フィロポイメン

 

ひきつづき、モンテーニュから引用。

 

大勢の家来の真中で「殿様はいずれに?」などと問いかけられるのは、
いや、髯剃(ひげそ)りや秘書などが受けた敬礼のおあまりをやっと頂戴するなんて、
とても癪(しゃく)にさわる。
可哀そうにフィロポイメンはそういう目にあった。
部隊に先んじて彼のおいでを待ちうけている旅籠(はたご)屋に第一番に到着したところ、
女主人は彼を知らなかったし、
見ると風采はなはだ上らぬ男なので、
「女どもがフィロポイメンをもてなすために水を汲んだり火をおこしたりしているから、
そっちへ行って手伝いなさい」
といいつけた。
やがてお供の侍たちが来て見ると、
大将がこの花々しいお役目にいそしんでいるので
(まったく彼はいいつけに違背しなかったのである)、
驚いてそのわけをきいた。
「わたしはわたしの醜さの罰をうけているのだ」
と彼は答えた。
(関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』国書刊行会、2014年、p.756)

 

それまでコオロギのようにしずかに読んでいたのですが、
引用した箇所の最後
「わたしはわたしの醜さの罰をうけているのだ」
のしずかなもの言いに
フィロポイメンのかなしさがそこはかとなく表れているようで、
カバのように大笑いしてしまいました。
そして、
紀元前ギリシアの大将フィロポイメンのことが
好きになりました。

 

・家出する少年の日の五月かな  野衾