全集のある本屋

 

・雪だるま一日経ってしょぼくれり

詩人の長田弘さんが、
書店でなく本屋が好きとどこかに書いていましたが、
いまは書店が多くなり、
本屋とよべるような本屋は
ほとんど見かけなくなりました。
古本屋がかろうじて本屋でしょうか。
本屋には全集がありました。
よく行っていた本屋の二階、
文庫本のコーナーの奥の一角に、
個人全集がずらりと並び、
独特の空気がただよっていました。
文庫本を二、三冊買ってからそこへ足を運びました。
ゲーテ全集は入ってすぐの棚、上から二段目、
ゴーゴリ全集はその下の棚、
本居宣長全集は左奥の下、
小林秀雄全集は正面の目立つところ。
いつ行っても同じ場所に鎮座して、
まるで村の外れの社のごとく。
手を合わせることはしませんが、
社があってこそ
村は村の魅力を湛えていたように、
全集があってこその本屋であったと思うのです。
画竜点睛を欠くということばがありますが、
全集は、
いわば睛(ひとみ)のようなもので、
ひとみのない龍は
空を天がけることができません。
お気に入りの本屋から全集が取り払われ、
わたしはいつの間にか足を運ばなくなりました。
全集のない本屋なんて、
なんて…。
場所をとる全集が、
場所をとるからという理由で取り払われた時点から、
本屋が本屋でなくなった
という見方もできるかもしれません。
本屋のない街は寂しいだけでなく、
おもしろみに欠けます。
頑固オヤジをからかう子どものこころ。
頑固オヤジのこころのやさしさ。
頑固オヤジのそばにいる楽しさ安らぎ。
全集は頑固オヤジそのものでした。

・格好よりも肌身離さずホッカイロ  野衾