季節の言葉

 溺れずに行け老と若と二季の海
「人がことさらに季節を意識するようになるのは、中年になってからのようだ。心身がやや衰えかけたとき、そのような自分の支えとして、季節を意識する。季節の言葉、すなわち、季語を重んじる俳句への関心もその時期に生じる。子どもや大学生などは真冬でも半袖で平気だが、そのような訳にはゆかなくなった中年世代は、庭いじりを始めたり、散歩を楽しんだり、俳句を作ろうと思ったりする。今日、俳句を始める顕著な世代はあきらかに中年世代である。」(坪内稔典『季語集』より)
 まさに! わたしが俳句を始めたのもそのような心境からだった気がする。あまりにピタリ!で、自分がモノサシ通りの単純な人間なのだなあと、あらためて思った。
 評論家の鶴見俊輔さんは、俳句を「もうろく文学」として評価しているそうだ。そのことも坪内さんの上の本に書いてある。もうろくして自我が砕けた老人の言葉を、俳句の形式は受け止め得るということらしい。
 本を置き青空見るや日向ぼこ
 あくびして本閉づ夕餉の秋刀魚かな

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