詩を読むには

 

クリスチャン・ボバンの
『老いのかたち 澄みわたる生の輝き』(中央公論事業出版、2019)
を読みました。
翻訳は戸部松実さん。
そのなかに次のような言葉がありました。

 

わたしは友の手からその詩を受け取りました。
小説を読むなら二、三時間で足ります。
でも詩を読むには一生かかるのです。(p.74)

 

じぶんの好きな詩は、好きな詩の言葉は、
なんどでもそこに帰り、
それを読むことでこころが落ち着き励まされます。
いったん離れても、
そこにその詩があると知っているので
ひつようがあればまたそこに帰っていきます。
ふるさとみたいだけど、
ふるさととはちがいます。
詩は、
人生の途中で知ったものですから。
しかし、とも思います。
人生の途中で知ったけれど、
ふるさとよりも古いふるさとで、
読むたびに新しくなるふしぎな土地。
そんな詩を、詩の言葉を
思い出させてくれる本でした。

 

・風薫る光と色を吸ふて吐く  野衾

 

字の意味だけが

 

弊社宛に来た手紙のことですが…。
封筒に書かれている文字はふつうに読めるのに、
申し訳なく思いながら、
なかの便箋の文字がほとんど読めません。
せっかくいただいた直筆の手紙ですからなんとか読み解こうとするものの、
達筆というのか、
とても特徴のある字体で書かれており、
弊社の本を読まれたことを踏まえての文面らしいのですが、
それ以上は、
いくら目を凝らしても
なかなか文意がつかめません。
意味を読み取ろうとして、
あたまからなんども試みているうちに、
待てよ、
文字の意味だけが意味ではないか
ということに思い至りました。
あせらず、
そばに置いて、
しずかなこころの時にまた開いてみようと思います。

 

・逗子までのひかり溢るる暑さかな  野衾

 

待つことは

 

ふるさと秋田に帰って母を見るたび、
少女にかえっていくなぁと感じるこのごろ、
そのことと関係あるのかないのか
さだかではありませんが、
母はどうやら待つことが苦手。
床のゴミに気づけば拾い、
台所の窓ガラスにアネコ虫(カメ虫)がいればなにを措いてもつかまえ、
洗うものがあれば溜めずに洗濯し、
父に薬を飲んだかと注意する。
どの行為をとっても
きちんとした性格の現れといって
いえないことはありません。
が、
わたしの感じ方が変わってきたのか、
はたまた母を見てじぶんを振り返ることが多くなったせいなのか、
母の表情や動きを見ていると、
待っている時間がいやなんだろうなぁと見え、
それがそっくり
じぶんにあてはまると感じます。
かつて、
やたらに動きたくなったり
ときに極端に走りたくなったのも、
待つことを避けるためだったかもしれないと思いはじめ、
いろいろなことが思い出されます。

 

・悠々と鳶旋回し夏来(きた)る  野衾

 

青春の門

 

本を読まなかった子ども、
というのがわたしの自己紹介のまくらになっており、
それは事実でありますが、
高校に入ったのを境に
俄然本を読むようになりました。
きっかけのひとつが漱石の『こゝろ』
本を読まないわたしを気にかけ母が買ってくれたのに、
読まないでいた(正確にいうと、二ページ読んでいやになった)『こゝろ』を、
高校生になって気を入れて読んで度肝を抜かれた。
もうひとつが五木寛之の『青春の門』
これはだれに勧められたわけでもなく、
本屋に入り歩いているうちに目がとまり買ったような気がします。
正確な記憶ではありません。
「青春」「門」の単語に反応したのかもしれません。
血沸き肉躍るということばがありますが、
まさにそれ。
テレビアニメの『巨人の星』『タイガーマスク』は
それこそ血沸き肉躍りましたが、
紙に印刷された文字を読んでそうなった
のは初めて。
主人公・伊吹信介と幼馴染の牧織江の初めての夜のシーンなど、
もはや鼻血ブー!!
(古いか。天才谷岡ヤスジの漫画にでてくるもので流行語になりました)
当時でていた単行本をつぎつぎ買って読みましたが、
そのうちに、
実人生において青春の門をくぐり、
しずかに本を読んでいる場合でなくなった、
わけではありませんで、
なかなかつづきが刊行されないでいるうちに、
興味がほかへうつった
というのが真相です。
五木さん、
二十三年ぶりだかに執筆を再開したようですが、
もう読まないだろうなぁ。
とにかく衝撃の読書体験でした。
なつかしい!

 

・夏草に洩るるひかりやまんだら堂  野衾

 

名越切通

 

なごし、でなく、なごえ。
なごえきりどおし。
鎌倉時代に尾根を掘り割ってつくられた道とのこと。
ウォーキングの途中、
はじめて訪れました。
とくに
「まんだら堂やぐら群」のたたずまいは圧巻!
いただいたパンフレットによると、
「まんだら堂やぐら群は、
2メートル四方程度と小規模なものを中心に
150穴以上の存在が確認されている有数のやぐら群で、
これだけまとまった数のやぐらを良い状態で見ることのできる遺跡は
鎌倉市内にも少な」いそうです。
ところで、
そもそも「やぐら」とは?
同パンフレットの記載によると、
「やぐらとは、
崖に四角い横穴を掘り、主として内部に石塔を建てるなどして納骨・供養する施設」
説明文に見るとおり、
ゆいしょある場所であることが分かりますが、
体感的にいっても、
夏草が茂る細道を歩いた先の
くわっとひろがる空間に立ったとき、
どくとくの力がそこに充ちている感じを受けました。

 

・切通し風も通るや夏日影  野衾

 

文学を知る

 

『中国文学雑談 吉川幸次郎対談集』(朝日新聞社、1977)のなかで、
作家の井上靖を相手に吉川はつぎのような言葉を発しています。

 

徂徠の根本は、人間はまず文学を知らなければ、
すべてがわからないというんです。
文学を知らなければ道徳もわからない、政治もわからない。
だから人間は文学をやらなければならない。(p.19)

 

文学とは、学問であり、
また学芸、詩文にかんする学術全般を指す言葉ですが、
いまは
それを学ぼうとする者、研究する者にとって
けしていい時代とはいえません。
が、
こういう時代が
そうながくつづくとも思えません。
まず文学を知らなければならないという吉川の言葉を肝に銘じ、
おおくのひとの知恵を拝借しつつ、
わたくしどもも知恵をだし、
協力し合いながら、
つぎの時代につなぐ本をつくりつづけたいと思います。

 

・新緑の風の来(きた)りて頬を撫づ  野衾

 

夢のはなし

 

しごとの打ち合わせというのでもなく
五木さんの自宅を訪問。
くつろいだ雰囲気のなかでわたしは、
若いときから五木さんのファンであることを本人に告げています。
五木さんが
「何が好きですか」とききますから、
正直に、
「はい。『戒厳令の夜』が好きです。『風の王国』も」
五木さんの表情がほんの少し
けわしくなったように見えます。
「にんげんにとって自由が
たとえば酸素のようなものであることを教えられた気がします。
『戒厳令の夜』の始まりのシーンは忘れられません…」
「ほかには」と五木さん。
わたしは思いつくままに好きな作品名を
つぎつぎに挙げていきます。
さらにくつろいだ雰囲気になり、
五木さんの奥さん、近所のご夫婦まで加わり、
ゆかいな晩餐会になりました。
近所のだんなさん、つと立ち上がり、
歌を歌いはじめます。
その声が灰田勝彦に似ているので
そのことを五木さんに告げると、
「そうかなあ」
と、いぶかしげな五木さん。
気持ちよさそうに歌っているひとの声はますます灰田勝彦に似ていきます。
五木さんもなっとくの様子。
と、
やおら五木さん立ち上がり、
歌に合わせて踊り始めました。
ゆるゆるくねくねデタラメなように見えながら
リズムただしい阿波踊り風。
なんとも楽しそう。
わたしもつられて踊り出しそう。
いや、
酒も入っていないのにいいのかな、
なんて。
夜はいっそう更けていきます。

以上、夢に五木さんが出てきたはなしでした。

 

・たらの芽の勿体なさよ美味しさよ  野衾

 

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