ミニうに丼

 

 さて一献こみらと旨し子持ち鮎

今年の社員旅行の際、一関の富澤さんに寄ったことは
以前ここに書きましたが、あのキンキ焼きともうひとつ
忘れてならないものがありました。
ミニうに丼です。
下の写真をご覧ください。
ミニうに丼といいながら、うにの量が半端ではありません。
わたしはつい、丼の端に箸を入れ、端に箸を入れ、
(はい、ダジャレです)厚さを測りました。
値段も2900円とミニとは言えません。
驚いたのは味です。
量で驚かせる店は他にも知っていますが、
富澤さんのは味が違います。
厨房を見たわけではないので、正確なことはわかりませんが、
生のうにをその場でさばいて
丼に持っているのではないかと思われます。
なぜそう思ったかといえば、
出てくるまでに結構時間があったからです。
キンキ焼きよりも後に出てきました。
あれだけ大きいキンキ焼きですから、
焼くのにも相当時間がかかるはずです。
なのに、うに丼のほうがキンキ焼きよりも後に出てきた。
それはやはり、
さばくのに時間がかかるからではないでしょうか。
そもそもこの富澤さん、
九年前の社員旅行で一関の駅に降りたとき、
駅員に尋ね教わったお店でした。
駅員は言下に「それなら富澤さんでしょう」と
教えてくれました。
豪勢なキンキ焼きとミニうに丼を食するのは、
(さらにホタテ汁、これまた絶品!)
なんとも贅沢な話ですが、
一年に一度、富澤さんのキンキ焼きとミニうに丼を
味わうことを目標に、仕事をがんばろうと思います。
一関に行かれる際には、
菅原昭二さんがやっているジャズ喫茶ベイシーと
富澤さんを訪ねてみてはいかがでしょう。
ベイシーと富澤さんは、歩いて六、七分の距離です。

 ゴミの日の裏冷ややかに驚きぬ

090927_1904~0001

正紀叔父の笑い

 

 生き仏ら騒ぎ師の声天高し

いきなりですが、わたしの父の名は進。一字です。
すぐ下の弟、わたしにとっては叔父、の名は勤。
これも一字。
わたしが衛で、弟は覚。従兄弟たちも、
隆、力、誠、治、透、正、健、亙、などなど、
一字の名前が多い。
そのように、一字の名前が多い一族なのですが、
まれに二文字の名前の人がいまして、
正紀叔父はそのうちの貴重な一人。
その正紀叔父、先日、朝三時ごろ、
布団の中で突如大声で笑い出した。
驚いたのは、隣で寝ていたおばさん。
「なした? なした?」
「なした」は秋田方言で、「どうした」の意味。
訊けば、正紀叔父、拙著『出版は風まかせ』の
「著作権」の章を読んでいて吹き出したのだとか。
「ああ、衛も都会に出て、いろんな人に揉まれ、
ずいぶん苦労したのだなぁ、あははははは…」
という訳なのでした。
その話を、わたしは母から電話で聞きました。
おばさんがわたしの母に会ったときに、
そのことを告げたのだそうです。
それにしても、と思いました。
正紀叔父の笑いの質は、
たしかに我が一族に共通するものである、
と妙に腑に落ちた次第。
ちなみに、正紀叔父は夜通し読んでいたわけではなく、
朝目が覚め、眠れなくなり、
そうだ、衛の本でも読むか、となったようです。

 秋うらら美智也の声の夢千里

200909301723

えらそうな人

 

 鰰の眼のうるうると出張りけり

久しぶりのえらそうな人でした。
このごろ風が気持ちいいので、
会社入口のドアは開け放していることが多いのですが、
ゆっくり、のっそり、えらそうな人は入ってきました。
いきなり、「○○君はいるかね?」
挨拶もなにもなしに、「○○君はいるかね?」
いますか? でなく、いるかね?
しかも両手を後ろに組んだりしています。
ははぁ、どこかと間違えているなと思いましたから、
わたしは自分の席から、
「ここは春風社という出版社です」と叫びました。
えらそうな人は、しばしきょとんとしています。
ウチのテラチーオカチーが、気を利かして
えらそうな人に近寄り、どちらへおいでですか、
とかなんとか尋ねています。
えらそうな人は、「それなら、△△君はいるかね?」と、
あくまでもえらそうに部屋を出て行きました。
わたしは、えらそうな人が嫌いです。

 鰰の潔き身をほぐしをり

200909260954

吉郎さんのこと

 

 新米を配り独酌高いびき

出版は風まかせ』について、
多くの方から感想を寄せていただいています。
ありがとうございます。
先日、小・中学校の同級生Nくんのお兄さんの奥様から
うれしいメールをいただきました。
本を出さなければ、
メールをいただくこともなかったかも分かりません。
わたしが帰省するたび会っている同級生のSさんから
メールアドレスを教えてもらったとのこと。
SさんとNくんのお兄さんの奥様は、
コーラスの仲間です。
Nくんのお兄さんを、吉郎さんといいました。
Nくんやわたしより三つ上です。
奥様からメールをいただき、
吉郎さんのことを懐かしく思い出しました。
今は統合されて、井川小学校になりましたが、
わたしが通ったのは井川東小学校でした。
朝、部落ごとに集団で登校します。
部落といっても、歴史的な被差別部落のことではなく、
まとまった集落のことを地元では「部落」と呼んでいました。
今で言う「町内」という単位です。
部落ごとに登校し、それぞれ教室にランドセルを置くと、
すぐに体育館に集まります。
集まって何をするかといえば、相撲です。
板敷きの体育館にペンキで円が描いてありましたので、
それを土俵に見立て、部落ごとに対抗で相撲を取るのです。
円は三つしかありませんでしたから、
早く登校した部落がその権利を得ることができました。
ですから、低学年生は陣地を取るのに必死でした。
さて本番は、低学年生から順番の勝ち抜き戦です。
同級生のNくんは、小柄ながら強かった。
ところでNくんのお兄さんの吉郎さんは、
当時、学校中で一番強かったでしょう。
もう一人、小泉部落で強い上級生がいましたが、
それでも吉郎さんの強さには敵わなかったはずです。
わたしは、吉郎さんと相撲を取るのが好きでした。
なぜかといえば、けして乱暴なことをしなかったからです。
上級生の中には、自分の強さを誇示するかのように、
下級生を力任せに投げ飛ばす人もいましたが、
吉郎さんのは、そういう相撲ではありませんでした。
組んでみれば、いや、組まなくても、
自分より圧倒的に弱いと分かる相手に対しては、
手加減というのでなく、四つに組みながら、
実践で教え諭すように土俵の外へ運びました。もちろん、
投げを打つこともありました。
子ども心に、エライ人だなと思ったことを覚えています。
だから、吉郎さんと相撲を取るときは、
文字どおり、胸を借りるつもりでぶつかっていったものです。
吉郎さんは、学校を卒業後、町の役場で働いていましたが、
先年、病気のため、若くして亡くなりました。

 銀杏散る奥のほっこり山猫軒

090704_1529~0002

紙の本

 

 カフカ置き外へ出でしが秋の宵

本を紙でなくディスプレイで読むのが
普通になりつつありますが、世の趨勢ですから、
それはそれとして、弊社としては、
料理を盛るのに手びねりの器でするのをイメージし、
美味しい文字たちを見、触れ、読むのに、
これからも紙にこだわって行きたいと思います。
そんな気持ちで、
次号「春風目録新聞」の特集のテーマを「紙の本」にしました。
今回新たに、詩人の長田弘さんに詩を、
資生堂名誉会長の福原義春さんにエッセイをお願いしたところ、
お二方とも快諾してくださいました。
福原さんから昨日原稿が届きました。
「本の香り」がそのタイトルです。
福原さんは経済界随一の読書家として夙に有名で、
福原さんの近著『だから人は本を読む』がスコブル面白く
共感と感銘をもって読んだばかりでしたから、
こんなにうれしいことはありません。

 仲秋や飯(いひ)炊く祖母の割烹着

090927_1440~0001

編集者

 

 飯(いひ)炊けてねんねこの児の眠りかな

ヤスケンこと師匠・安原顯さんは、生前わたしに、
「三浦くん、編集者は合わない仕事だよ。
オレは生まれ変わっても編集者にだけはならねーよ」
ヤスケンは江戸っ子なので、べらんめー調です。
でも、言葉の意味とちがって、ヤスケンは
編集の仕事が好きで好きでたまんないんだなぁと思いました。
合わない=報われない、でしょうから、
ヤスケンが人知れず、どんだけ本づくりに精進していたかと、
ときどきその言葉を思い出します。
きのう、エッセイストで写真家のみやこうせいさんから
手紙をいただきました。
200字詰め原稿用紙13枚びっしりに『出版は風まかせ』の
感想が書かれてありました。
何度も何度も読み返し、ありがたい気持ちで胸いっぱいになり、
近くにいる編集長ナイ2に、
「ヤスケンはああ言ったけど、この手紙を読んで、
報われた気がするよ。
奥邃先生的には報われてはいけないんだけどなぁ」
と言うと、ナイ2くん、
「いいじゃないですか。たまに報われても…」
ナイ2くんの言葉もほっこりと、温かいものが胸に広がりました。

 餅叩く祖母より零る金歯かな

090214_2017~0001

気功瞑想

 

弊社から刊行した『気功瞑想でホッとする』を読んでくださった方が、
著者の朱剛先生が主宰する「日本禅密気功研究所」に
感想文を寄せられ、それが、研究所の会報第57号に載っています。
朱剛先生とご本人に了解を得、ここに再録させていただきます。

楽しみにしていた本が手元に届き、
夢中で1回読み、2回目は少し落ち着いて読み、
少し間が開いて、いま3回目を読み始めました。
不思議です。読まずにいた間も、机の上や枕元など、
いつも自分の目に触れるところにあり、
その存在を自然に感じ続けていました。
そのせいでしょうか、ページを開き、
眼鏡をかけて(老眼鏡です)読み始めると、
ほんの2~3ページ読んだだけでもう本を閉じ、いつのまにか
ふーっと物思いに耽っています。
頭の中に今まで思いもしなかった気づきがポッと浮かんでくる…
それをゆったりと味わう…
それが、あぁそういうことかと素直に胸に落ち着き、
心は満ち足りた静けさに包まれる…
(外から見たら単にボーッとしているだけかも知れませんが)
そんな風にして、3回目はゆっくりゆっくり読み進めています。
これからもどんな気づきが得られるか楽しみです。
これは、中身のギューッとつまった宝石箱のような本。
ときどきふたを開けては一つ取り出し、
その充実したきらめきを味わい、
光を浴び、また大事に戻す。
そんな風にして今後も何回も何回も読み返していく、
私にとって、とても大切な一冊となりました。(Tさん、50代女性)

Tさん、朱剛先生、ありがとうございました。

090504_1009~0001