季節の言葉

 溺れずに行け老と若と二季の海
「人がことさらに季節を意識するようになるのは、中年になってからのようだ。心身がやや衰えかけたとき、そのような自分の支えとして、季節を意識する。季節の言葉、すなわち、季語を重んじる俳句への関心もその時期に生じる。子どもや大学生などは真冬でも半袖で平気だが、そのような訳にはゆかなくなった中年世代は、庭いじりを始めたり、散歩を楽しんだり、俳句を作ろうと思ったりする。今日、俳句を始める顕著な世代はあきらかに中年世代である。」(坪内稔典『季語集』より)
 まさに! わたしが俳句を始めたのもそのような心境からだった気がする。あまりにピタリ!で、自分がモノサシ通りの単純な人間なのだなあと、あらためて思った。
 評論家の鶴見俊輔さんは、俳句を「もうろく文学」として評価しているそうだ。そのことも坪内さんの上の本に書いてある。もうろくして自我が砕けた老人の言葉を、俳句の形式は受け止め得るということらしい。
 本を置き青空見るや日向ぼこ
 あくびして本閉づ夕餉の秋刀魚かな

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気を抜けない

 サングラス顔半分を覆ひけり
 2001年からつづいているこの日記、血も涙もある1人1人が集まって会社だよということを意識しながら、どんなコンセプトで本づくりに勤しんでいるかは、声高らかに社の方針などと謳い上げるより、日々のこまごました日録に現れるのではないかと思って始めた。が、足掛け7年となると、マンネリに陥らないように注意しているものの、どんだけ読んでもらえてるのかなーと心細く思うこともある。
 昨日、気功教室の帰り、途中まで一緒の女性から、玄米粉クリームの美味しい作り方を発見されたそうですねと話しかけられた。彼女がそれを知るのはこの日記以外に考えられないから、読んでくださったのだろう。目立ちたがり屋のわたしなら、あれ読みましたよ読みました、と口酸っぱく繰り返すところ、彼女はそんなことは微塵も匂わせない。奥ゆかしい!
 ということで、気を引き締め、仕事に反映せざるを得ない日々のつれづれを引き続き記していくことにします。
 太腿の翳り深かり午睡かな
 招くごと揺れてかそけき薄かな

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積極的な蜂?

 指十本さやぎ秋日に気功かな
 このごろマヌカハニーを愛飲している。マヌカとはフトモモ科常緑低木で、ニュージーランドにしか自生していない野生植物。春から夏にかけ可憐な白やピンクの花をつけ、そこから採取される蜂蜜をマヌカハニーと呼ぶ。
 マヌカの葉から抽出される油分には病原菌に対抗するカがあることで知られている。先住民のマオリ族は、マヌカの葉を風邪や熱の予防、傷薬などの万能薬として使い、マヌカを「癒しの木」と呼ぶ。マヌカハニーの中でも特に抗菌活性力の強い蜂蜜がアクティブマヌカハニー。
 昨日、マヌカハニーについて講釈をたれていたところ、興味をもった武家屋敷が不思議そうな顔をして「どうしてアクティブハニーと呼ぶのかしら?」一瞬、答えに窮した。すると、武家屋敷が畳みかけるように「よく飛ぶ蜂なのかしら?」
 ん????? どういうこと?
 ……………
 あ。なるほどね。アクティブには能動的、行動的、積極的という意味があるから、それで…。あ、なるほど、なるほど。積極的に飛ぶ蜂か。積極的に飛ぶ蜂ね。でも、それ、おかしくね?
 気功もて溶けてゆきたし神無月
 雑踏に知人かと見ゆ秋没日(あきいりひ)

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美味至極!

 テレビ消しフロイドを聴く秋の暮れ
 玄米をミルサーで粉末状にし、水といっしょに鍋に入れ火にかけると数分で玄米粉クリームの出来あがり。
 体にいいというので結構つづいているが、なんだか味気ない。というか少々粉っぽい。
 塩や醤油で軽く味付けしたり、料理酒を垂らしてみたりもするのだが基本的に味は変わらず。
 あきらめていたのだが、思うところあって、ねばりが出てきたらすぐ火を止めていたのをそうせずに、とろ火でさらに7分ほど。
 あ〜らら、っと。こ、こ、これはっ!!
 あまりの味の違いに驚いた。この数ヶ月は何だったのか。
修行で食べていたとしか思えぬ玄米粉クリームがゴージャスなディナーに様変り!! 鍋の底のお焦げまでなつかしく美味しいではないか!
 なんでも試してみるべきだ。深く反省。
 秋深しピンクフロイドあやしかり
 愛聴盤かけて湯船に浸かりけり

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物価の優等生

 夢覚めて光り揺れをり薄かな
 北川八郎さんの本を読んでいたら、目を疑うようなことが書いてあった。
 鶏卵が物価の優等生と呼ばれ、長期にわたって安値安定で売られていることは知っていたけれど、それを維持するために、鶏に女性ホルモンをばんばん投与しているとは知らなかった。
 そのせいで、鶏舎を営んでいる熊本のある家の娘さん(よく鶏卵を食するのだろう)が5歳で生理になったというから驚く。
 子供に限らず、ホルモンバランスがおかしくなっているのではないか。食の問題が今ほど切実で難しい時代もないのだろう。
 ゲソのごとき靴紐むすぶ階(はし)の秋
 グールドを聴いてなぐさむ爽気かな

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楽心会

 猿のごと野に放たれし秋さびし
 北川八郎先生のセミナーに参加。
 北川先生は東京でサラリーマンをしていたが、辞めて、今は熊本で農業をしながらトマトなどをつかった自然釉(しぜんゆう)による陶器をつくっておられる。
 以前から本を読み一度お目にかかりたいと思っていたので、興味津津で会場におもむいた。
 写真で見るとおりの飾らないお人柄で、肩の力が抜けた話にこちらの顔もいつしかほころぶ具合。
 参加者は35、6人ほどか。
 セミナーの最後のほうで、肛門を締める運動が体にとてもいいというお話があり、参加者全員が椅子に座ったまま肛門体操をしたのには笑えた。微かに上半身がピク、ピクと動くので、それとわかった。
 ご挨拶をし、握手した時、先生のあたたかい力がふわりと入ってきたように感じた。
 背後より改札口も秋に入る
 秋空やまばゆきときを眺めけり

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念入り

 尻っぺたえくぼのごとく凹みをり
 細かいところまで注意することを念入りといいますが、そもそも念とはなんでしょうか。
 大辞林によれば、?思い。気持ち。考え。?気をつけること。注意。?かねての望み。希望。などとあります。
 また、?〔仏〕(ア)物事を記憶している心のはたらき。憶。(イ)物事を考えたり、思い描く心のはたらき。(ウ)きわめて短い時間の単位→刹那。(エ)浄土教で、称名念仏すなわち阿弥陀仏の名号をとなえること。(オ)心の中の一定の対象に精神を集中させること。
 というような説明もあって、全部と言えば全部ですが、どうやら最後の使い方なんかは「念入り」の念の本来の的を射ているような気がします。
 ところで、出来た本を書評依頼する時は念入りにします。(そのことを言うためだけかよ)
 談逸れて楽しからずやにごり酒
 猿のごと野に放たれし秋さびし

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