Archives : 11月, 2013

脳刺激

 

・天園の紅葉かつ散る峠かな

代理店を通じて去年の秋注文し、
春に入荷したホワイツの靴を、
きのう初めて履きました。
書き初めならぬ
履き初め
歩き初め。
ワークブーツのため
靴底が硬く
しっかりしているので、
歩くごとに踵から脊髄を通って
コツコツ、
脳までそれが
ずんと響いてきます。
はは~。
ふだんあまり感じませんが、
下ろしたてなので、
もろもろ
新鮮に感じられたのでしょう。
中学高校の理科で
生物発生について習いましたが、
たしか
脊髄と脳は
同時にできてくる
のではなかったでしょうか。
受精卵が分割を繰り返し、
さまざまな器官が
爪楊枝で刺したときの
まりも羊羹のごとくに
つぎつぎ現れる生命の不思議。
何度見ても不思議。
妙。
奇天烈。
目が離せない。
あんなに面白いものは
滅多にあるものではない。
交通の便がよくなり
歩くことをあまりしなくなった現代人と
ひたすら歩いた
むかしの人とでは、
考えた結果もさることながら、
考える過程が
そもそも違っていたのではないか、
なんてことを
歩きながら考えました。

・耳澄まし道履む秋の深きかな  野衾

父との会話

 

・秋深し沈黙の空明けにけり

「もーしー。おみゃ、25、誕生日だったべ」
「んだ」
「んだべ。25がおみゃ、26がおやじ、28がしゅん」
25日がわたしの、
26日が九十八歳で他界した祖父の、
28日が甥っ子の誕生日。
父はそのことを電話で言ったのでした。
「わすいであったよ。ゴメンな」
「ええって。ええって」
「25になったったが?」
「25でにゃ。ごじゅうろぐだ」
「あ、んだが。ごじゅうろぐが」
「あや」
あや、とは「そうだ」の意。
「ごじゅうごだべ?」
「んでにゃて。ごじゅうろぐだて」
んでにゃ、は「そうでない」の意。
「んだが。にじゅうごにぢでごじゅうろぐが」
「あや。にじゅうごにぢでごじゅうろぐだて」
「んだべ」
んだべ、は「そうだろ」の意。
「んだべって。おみゃが、ごじゅうごってまぢがったんだべ」
「んだてが」
「んだよ」
秋田県以外の方には、
ほとんど外国語のように思えるかもしれませんが、
十一月のこの時期、
誕生日が立て込み、
25日がわたし、
26日が祖父、
28日が甥っ子。
しかも、
25日にわたしは
55歳から56歳になるというわけで、
5と6が
日にちと歳で錯綜し、
なんだかややこしい。
わたしだって数字を間違える今日このごろ、
八十を過ぎた父が間違えるのは当然。
ええって。ええって。
ちなみに
「ええって。ええって」は、
いいよ、いいよ。

・紙敷いて窓下寝釈迦の小春かな  野衾

これを書いたら

 

・言の葉の色を増したり秋の暮れ

朝起きて歯をみがき、
パソコンに向かってこれを書いたら、
コーヒーを淹れます。
このごろは
挽いた豆の皮を飛ばす技をおぼえ、
またその技に
みがきがかかり、
一杯のコーヒーが
ますます甘く
美味しく感じられます。
アルコールランプで熱せられたお湯が
フラスコからゆっくりと上昇し、
上がりきる前に
竹べらで左に二回、
すべてロートに上がったら
右に五回まわし待つこと七十秒、
アルコールランプを外して炎に蓋をします。
コーヒーがゆっくり下降しはじめ、
たちっ、たちっ、たちっ。
フラスコ内の透明な
コーヒーの面が安定したら、
あたためておいたコーヒーカップにコーヒーを注ぎ、
まず一口。
もう一口。
ああ。
至福の時間。
朝日はまだ昇ってきません。

写真は、まるちゃん提供。

・我もまた此の道を行く紅葉かな  野衾

プラスαマイナスα

 

・もみつるや季節を漉して風渡る

わたくし、
きのうで満五十六歳になりました。
今年入社した新卒の女性の誕生日がわたしと同じで、
彼女はきのうで二十三。
このちがい!
二十三を倍にしてもまだ四十六。
嗚呼。
ところで、
この五十六という数字、
なかなか微妙です。
五十五歳というのは、
わたしとしては、
五十二プラスαぐらいの感覚でしかなかった。
ところが、
五十六歳となると、
還暦の看板が見えたりして、
どうしても
六十マイナスαみたいな気になってしまう。
もはやおおっぴらに
バカができなくなってしまう。
(やると思うけど)
ということで、
五十六を噛みしめた一日でした。
五十六って、
ごじゅうろくだけど、
いそろくとも読める。
山本五十六。
第26、27代連合艦隊司令長官。
関係ないか。
ふ~。
五十六と思わずに、
五×六=三〇(ごろくさんじゅう)
ということで、
三十歳ぐらいのつもりでいくか。
誕生日にはいつも、
秋田の父から
「きょう、おめのたんじょうびだなぁ」
と電話があるのに、
今回はなかったなぁ。
ま、いっか。

・黙しつつ友と踏み踏む秋の道  野衾

約束

 

・鎌倉へ金沢からの道の秋

全十巻の
『新井奥邃(あらい おうすい)著作集』が
二〇〇六年に完結したとき、
それを記念し、
民俗学者また歌人としても名高い、
今年惜しくも他界された
谷川健一さんと対談(対談の内容は別巻月報に収録)
する機会がありました。
対談の最後、
谷川さんにお礼を申し上げたあと、
わたしは
「全巻そろったところで、
今度は編集者としてでなく一読者として、
ぼくはもう一度奥邃を読み返すつもりです」
と宣言しました。
それから七年目にして、
昨日、
自分との約束を
ようやく果たすことができました。
鉛筆で線を引いたり、
付箋を貼ったりしながら
緊張しつつ読みすすめてきましたが、
何よりもまず感じたのは、
字を大きくしておいてよかった
ということです。
いちいちメガネを外す必要がなかった。
これなら、
もっと歳がいってからでも読めます。
今回読んでみて、
奥邃のもとに集まった人びとに
編集時にもまして
さらに興味をおぼえましたが、
とくに、
わたしが今年前期に講義をした
十文字学園女子大学の創立者・十文字ことの夫、
十文字大元がその一人であったことを確認し、
驚くと共に、
ご縁の不思議を
感謝せずにはいられませんでした。
十文字大元と奥邃とのかかわりを
いまの学長に伝えたところ、
学長もご存じなかったらしく
驚かれておりました。
十文字大元は、
宮城県遠田郡出身の実業家です。

・かさかさと秋をささやく能見台  野衾

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三浦衛(みうら・まもる) 春風社代表にして自慢大王&悪ノリ大王。体調のいいときは自らを天才と称し、不調の折はちりあくたにも劣るヤツとしょんぼり。

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三浦衛の本


『カメレオン』
 三人ときどき声にならぬ声を洩らし/とろけ とろけ 唾までとばし/クヂるとナメるとネヂるとチョす…(「鳶」) 自在に色を変え、不意に突き刺さる、軽妙なことばの戯れ。秋田方言満載の詩集。本文は金属活字による活版印刷。


『マハーヴァギナまたは巫山の夢』
 三平佐世夫は、千一夜の夢うつつで女と戯れ、印度に旅し、睾丸を抜かれ、鰐を飼い、横浜を彷徨う。言語の崖っぷちを綱渡りする、めくるめく冒険。本文活版印刷に美麗造本を施した平成の大奇書。


『父のふるさと』
 父の目に映じた故郷の風土、ひと、くらし、農事を、愛惜をこめ描きだす。本文は金属活字による活版印刷。「身と蓋函」に納める。


『出版は風まかせ』
 横浜の出版社「春風社」社長が本づくりと会社経営にまつわるエピソードを豊富におりまぜ、創業から10年を振り返る。