紫式部と聖書

 

・一月の日をていねいに過ごしたり

このところ源氏物語をずっと読んでいますが、
作者の紫式部についてあれこれ想像し、
しているうちに作者が身近に感じられてもきます。
なにによらず
長編小説を読むと、
そういう特典が付いてきます。
このごろ勝手に思うのは、
ありえない想像ですが、
もし紫式部が聖書を読んでいたら、
どんなふうに読んだだろうかということ。
このひとの想像力、感性、洞察力、
明晰さをもって
聖書を読んでいたら、
どんなふうに読み解き、
何を感じ取ったでしょう。
信仰をもったでしょうか。
たとえば、
「マタイによる福音書」六章三四節。
きっと目を留め、
見過ごしにしなかった気がします。

・読書中現れ出でり冬の蜘蛛  野衾