インプラント骨に埋め込み凍りけり
おとといここで『背骨ゆらゆら〜』をはいこつゆらゆら〜と読んだ人のことを書いたが、出版社で仕事をしたいと望むなら、ある程度の漢字は知っていてほしい。しかも小社の場合、学術図書中心なわけで、漢字の知識は無視できない。
というようなことで、今回リクルート関連のサイトを通じ人材を募集した際、面接時に漢字テストを行った。それだけで採用したわけではないけれど、今回採用したDさんは、20問中17問の正解で最高得点だった。
テストは漢字の読みだけ。出題は言語思想史を専攻した小社編集部の岡田くん。
1.範疇
2.挨拶
3.曖昧
4.畢竟
5.斡旋
6.誤謬
7.乖離
8.葛藤
9.婉曲
10.傀儡
11.弛緩
12.横溢
13.終焉
14.真摯
15.推敲
16.荼毘
17.凡例
18.捏造
19.敷衍
20.奢侈
どれも各種原稿によく登場する熟語ばかり。
人も我れも捨てたし星月夜
こんな日もあるさ黒ぐろ冬の蝿
小社にとってうれしいニュースがありますので、ここでお知らせします。
この度、大川周明の未発表・未公刊の手書き原稿があらたに発見され、小社から『頭山満と近代日本』として発刊されました。
頭山満(とうやま みつる、1855-1944)は、アジア主義の立場でナショナリズム運動を推しすすめた国家主義者で、その政治的活動から政財界に太いパイプをもち、実業家、篤志家としても名を馳せた人物です。
大川周明(おおかわ しゅうめい、1886-1957)は、戦前の代表的な思想家の一人。敗戦後、A級戦犯として起訴されましたが、病を理由に不起訴扱いになりました。
本原稿は、大川の日記にその記述がみられるものの、その行方は杳として知れず、研究者のあいだでは「幻の原稿」とされてきたものです。
今回、一昨年第5回大仏次郎論壇賞を受賞した新進気鋭の中島岳志・北海道大学准教授がある方から原稿を託され、小社から刊行の運びとなりました。
「グローバル化」「ナショナリズム」などの言葉を目にする機会が多くなりましたが、やはり歴史に学ぶことはいつの時代にも必要不可欠と思います。戦後日本が長らく封印してきた右翼思想の精髄を語る第一級の史料です。発刊にあたり、今日の朝日新聞(文化面)、毎日新聞(社会面)で大きく取り上げられています。また、朝日新聞社の論壇誌『論座』(12月1日発売)には「新発見! 大川周明・幻の原稿」の題で中島氏の論考が掲載されます。
小社はおかげさまでこの10月より9期目に入り、来年は10周年を迎えます。今回、このような名誉ある発刊が可能になりましたのは、ひとえに著者の方々、業者の方々、スタッフ、そして読者の日頃のお力添えの賜物と感謝します。
今日の朝日新聞、毎日新聞紙面をご覧いただければ幸いです。
今後とも倍旧のご支援ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
『頭山満と近代日本』
大川周明(著)
中島岳志(編・解説)
四六判・上製・208頁
定価2,310円
革新右翼の理論家が、伝統右翼の巨人を描く。明治維新、西南戦争、大隈重信襲撃事件など、近代日本を形作った重要な局面に、頭山はどう動いたか。敗戦直前の緊迫する状況で書かれた「幻の原稿」ついに発見!
【編者】中島岳志(なかじま・たけし)
1975年生。北海道大学公共政策大学院准教授。
南アジア地域研究、日本政治思想史。
『中村屋のボース』によりアジア太平洋賞大賞、大仏次郎論壇賞受賞。
・著書
『ヒンドゥー・ナショナリズム―印パ緊張の背景 』(中公新書ラクレ、2002)
『中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社、2005)
『ナショナリズムと宗教―現代インドのヒンドゥー・ナショナリズム運動』(春風社、2005)
『パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社、2007)ほか。
・予定あり寒空下の今日が過ぐ
1日仕事をしていると、いろいろな電話がある。本の注文、問い合わせ、金融機関からの融資の案内、株の案内、電話料金が安くなりますの案内、保険の案内、何が言いたいのかよく分からないけど何かの営業でかけてくる電話、さまざまだ。
昨日、電話に出た専務イシバシが、厳かな口調で「せぼねをはいこつと読むようでは、出版社に向いていないと思いますよ。もう少し勉強されてからにしてはいかがですか」と話しているのが耳に入った。
聞けば、イラストレーターで、仕事をさせてもらえないかという問い合わせだったらしい。
小社のことを何で知り、どういう本に興味があるかとのイシバシの質問に対して、はいこつゆらゆら… と答えたというのだ。
『背骨ゆらゆら健康法』の背骨をはいこつと読むようでは、出版社に不向きとしか言いようがない。
・ケータイを替へて色づく冬の月
・蟷螂や哀れ瀕死の鎌姿
熱燗の無言深かり金婚式
体験学習に来た中学生の発表会に参加した感想を電話で秋田の父に告げた。黙って聞いていた父は、子供たちがそうやって親しく近づいてきたら、可愛いかったろう、と言った。意表をつかれたかたちだったが、可愛かったと正直に答えた。電話の向こうの父は満足そうに、そうだろうとうなずいた。
父は母と連れ立ってよく中学生のバスケットボールの試合を見にいく。正式のものだけでなく、練習試合までも。わたしの弟が中学校のバスケットボール部の顧問をしていて、そんな関係もあって、自分の孫が出ているわけでもないのに、ちょくちょく出かける。車で数時間の体育館までわざわざのこともある。父は言う。自分の子供でなくても、どの子も可愛いなあ。可愛く思う。歳をとった証拠だろう…。
特に趣味のない父が、息子が大声を出して指揮する姿を見、子供たちの走る姿を見て、何がそんなに面白いのかという気持ち(父に訊いたわけではないけれど)がないでもなかったが、父の一言はこころに染みた。子供たちのいのちに触れることが生き甲斐になっているのだろう。
初霜や今日が特別金婚式
金婚式共に息災年の暮れ
しるべ無しのろのろ冬の星座かな
東京四谷の四谷フォトギャラリーで開催している「ぼくたちわたしたちの写真1000点展 北上川石巻河口と追浜河口の子供たちによる12年間の記録」(タイトル、なげー!)を観に行ってきた。
カメラマンの橋本照嵩さんは12年前から地元石巻の子供たちに「めだか展」と称し写真を教え、その都度展示もしてきたが、この度その集大成ともいうべき展示会を開催している。
ギャラリーには子供たちの写真が短いコメントとともに所狭しと並べられ、圧巻! 写真を見、コメントを読むと、なぜその子供がそれを撮ったのかが分かっておもしろい。
泥沼にハマった少年が沼から上がって自分の落ちた沼に目を遣る姿を興味深く眺めてシャッターを切った男児。ヒマワリが咲き乱れる叢(くさむら)を撮った女児。彼女は写真のタイトルを「きいろい花」としている。幼稚園児だということだから、ひょっとしたら、きいろい花がヒマワリという名だとまだ知らないのかもしれない。金だらいに入っている魚の写真は「大きな魚」と題されていた。それまで人間とかかわりなく泳いでいた野生の生き物が自分の家に来て、今、目の前にいることの驚きがぷるぷる伝わってくるような写真だ。
写真展は午前10時から午後6時(最終日は午後3時まで)今月28日(水)まで開催している。
お近くの方はぜひどうぞ。
教え子のメールにしばし冬日かな
ほっこりと冬日を照らすダライ・ラマ
揺れるたびすすきとなりぬ気功かな
風呂上がりに冷水シャワーを浴びること1分、これがなかなか気持ちいい、ところを通り越し、このごろは流石に鳥肌が立つ。
それでも、まだその程度だからつづけられる。
今年の正月、秋田に帰った折に同じように冷水シャワーを浴びたら、冷たさを通り越して痛かった。感覚と言うのは面白い。何と言ったらいいか、氷の針を刺されるような痛みとでも形容したくなる。
今年も帰ったらやろうと思っているのだが、あの痛み、本当に健康にいいのだろうか。
仕事禅合間の気功秋の暮れ
芋食って屁を嗅ぐ芋の臭ひせり
きまげればあんぽんたんの案山子かな
昨日、全日本仏教徒会議がパシフィコ横浜であって、記念に来日したダライ・ラマ法王の講演を聞いてきた。
なんだか子供みたいな人で、照明がまぶしいからと言って、坊主頭にサンバイザイーを被り、終始その格好で話をされた。同時通訳がついて2時間ほど。
途中眠くなったりもして、中身はあまり頭に入らなかった。後部座席のおじいさんがポツリと、「なかなかいいこと言うねぇ」と言った。
講演が長引き、質問は一人のみ受け付けるということになった。誰もいないだろうと高をくくっていたら、はい! と大きな声で手を上げるものがいた。中年の、スーツのボタンが窮屈そうな、少し太りぎみの、女性だった。
質問の内容は、前日に駅の構内で中年男性が駅員にいちゃもんをつけている場面に遭遇したのだけれど、自分はそれを見て何もせずに通り過ぎてしまった。ほかの人たちも見て見ぬふりをしていた。ダライ・ラマ法王がもしその場におられたら、どのように対処されますか、というものだった。
ダライ・ラマは、欧米人がよくやる両肩をちょっと上げる仕草をして、「さあ、どうしますかね。わかりません。自分でこうだと思うことをすればいいのじゃないですか」みたいなことを言った。そんなこと訊かれても…、という表情が印象に残った。質問は難しい。ポカ〜ン。戸惑うダライ・ラマは子供そのもの。にこにこにこにこ、オランウータンのように手を上げ会場を去った。
淡雪や湧いてここまで届きけり
薄氷(うすらひ)や暖簾にあらず我がこころ