新幹線チケット

 

 出てみればどっと重たき冬の雨

いつも行く格安回数券売り場を覗いたら、
正月六日までは使えないとのことなので、
あきらめてJR緑の窓口へ。
くねくねと蛇のような列の後ろに並び、
途中途中に置いてある「間違い探し。間違いが10個あります。
すべて正解の方には拍手を送ります」
のプレートで気を紛らわしているうちに、
最前列になり、
声をかけられました。
なるべく安く買いたいので、
「あのー、わたくし54歳なのですが、
東京―秋田往復のチケットを安く買う方法はないですか?」
と質したところ、
マスクをした若い男性は、
にこりともせず、
「一般的には年齢によるサービスはございません。
ただ、ふるさと行きの乗車券というのが使えますからお勧めします」
ということでしたから、
それをお願いしました。
正確には分かりませんが、
格安回数券と同じぐらいの値段ではないでしょうか。
訊いてみる野茂です、いや、ものです。

 枯葉踏み一足ごとの山猫軒

よこはま本への旅

 

 校正後立ちてふらりとよろけたり

NPO法人ツブヤ大学とヨコハマ経済新聞とのコラボ企画
「Book学科ヨコハマ講座 よこはま本への旅」
の第2回が「新文化」に掲載されました。
コレです。
取材、執筆、掲載の労をとってくださったのは、
新文化通信社の冨田薫さん。
薫と書いて「たぎる」と読みます。
昨年秋田で開催されたトークイベントには、
わざわざ車で駆けつけ取材してくださいました。
まさに闘志たぎる!です。
こちらの意図を汲んでくださり、
打てば響くような対応ぶりにいつも感心し、
感動します。
ありがとうございました。
「よこはま本への旅」第3回は、
今月21日午後8時から、
作家の山崎洋子さんをお招きし、
「ホテルから横浜が見える」と題しお話を伺います。
会の最後に最新刊『横浜の時を旅する』(春風社)の
販売とサイン会を行います。
ふるってご参加ください。
お申し込みは、
ツブヤ大学のサイト(こちら)をご覧ください。

 文字通り走ることあり十二月

ましゅぐなれ

 

 冬の朝ページするりと滑りけり

わたしのふるさとでは、
腰抜け、臆病者のことを「ましゅぐなれ」と言います。
「ましょぐなれ」とも言うようです。
死ぬ直前の祖父に向かい、
父は「ましゅぐなれ」と叫び、
涙ながらに体の表と裏を拭いてあげていました。
忘れられません。
秋田の無明舎出版から上梓されている『秋田のことば』に、
語源が出ていました。
「生まれ損ない」が元だというのです。
鹿角を除く県全域に分布していると記されています。
さっそく父に電話して確認したところ、
元の意味までは知りませんでした。
自分の親に対して父は、
「生まれ損ない」と叫んでいたことになります。
言われた祖父も、
意味を知っていなかったでしょう。
「ましゅぐなれ」に似た言葉に
「だんこのげ」あるいは「だんこぬげ」があります。
脱肛が元の意味で、
腰抜け、臆病者、弱虫の意で使われます。

 寒空や神の魚の踊るころ

むで

 

 友来りラーメン啜る音を聴く

石巻出身のカメラマン橋本照嵩のお父さんは、
村田英雄の声を評し、つくづく
「むでな声だなあ」と言ったそうです。
むでな声。
むでは無手でしょうか。
無手勝流という言葉もあります。
村田英雄が生きていて、
石巻の仮設住宅地区の地面に蜜柑箱を置き、
裏返したその上で無法松の一生や皆の衆を歌ったら。
そんな想像をしながら、
橋本さんとむでな村田の歌に聴きほれました。

 一献の純米吟醸腹温む

年賀状

 

 海鼠酢を噛みて坂道色付けり

毎年、矢萩多聞さんの絵とデザインによる
年賀状を印刷します。
数パターンのラフが送られてきて、
社員みんなで、どれがいい?
楽しい時間です。
動物や魚や人間やよく分からない生き物が描かれており、
見ていると思わず、へへへ。
もらう人もおそらくへへへじゃないでしょうか。
年により、
社員の好みが分かれることもありますが、
今回はかなり一つに集中し、
すんなり決まりました。
賀状書きは時間がかかりますが、
一年を振り返るのにとてもよいので、
虚礼にしたくありません。

 五歩のうち二葉散り来て見上げたり

楽しいこと

 

 雪ドサリふるさと山に人もなし

つらいことや悲しいことやおっくうなことは、
引力でもあるのか、
それを思い浮かべようとしなくても、
気持ちも頭も、
そちらへ引っ張られて、
もやもやぐるぐると渦巻いています。
意識するしないにかかわらず、
いつの間にか。
だから、
なるべく楽しいことを思い浮かべます。
一年先、一カ月先、一週間先、明日。
今日は、
『乱歩彷徨』を装丁してくださった毛利一枝さん
が福岡から来られます。

 はるばると遠近失す冬野かな

目で歩く

 

 まなこ閉じ凩を待つ月初め

本を読むのは旅に似ていると思います。
どういうところがといえば、
疲れ方が。
インドを旅した。
原稿も一冊の本も、ゆっくり、ゆっくり、
目で文字を追う、
というよりも、
目で文字をふみ、
文字づたいに歩いていきます。
そうすると、いつの間にか、
遠くまで来ていることに気づきます。
意味はまだ分かりません。
それも旅に似ています。

 凩や悲しき母の佇めり