狐狸的

 

・首撫でて何処へ吹くや初夏の風

『田村隆一全集 6』に収録されている未刊行の日記
「モダン亭日乗」を読んでいたら、
敬愛する詩人の佐々木幹郎さんのことがでてきてビックリ。
一九九七年八月十三日の項。
「詩人の佐々木幹郎さんは河内育ちだから、その大先輩の楠木正成親子の桜井の別れ、落合直文先生作詞の「青葉茂れる桜井の」を河内弁に翻訳してくれるように、まえからお願いしているのに、いつまでたってもぼくの願いをかなえてくれない。たとえば、「とくとく帰れ故郷(ふるさと)へ」を「わりゃあ、さっさと去(い)ね」といった具合にさ」
とある。
そんなことを本当に、田村さんは幹郎さんにお願いしていたのだろうか。
田村隆一をわたしは直接存じ上げないが、
田村さんて、
おもしろい人であることは間違いなさそうだが、
一方で相当に狐的、
あるいは狸的な曲者でもあった気がしますから、
ここは眉に唾つけて読まなければなるまい。
引用した箇所においても、
「たとえば」からのくだりを書いて、
自ら呵呵大笑している田村さんがほうふつとしてくる。
にしても、
亡くなるほぼ一年前の日記で、
体調を崩し入退院を繰り返しているというのに、
飄々とした江戸っ子気質とでもいうのか、
文章のノリはほとんどブレない。
見上げたもんだよ屋根屋のふんどしだ。
ともかく。
今度幹郎さんに会ったら、訊いてみよう。

・足指を腫らせて去れりプリン体  野衾