こころはどこに

 

・現れてメタル舟虫サッと消ゆ

二十五年ほど前、
ネパールを旅したときに、
カトマンズで「見ざる、聞かざる、言わざる」の
木彫りの三猿像を買いました。
店で買ったわけではなく、
頭陀袋を肩から腰に斜めにかけた
売人から買ったものです。
日光東照宮のものが有名な三猿像。
また、
見ザル聞かザル言わザル
というぐらいですから、
とうぜん日本語の猿(さる)との語呂合わせ
からできたものと勝手に考え、
日本発祥だろうと思い込んでいたら、
どうもそうではないらしい。
古代エジプトにもあるということですので、
やはり浅知恵は禁物。
英語では、
Three wise monkeysというそうです。
wise「賢い」の反対は「愚か」。
どこが発祥かはともかく、
おこないを慎み「こころ」を落ち着かせ、
行動の規範としたものであることはまず間違いないでしょう。
では、なぜ猿なのか。
曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を読んでいたとき、
猿馬と書いて「こころ」
とルビが振られている箇所がありました。
ハッとしました。
猿はご存知のように、
キャキャッ、キャッ、キャッと実に落ち着きがありません。
落ち着きのなさにかけては
日本の猿もアフリカの猿も変わりません。
馬はまた千里馬という言葉があるくらい、
遥かかなたまで駆けていきます。
落ち着きのない猿と
遥かまで駆ける馬に
人間の「こころ」を見たのは、
馬琴先生の発明というよりも、
中国伝来の発想かなという気もします。
いずれにしても、
「こころ」の不思議をとらえて興味深い。
「こころを離れられず 漱石、聖書、源氏物語」
の拙稿が秋田魁新報に掲載されました。
コチラです。

弊社は、明日より18日まで夏期休業とさせていただきます。
よろしくお願いします。

・シュノーケル波にストロー城ヶ島  野衾