仕事としての読書

 

晩年は、論文の執筆はみられず、書斎ではほとんどが仕事としての読書である。
はじめの頃は専門の論文を書き継ぐための読書だったのが、
世界大戦の開始頃から
現代の歴史哲学(?)のような著述を意図した読書に変ったらしい。
明らかな読書は、
ヴントの『民族心理学』、ショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』、
『資本論』、それに最後がヘーゲルの『精神現象学』(もちろん全部が原書)
でこれは二ヵ年かけて三度目の通読が未完に終った。
(加藤惟孝「或る個性の記録」より、
阪谷芳直/鈴木正[編]『中江丑吉の人間像――兆民を継ぐもの』p.131、
風媒社、1970年)

 

たのしみのための読書でなく書き物のための読書でなく、
仕事としての読書をつらぬく。
『三酔人経綸問答』の著者・中江兆民の長男にして
稀代の中国学者・中江丑吉。
さっそうと歴史を駆け抜けた人物だ。

 

・かたつむり這ひゆく跡の光りをり  野衾