皆勤賞

 

・賀状終へ後は駅伝待つばかり

今年はぎっくり腰になることもなく、
(今日を入れ、
あと五日でならないとも限りませんが)
一日も休まず出勤しました。
少々の不調はいたし方なく、
まずこれを好しとしなければなりません。
休めば、
社員に迷惑をかけることになります。
自分に皆勤賞です。
皆勤賞といえば、
小学六年と中学の三年間、
あわせて九年、
わたしは一日も
学校を休んだことがありません。
勤勉な親が休ませてくれなかった。
いや、
言えば休ませてくれたでしょう。
そうではなく、
勤勉な親を見、
何があっても、
少々苦しくても、
学校は休むものではないと、
勝手に思っていた節がある。
ひたすら行くものとばかり思っていた。
休むという発想がそもそもなかった。
なので、
伝染病の水疱瘡に罹ったときも、
それと知らずに、
休みませんでした。
そうしたら、
隣りの洋子さんが休んだ。
おそらく、
うつったんだろうと思います。
ずうっと後年、
とある場所で
洋子さんに偶然会ったとき、
そのときのことを話題にすると、
洋子さん、
「そんなことがあったかしら?」
忘れたふりをしてくれたのかもしれません。
休まないことが、
迷惑になることもあります。

弊社は、
明日から一月五日まで休業。
新年は、
一月六日から営業します。
よろしくお願い申し上げます。
皆様どうぞよいお年を。

・年の瀬や隣りの人が気にかかる  野衾

鼻掛けマスク

 

・小さき字で下手さ紛らす賀状書き

風邪の予防のために、
常にマスクをしています。
暖房にもなるし。
ホッカイロほどでなくても。
ただ困るのはメガネが曇ること。
「メガネが曇らない」と謳っているのに、
曇る。
ウソつき、と思う。
掛け方が悪いのかなぁ?
いろいろ試してみるのですが、
どうもいけない。
しかたなく、
鼻の下にまで下げ、
なんのためのマスクか分からない。
ま、
暖房にもなるし。
でも、
電車の中で、
あっちこっちでゴホンゴホンやられたら、
メガネの曇りをいとわずに
鼻はもちろん、
メガネの下の目を覆うぐらいに
マスクで覆う。
ひどい咳をする奴に限って
マスクしていない。
マスクをしろこらっ!

・太き字で下手さ紛らす賀状書き  野衾

足業の父

 

・桜木町カップル集ふクリスマス

休日、
ぎりぎり電車に乗り込んだときのこと、
ホッとし回れ右するや、
さらに数歩後に
一人の男と一人の子どもが滑り込んだ。
と、
ドアの外に小さな男児が残された。
ド、ドアが閉まるっ、
と思いきや、
ん!?
ん!?
なんで!?
ドアが閉まらない!
見れば、
男が左ひざの下を折り曲げドアに挟んでいる。
自分が電車に滑り込んだあと、
間髪入れずにそうしたものと思われる。
見事!
天晴れ!
子を思う父の愛!
足業が功を奏し、
ドアが開けられ、
男児は無事に救出、
いや、
電車に乗り込んだ。
「電車に駆け込まないでください!」
思いっきりアナウンスされていた。
アハハハハ…。
が、
足業の父、
まったく動ぜず。
いや天晴れぱれ。

・悲恋ありホテル予約をキャンセルす  野衾

愛は

 

・寒き日は近くで食すランチかな

二十日の金曜日から始めて
この連休、
一日一本のペースで四本の映画を観ました。
(金)『マイネーム・イズ・ハーン』
(土)『ルパン三世 VS 名探偵コナン THE MOVIE』
(日)『マンガル・パンデー』
(月)『かぐや姫の物語』
『マンガル・パンデー』は、
『きっと、うまくいく』で主役を務めたアーミル・カーンが、
こちらでも主役を演じています。
『ルパン三世~』は近所のひかりちゃん、りなちゃんと。
ストーリーは息もつかせぬ展開ながら、
ちょっと気になる箇所がありました。
それはルパンが発する「ふ~じこちゃ~ん」
忘れていましたが、
ルパンの声は、
山田康雄でなく栗田貫一。
“クリカン”に変ってから、
もうずいぶん経つのでしょう。
二人よく似ているので、
かえって違いが際だつのかもしれません。
どっちがどうだというつもりはありませんが、
ただ「ふ~じこちゃ~ん」の発声を聴き、
この「ふ~じこちゃ~ん」には
少し、
でなく、
大きな違和感を覚えました。
大げさに言えば、
愛が感じられない。
山田の「ふ~じこちゃ~ん」は、
それが発せられるたび、
ルパンも男だなぁ、
馬っ鹿だなぁ、
しょうもねえなぁ、
と思ったものでしたが、
クリカンの「ふ~じこちゃ~ん」にそれを感じない。
ちっちゃなことだけど、
大事とも思え。
鼻からのヌケが足りないのか、
それともやりすぎなのか。
山田の「ふ~じこちゃ~ん」から、
わたしは愛はノイズでもあると知らされた。
それは、
大盗賊としての生き方にブレを生じさせるけれど、
それによりルパンの性格描写は
さらに深みを増す。
人間の弱さ、
可愛さをふくめ、
「ふ~じこちゃ~ん」を聴いていたのだと、
今回あらためて感じました。
四日で四本観た映画、
共通するテーマは「愛」
でした。

・考えず手のみ動かす師走かな  野衾

あと一週間

 

・師に倣ひサラリーマンも走りけり

今日が二十日ですから、
二〇一三年も残すところ一週間ほどとなりました。
弊社は、
今月二十八日から
来月五日までお休みをいただきます。
年賀状の宛名書きは、
下手だなぁ
下手だなぁと、
自己嫌悪に陥りがちになりながら、
それでも、
のこり十枚ほどのところまでやってきました。
なんの拍子か、
たま~に、
すこし上手に書けたかな
と思えるものもあり、
そういうときは、
やや楽しい気分に浸ります。
さて今年もいろいろありました。
思い出せないぐらい。
この日記をさかのぼれば、
事実は思い出すことができますが、
そのときの気分までは
完全には思い出せません。
わたしは二度と戻らない!
というタイトルの、
タデウシュ・カントールの芝居を観たのも
はるか昔になりました。

・曇天や雪降る前の泣きの顔  野衾

下手なりに

 

・身が縮むナンバーワンの寒さかな

年賀状書きの季節がやってきました。
宛名も裏の短文も、
下手なりに自分の字で、
つまり直筆で書いています。
下手だなぁ、
つい
つぶやきが洩れ出ます。
いろいろ試します。
たとえば。
詩人の長田弘さんの場合、
「弘」の弓とムがすごく離れており、
なんだかかわいく、
ゆったりのびのびしていて美しい。
ので、
三浦の「浦」のさんずいと甫を
思いっきり離してみるも、
それほどかわいくなく、
美しくもない。
はたまた、
ドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんの字は、
これまたすこぶるかわいい。
「へ」の字がほぼ「一」に近い。
今は慣れたので、
すぐに「へ」とわかる。
真似したくて、
自分の文章にも「へ」を使おうとするも、
なかなか「へ」を使う場面に出くわさない。
ん~。
長田さんの字も、
池内さんの字も、
お人柄、
文章と相まってのものであり、
真似して真似できるものでない。
とほほなのであります。
下手なりに謙虚に、
思い切って
大胆に書くしかありません。

・停留所にナマ脚居たり十二月  野衾

谷川健一さん

 

・目だけ出し完全防備の師走かな

写真集『九十九里浜』を出したとき、
ある出版社の編集者から、
写真集を見に訪問したい旨の電話がありました。
民俗学者で歌人の谷川健一さんから、
あれはいい写真集だから見ておくようにとおしえられ、
それで、とのことでした。
来社した女性編集者は、
しばらくページを繰って眺めたあと、
一冊買って帰りました。
それが谷川さんとのそもそものご縁でした。
その後、
専務イシバシは、
彼女の故郷である九十九里浜に、
谷川さん、編集者、出版社の社長と同行し、
『九十九里浜』の写真家・小関与四郎さんの車で
一日、旅をしたのでした。
そのご縁で、
弊社からは『古代歌謡と南島歌謡 歌の源泉を求めて』
『谷川健一全歌集』の二冊を出しました。
先週、
ある雑誌を見ていたら、
谷川さんの追悼号になっており、
特集の冒頭ページに
ナマ原稿の写真が掲載されていました。
見たことのある原稿。
それは、
春風社の十週年を記念する目録新聞のために、
谷川さんからいただいたものでした。
たしかファックスで頂戴したはずですから、
元の原稿が
お手元に残っていたのでしょう。
もう四年前になります。
「春風に寄す」と題し送られた歌は以下の通り。

○人生の最後の舞台を下(おり)しわれ春風(はるかぜ)せめて花吹雪せよ

○獄窓より柳絮吹き入り春の風生(せい)の息吹きのよろこび伝ふ

○春の風吹く日はかなし突堤にのぼれば見ゆる常世の桜

○公園の古きベンチに春風(はるかぜ)と無為楽しむを日課となせり

○夜明けの海に春風(はるかぜ)わたり雑魚の群湧き立ちにけり銀のかがやき

歌をくださったのが二〇〇九年の春。
歌に歌われた時をかさね、
今年八月二十四日に他界されました。
ご冥福をお祈りします。