春風社を起こして約半年後にこのブログを始めました。
「港町横濱よもやま日記」
いま22期目ですから、
21年つづいたことになります。
朝起きて歯をみがき、
センブリを煎じたものを薄めた水を一杯飲んで、
それからパソコンに向かいます。
前日あったことを思い起こし、
じぶんのアタマを整理し、
ひとさまに読んでもらえる文章を練る。
書き終えたころ、
向かいの丘は、
やうやう白くなりゆき。
新しい一日の始まり。
このことをじぶんに課してきましたが、
あらためて、
ひとは言葉でつながることを意識しています。
話し言葉が基本だとは思いますが、
あたりまえのことながら、
話し言葉と書き言葉、
別のものではない気がします。
たとえば、
白川静、諸橋徹次、吉川幸次郎の文章を読んでいると、
この方たちの語りが
なんとなく想像できます。
おそらく、
漢文によって鍛えられた言葉のセンスによって、
精神まで磨かれていたのではないか。
文を読み、
言葉を吟味して綴ることにより、
汚魂を洗い、
ダメなじぶんを鍛えたい。
ある時点で折り返すという考え方もありますが、
年を取ったせいもあるでしょうけれど、
人生は折り返さないのではないか、
という気がしています。
一方向へ向かう。
死んでも勉強という新井奥邃の考えの方が、
わたしには好ましく感じられます。
お読みいただいている皆様、
読んでくださり、
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
・丘の家春を奏でるピアノかな 野衾