社する人がいるだろうし、
休み期間中も、
在宅で仕事をしている人がいる
かもしれない。
会社の雰囲気が、いつの間にか、
そういう風になったのがうれしく、
これも一朝一夕のことではないなぁと。
自発性は教えられません。
だれかから習った覚えもありません。
与えられたものをこなすなかで、
面白さをじぶんで発見するしかない。
WANIMAの歌『やってみよう』
の始まりに、
「正しいより楽しい 正しいより面白い」
とありますが、
自発性を発揮することで、
面白く正しい仕事が身についてくる
のだと信じます。
若い社員に、
社の弱いところは修正、また補強し、
いいところを受けついでいってもらいたいと願います。

 

・一日をここまでと為し寒の月  野衾