リュックを叱る

 

一昨日のことですが、
病院ぎらいのわたしが病院に行ってきました。
二か月半に一度ですが、
気が重い。
しかも、
かかっている科が違うため午前と午後に分け
二度までも。
午後は、
診察を受けにくるひとの数が午前に比べてぐっと減り、
それだけで、
病院ぎらいのわたしとしては
息がつけます。
受付を済ませて
廊下のベンチに座って待っていると、
対面に設置されたベンチに
リュックを背負った白髪の男性が「よっこらしょ」
と腰を掛けました。
おもむろにリュックを外し、
じぶんの右わきに置きました。
と、
黒い大きめのリュックがまんなかからくにゃりと折れ曲がり
ベンチから落ちそうになりました。
老人は、
あわててリュックをもとの位置に戻しました。
やれやれ…
と、
また、くにゃり。
老人急いでリュックをつかみ、
「静かにしろ!」
と声を発し、
ていねいにリュックの居住まいを直してあげる風。
うん。
気持ちは分かる。

 

・破れあり意味をなさずの網戸かな  野衾

 

仕事としての読書

 

晩年は、論文の執筆はみられず、書斎ではほとんどが仕事としての読書である。
はじめの頃は専門の論文を書き継ぐための読書だったのが、
世界大戦の開始頃から
現代の歴史哲学(?)のような著述を意図した読書に変ったらしい。
明らかな読書は、
ヴントの『民族心理学』、ショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』、
『資本論』、それに最後がヘーゲルの『精神現象学』(もちろん全部が原書)
でこれは二ヵ年かけて三度目の通読が未完に終った。
(加藤惟孝「或る個性の記録」より、
阪谷芳直/鈴木正[編]『中江丑吉の人間像――兆民を継ぐもの』p.131、
風媒社、1970年)

 

たのしみのための読書でなく書き物のための読書でなく、
仕事としての読書をつらぬく。
『三酔人経綸問答』の著者・中江兆民の長男にして
稀代の中国学者・中江丑吉。
さっそうと歴史を駆け抜けた人物だ。

 

・かたつむり這ひゆく跡の光りをり  野衾

 

かゆみについて

 

テレビをつけるといろいろ情報番組をやっていて、
からだや健康に関するものが少なくありません。
スポンサーは、
飲食料品、サプリメント、化粧品をつくっているメーカーなど。
いろいろやっていますから、
どこかで取り上げてくれないかと思うものに、
「かゆみについて」
があります。
見逃してるだけかもしれませんけれど。
内臓疾患が原因のかゆみもあろうかとは思いますが、
そうでなくてもちょっとした、
たとえば、
耳のふちがかゆいとか、
鼻の穴の中がかゆいとか、
あれはなんで起きるんでしょうかね。
じっとしていて
急にかゆくなることがあり、
細胞レベルでかゆみ物質が活性化したか、
などと思ったりするものの、
そもそもかゆみ物質なんてあるのか、
ないのか、
とても不思議な気がします。

 

・五月晴れ陸橋に射す夕陽かな  野衾

 

色とにおい

 

ドリトル先生と暮らす動物たちは、
どの動物も個性派ぞろいですが、
図書室の館長をつとめるのは白ネズミ。
白ネズミは膨大にある本のなかから、
書名によらずに目的の本を探し当てるのです。
どういうふうにしてか。

 

このネズミは、それには敏感な嗅覚が大いに役立ったのだと話してくれました。
背表紙に書いてある文字だけでは本の区別がつかないときも、
その色とか、においのぐあいなどで、
見分けたり嗅ぎわけたりすることもありました。
(ヒュー・ロフティング/井伏鱒二[訳]
『ドリトル先生と秘密の湖』p.57、岩波書店、1961年)

 

わたしが読んでいるのは1969年、第14刷りのもので、
色が褪せ、古くなった紙のにおいがほのかにし、
それもあってか、
嗅覚の発達した白ネズミが
色とにおいで本を識別するということが
妙に納得できました。

 

・細りゆく父と母との五月かな  野衾

 

いくつになっても

 

「価値をつけるものは、わざ(アート)であって、素材ではない。」
……………
『ロビンソン・クルーソー』は、
二世紀をこえて後も、
やはり依然として「かつて書かれた最上の孤島物語」である。
デフォーは『ロビンソン・クルーソー』のなかに、
根本的で普遍的な孤島物語の概念をつくりあげたのに、
模倣者たちは一人もそれをなしえなかった。
(リリアン・H・スミス/石井桃子・瀬田貞二・渡辺茂男[訳]『児童文学論』
pp.46-47、岩波書店、2016)

 

よい本をえらぶ基準はあるのか。
あるとすればどのようなことなのか。
子どもはそれをいちいち言葉にしません。
好きなものをだまって読みつぎ、
それが児童文学の古典とされてきたことがよく分かります。
「十歳の時に読む価値のある本は、五十歳になって読みかえしても同じように
(むしろしばしば小さい時よりもはるかに多く)価値がある
というものでなければならない。
……おとなになって読むにたえなくなるような作品は、
全然読まずにいたほうがいい本である。」(同書、p.13)
「ナルニア国ものがたり」を書いたC・S・ルイスの言葉です。
わたしは本を読まない子どもでした。
本を読むたのしみを知らず、
季節ごとにめまぐるしく変化する自然とたわむれてばかりいました。
もし、あのころ本を読んでいたら、
と、
考えないではありませんが、
スミスさんのこの本を読むと、
六十一歳になったいま
児童文学の名作を読むことのたのしさを
あらためて思い知らされるようです。

 

・さつきあめ嶺々(みねみね)のそら跼(かが)みをり  野衾

 

トホホ…な想像力

 

電車に乗っていましたら、
ある広告が目に入りました。
そのなかの文言
「脇の下のつぎに多いのがvio脱毛」
正確ではありませんが
そのようなことが書かれてあり、
ごく簡単にひとふで書きの人体図まで添えられていました。
脇の下のところに「脇の下」
とあり、
いわれなくたって分かるわいと思った。
に対して、
vio。
なんだヴィオって!?
アイスクリームにそんな名前のがあったような…
それともヨーグルト…
それはともかく。
人体図の下半身のほうに「vio」と置かれているだけで、
どこを指しているのかが
イマイチ分からない。
それと。
脇の下が「脇の下」とはっきり日本語で書かれているのに、
vioはなぜか
日本語で示さずにアルファベット。
あやしい!
ハハァ。
あたしゃピンときましたね。
下半身で、
毛の多い場所といえば、
そこしかない。
きっとそうだ。
そうにちげえねえ!
そう確信したのですが、
なにゆえそこを脱毛しなければならないのか。
ふむ???
じぶんのそこが赤ん坊の股間のようになっている姿を想像した。
なんのために???
いくら考えても分からない。
わたしはここで
じぶんが大きな間違いを犯していることにまだ気づかなかった。
脇の下の脱毛といえば、
ぜんぶの毛をなくすわけでしょうから、
とうぜんvio脱毛も
ぜんぶの毛をなくすものと信じて疑わなかった。
家に帰りいそいそとパソコンを立ち上げ、
調べてみた。
ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝
そうか。
そうだったのか!
ぜんぶの毛をなくすのではなく、
水着のパンツからはみ出たところだけの処理であることが判明。
そりゃそうだよな。
じぶんの想像力の乏しさに呆れ、
老いを感ぜざるを得なかった。
いっとき情けない気分に浸りもしましたが、
梅雨晴れ間の空を見上げ、
希望をもって生きようと気持ちを新たにしたのでした。

 

・ひとも無し社(やしろ)の裏の蛇である  野衾

 

あれから20年

 

ひょんな縁で春風社三浦さんと出会い、
『インド・まるごと多聞典』をつくり、装丁仕事をすることに。
まさかそのあとずっと本をつくりつづけるとは想像もしなかった!

 

六月十七の矢萩多聞さんのツイッター。
ほんとに。
多聞さんもそうでしょうけど、
わたしも春風社が二十年つづくとは思いませんでした。
十年はつづけたいとは願っていました。
考えてみれば不思議なご縁です。
多聞さんのお母さんがやっている店のショーウインドーに飾られた
木彫りのガネーシャに引き寄せられるようにして
店に入ったのがそもそものきっかけでした。
大きいかわいいガネーシャの像で、
いまもわが家の玄関先に置いてあります。
ガネーシャがとりむすぶ縁!
京都dddギャラリーにて「本の縁側 矢萩多聞と本づくり展」が開催されていますが、
きょうはその最終日。
多聞さんと「本づくり」についてトークを行います。
二十年をふりかえるいい機会を与えていただきました。

 

・天狗いで浮世の宵に虹を吐く  野衾