筆一本

 

・隠れしが見られたければ現れり

ある物書きが言いました。
小説家というものは、楽な商売だ。
筆一本あれば、あとは何にもいらないのだから…。
それはそうかもしれないなぁと、
ぼんやり想像しないでもありませんでしたが、
泉鏡花を読んでいると、
いやいやどうしてどうして、
とんでもない間違いであることを思い知らされます。
むしろ、
筆一本で書くということは、
なんと恐ろしくも素晴らしいことかと。
谷沢栄一・渡辺一考編による
『鏡花論集成』は、
名だたる作家や学者たちが鏡花をどう読み、
どう評価してきたかをドカンとまとめたもので、
鏡花好きには無類に面白い本ですが、
そのなかに、
小林秀雄の「鏡花の死其他」という文章があります。
小林は、こんなことを言っています。
「文章の力といふものに関する信仰が殆ど完全であるところが、
泉鏡花氏の最大の特色を成す。
文章は、この作家の唯一の神であつた、
と言つても過言ではないので、これに比べると、
殆ど凡ての現代作家達が、信心家とは言へない。
多くの神、多くの偶像の間を、彷徨してゐる。」
文章が神。
なるほど。まさしく!
筆一本で書く、
そのことの素晴らしさと恐ろしさを、
小林はそのように表現しています。
震災が起きて、
なにをどう読もうかと思ったときに、
にわかに浮上してきたのが鏡花と源氏物語でした。
わたしにとりまして、
一つの大きな発見でした。
ここからはじめようと思ったのでした。
ということで、
次回「春風目録新聞」の特集は、
「わたしの源氏物語」です。乞うご期待!

・中を避け炎天通りの禿げ頭  野衾