吉郎さんのこと

 

 新米を配り独酌高いびき

出版は風まかせ』について、
多くの方から感想を寄せていただいています。
ありがとうございます。
先日、小・中学校の同級生Nくんのお兄さんの奥様から
うれしいメールをいただきました。
本を出さなければ、
メールをいただくこともなかったかも分かりません。
わたしが帰省するたび会っている同級生のSさんから
メールアドレスを教えてもらったとのこと。
SさんとNくんのお兄さんの奥様は、
コーラスの仲間です。
Nくんのお兄さんを、吉郎さんといいました。
Nくんやわたしより三つ上です。
奥様からメールをいただき、
吉郎さんのことを懐かしく思い出しました。
今は統合されて、井川小学校になりましたが、
わたしが通ったのは井川東小学校でした。
朝、部落ごとに集団で登校します。
部落といっても、歴史的な被差別部落のことではなく、
まとまった集落のことを地元では「部落」と呼んでいました。
今で言う「町内」という単位です。
部落ごとに登校し、それぞれ教室にランドセルを置くと、
すぐに体育館に集まります。
集まって何をするかといえば、相撲です。
板敷きの体育館にペンキで円が描いてありましたので、
それを土俵に見立て、部落ごとに対抗で相撲を取るのです。
円は三つしかありませんでしたから、
早く登校した部落がその権利を得ることができました。
ですから、低学年生は陣地を取るのに必死でした。
さて本番は、低学年生から順番の勝ち抜き戦です。
同級生のNくんは、小柄ながら強かった。
ところでNくんのお兄さんの吉郎さんは、
当時、学校中で一番強かったでしょう。
もう一人、小泉部落で強い上級生がいましたが、
それでも吉郎さんの強さには敵わなかったはずです。
わたしは、吉郎さんと相撲を取るのが好きでした。
なぜかといえば、けして乱暴なことをしなかったからです。
上級生の中には、自分の強さを誇示するかのように、
下級生を力任せに投げ飛ばす人もいましたが、
吉郎さんのは、そういう相撲ではありませんでした。
組んでみれば、いや、組まなくても、
自分より圧倒的に弱いと分かる相手に対しては、
手加減というのでなく、四つに組みながら、
実践で教え諭すように土俵の外へ運びました。もちろん、
投げを打つこともありました。
子ども心に、エライ人だなと思ったことを覚えています。
だから、吉郎さんと相撲を取るときは、
文字どおり、胸を借りるつもりでぶつかっていったものです。
吉郎さんは、学校を卒業後、町の役場で働いていましたが、
先年、病気のため、若くして亡くなりました。

 銀杏散る奥のほっこり山猫軒

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