ふとごべ

 

・天気予報けふも夏日と告げにけり

著名な作家さんが声をかけてくださり、
それはとてもありがたいことで、
あるパーティーに参加してきました。
海の見えるホテルの最上階、
目に綾なレストランで、
フランス料理のフルコースをいただき、
なごやかな雰囲気のまま会は進行していきます。
各界のお歴々がつどうパーティーながら、
肩の凝るようなものでは決してなく、
ときどき笑いが起こるような、
実際、
新参者のわたしまで
つられて何度も笑ったぐらいですから、
たのしい、
すてきなパーティーだった
とは思います。
が、
そうした集まりに身を置いていると、
毎度のことながら、
変な虫がうごめいてくるのを
どうすることもできません。
時間が気になり始め、
腕時計に目をやりたくなる自分を、
眼球が下に向かわぬよう
こらえるのに必死でした。
秋田の方言で「ふとごべ」という言葉があります。
「ふと」は「ひと」、
「ごべ」がどこから来たのか
調べがついていませんが、
「ふとごべ」する、
とは要するに
「人見知り」すること。
子どものころ、
家に大人たちが集まり
飲み食いするのを
暗い部屋から
台所のゴキブリよろしく
そっと覗いていたものですが、
あのころの癖が
いっこうに治っていないようなのです。
結局、
わたしには、
クサヤとパーティーは合わないみたい。
ようやく会がお開きになり、
しかるべき人に
しかるべくあいさつを済ませ、
早々に会場を後にしました。
ゆりかもめに揺られながら、
「ふとごべ」の魂を
墓場まで持ってゆかねばならぬのかと、
とほほな気分で
夜の海を眺めていました。

・段段の雲紅に染まりけり  野衾

 

・鬼灯を少女の母は鳴らしたり

『ファーブル昆虫記』を読んでいるせいか、
いや、
そんなこともないとは思いますが、
歩いていると
よく虫に出くわす。
このごろは蝉。
羽一枚だけ
道路からにょっきり生えでもするかのように
上を向き、
ふるふると動いてい、
なんだこれ
と思って近づいて見れば、
蟻が一生懸命に運んでいる図でした。
自分の体の何十倍もありそうな蝉の羽を
巣まで運ぶつもりなのでしょうか。
羽がついていた胴体は見つからず。
何メートル何十メートル運んできたのか。
全くおそるべし蟻、です。
それはともかく、
生を終えた蝉の死骸を一日に何匹も目にする。
その度に
そっと手に取り、
辺りを見回し
よさげな蝉の墓場を見つけ
静かに葬り掌を合わせるのですが、
ときどき、
つまんだ瞬間
ばたばたと羽を動かすものもいて、
だいじょうぶだよと言ってみる。
なにがだいじょうぶ?
賢治なら、
怖がらなくてもいいと言うか。
さて今日から七巻目。

・八月もあと三日の命なり  野衾

頬を噛む

 

・涼しさや思はずこゑに出でにけり

食事をしていてどういうはずみか、
頬の内側や唇の裏、舌を噛んでしまうことがあります。
噛んだ瞬間、
やっちまった! と思うものの、
さほど痛いわけではありません。
指で触ってみると、
唾液に混じってうっすら血がにじんでいる。
ところが、
これがなかなか治らない。
噛んだときのことを
つらつら思い出してみます。
すると、
ある共通した状況が目に浮かんできた。
それは、
店が混雑していて
梟のように身を細め、
窮屈な思いをしながら食事をしているとき
ではなかったかということ。
狭い空間で身を細めていると、
口の中まで狭くなり、
それで歯があちこち当たったり
噛んだりすることになってしまうようです。
あとは疲れてボーッと寝ながら食べているようなとき。

・胸いつぱい深呼吸の秋となる  野衾

待つしかないか

 

・忙去りて独り待ちにし秋は来ぬ

インド映画の傑作 3 idiots
(邦題「きっと、うまくいく」)
のDVDがアマゾンでようやく予約開始
ようやく予約(笑)開始になり、
さっそく注文。
映画館に四度足を運び、
そのたびに
笑ったり泣いたり笑ったり、
洟をすすったりもしましたが、
それでも飽き足りず、
パソコンを立ち上げると、
ということは
一日も欠かさず、
「きっと、うまくいく」と入力し、
DVDの発売はまだかまだかと心待ちにしていました。
きのう、
その願いがやっと叶いました。
が、
発売日は十二月三日。
まだ三ヶ月以上先のことです。
とほほ…。
いやいや嘆くまい。
果報は寝て待てというではないか。
世知辛い世の中、
好きな映画のDVDが届くのを待つことにし、
友と映画の話をしながら、
美味い酒でも酌み交わそう。
届いたら、
あと百回は観ることになるでしょう。
アーミル・カーン最高!

・南島を夢見憧れ秋に逝く  野衾

笑い声

 

・廻る季やバントンタッチの虫の声

元住吉の鍼灸院での話。
六、七年ほど通っているので、
先生とすっかり親しくなり、
だけでなく、
お客さんのなかにも
声だけですが、
いつの間にか親しくなった人がいます。
カーテンで遮蔽されただけの空間にベッドが置かれ、
そこで療治してもらいますから、
声はとってもよく聴こえるのです。
いつものAさんが
隣りに入りました。
きょうは十時からなのでしょう。
初めて彼女の声を聴いたとき、
Aさんはまだ中学生。
その後、
高校、短大と進み、
今年就職が決まったはず。
カーテン越しの会話から、
そんなことまで分かってしまいます。
別に悪いことでもありません。
一度だけ、
療治前のAさんとあいさつしたことがあります。
長い付き合いだからでしょう、
Aさんとは先生もリラックスした様子。
ほどなく。
「うちの奥さん変っててね」
「天然なんですよね」
「そうそうそう」
「なんかあったんですか?」
「あったのあったの。こないだ中学時代の同級会があったんだけど」
「ふんふん」
「奥さん何を思ったのか、同級生に向かって」
「ふんふん」
「あはははは」
「先生、笑わないで教えてくださいよ」
「ごめんごめん」
「奥さんが同級会に行って、それからどうしたんですか?」
「ある人に向かって」
「ある人に向かって」
「ところであなたいくつになったの?って」
「え!? 同級生に向かって?」
「そう。おかしいでしょ?」
「おかしい!」
「ね。いくら天然だからっていってもね…」
「そうですね」
「ははははは」
「ははははは」
Aさんの笑う声は中学生のときのままでした。

・八月を歩きここまで来てゐたり  野衾

パッパニーニョ

 

・図書館に舟虫人の集ひをり

会社の夏休み前、
単身赴任先から一時帰ってきていた
ひかりなちゃん(ひかりちゃんとりなちゃんで、ひかりなちゃん)の
パパが車を出してくれ、
いっしょに城ヶ島へ遊びに行きました。
その時撮った写真は
すでにここにも何枚かアップしました。
日がな一日夏の海を堪能したあと、
帰りの車を運転していたパパが、
「珈琲の美味しい店がこの辺りにあるはずだけど、どうする?」
と、まるちゃんに訊いています。
ひかりなちゃんのママは、
われわれのあいだではまるちゃん。
まるちゃん「行く行く!」
間髪入れずの即答。
さてそこは、
葉山の住宅地のなかでした。
なんとも羨ましいロケーションに、
なんとも羨ましい佇まいの珈琲店があり、
若く美しい女性に案内されるまま店内へ。
ドアを開けると
正面ど真ん中に水出し珈琲の
大きな器具が据えられています。
ぽたりぽたりと茶いろの宝石水が落ち、
ゆったりまったりした時を演出しています。
お店の名前はパッパニーニョ。
さりげなく写真が数枚飾られているなかに、
だれもが知っている
有名な女優さんの写真もありましたが、
一枚、
なんだかどこかで見たことのある
外国人が写っている写真がありました。
この人、
どっかで見たことある。
ひょっとしたらひょっとして???
美味しい珈琲と
極上の時間の余韻に浸りながら帰宅した後、
さっそくパソコンを立ち上げ
パッパニーニョを検索。
あの美味しいコーヒーを
自ら淹れてくれたオーナーは、
二宮寛さんといって、
知る人ぞ知る
日本を代表するサッカー選手であり、
日本代表チームの監督も務めた伝説の人なのでした。
パッパニーニョという店名は、
皇帝とよばれた伝説の男、
あのフランツ・ベッケンバウアー命名によるものだとか。
それでカイザー・ブレンドか!
へ~、で、は~、なパッパニーニョでした。

・編集は五十過ぎたら辛くなる  野衾

ひょっこりひょうたん胸

 

・汗一斗水一斗の出入りかな

連日暑い日が続いています。
なかなか涼しくなってくれません。
寒さは度を超すと痛みに変りますが、
暑さも同じで、
このごろは外に出たとき
「暑い」と感じるよりも
「痛い」と感じるときがあります。
忍者のごとく、
またサワガニのごとく、
日陰をさがしてはササッと渡り歩きます。
と、
妙な看板を目にしました。
へ~、
こんな看板見たことない。
はじめて見ました。
下の写真がそれです。
立ち姿がちょっとなさけない。
でも、おかげで、
うっとうしい暑さと眩しい光にうだるようになっていた
頭と体がすこし元気に勢いづきました。
また日陰をさがして
坂道を上っていると、
上から下りてくる女性に目が行きました。
年のころ六十くらいでしょうか。
薄いグレーのTシャツを着ているのですが、
胸に変った大きな模様。
ひょっこりひょうたん島をあしらった
とでもいうちょうな、
白っぽい山が横並びにボンボンッとあって
それがつながっ。
はっ!?
すれちがいざまよく見ると、
模様に見えたのは
模様でなく、
ブラジャーの部分だけが汗に濡れ残り
そこが島のように見えるのでした。
そこを外しては体じゅう、
まったく海のようにどっぷり濡れているのです。
写真に撮ったら、
今年の暑さを象徴する
素晴らしい写真が取れたと思うのですが、
いくら悪ノリのわたしでも、
さすがにそれははばかられました。

・捧げ持ち喉を鳴らして麦酒かな  野衾