フランクルの『夜と霧』(みすず書房)には
収容所における地獄絵図のような日々が記されていますが、
全編を通じておしえられるのは、
希望によってひとは生きる
ということでした。
若いひとを元気づけ勇気づけおもしろく感じさせるものは多くありますが、
歳を重ねるにつれ、
だんだんそうしたものが少なくなっていく
気がします。
新井奥邃の文章に触れてから四十年経ちますが、
奥邃の文章を読むと、
ふつふつとちからが湧いてくる気がし、
それはいまも変わりません。
奥邃の文章には本気がこめられていて、
読んでいるときに
それがこちらにつたわってくるからだと思います。
奥邃に親近し最後まで奥邃を世話したひとに
秋田出身の中村千代松がいますが、
中村は、
自身の最晩年、
床に伏したまま静かに奥邃の文章を読んでいた
といわれています。
また、
かつて五木寛之の「夜の時代」という文章を読んだことがありますが、
夜の時代といえば、
いまもそうかもしれません。
悲観し絶望したくなることがつぎつぎ起こってきますが、
そうであればこそ、
希望をもって生きることのたいせつさと
そのための勉強を
思わずにはいられません。
・五月雨や崖うへの店烏賊を焼く 野衾