部屋にある本を全部処分したらどんなに気持ちいいだろうと思うことがある。でも実際にはなかなか難しい。本というのは印刷された紙を束ねただけのものではないから。
ここ2年ほど必要にかられて読む本はあっても読書をたのしむということから遠ざかっていた。同時に、音楽を聞くことからも人と会うことからも。要するに、たのしめなくなっていたのだ。
何が功を奏したのか分からないけれど、近頃、腹の中でにんまりする瞬間があって、ん、この感じこの感じ、と久々の上昇気運を味わっている。この感じがもう少し延長してくれると、本も読めるし、音楽も聞ける。人に笑って会うことだってできる。ひょっとしたら、これが百日練功の成果なのかもしれない。もう少し、もう少し。本を処分しなくて良かった。会社の人に本をあげることもできなくなるところだった。
朝の横須賀線でシートに座れることはまずないのに、きのうは珍しく二人分のスペースが空いており、座った。幸先良し。いいことあるかな。ちょっぴり浮いた気分になっていたのかもしれない。隣りに座った男性(この人も座れたんだ)が鞄の中からおもむろに本を取り出した。割りと大事そうに扱うようだったから、なんとなく目がそっちに行った。すると、そこでわたしは見てはいけないものを見た。思わず吹きだしそうになったが、そこはグッと我慢し、すぐに顔を車輛と直角に、すなわち流れ行く外の景色に顔を向けたのだが、さっき目にした言の葉がアタマに貼り付いて離れない。いけない。いけない。邪気だ邪気。無念無想。心頭滅却… 無理!! 結局、電車は横浜駅に着き、京浜東北線の電車に乗り換えても、気を許すとまた浮かぶ。桜木町の改札を抜け、みなとみらい方面へ歩き出すとそこは灼熱の大都会。ランドマークタワーが巨大なペニスとなって屹立し、空に雄叫びをあげていた。
……ペニスは焼き鍛えられたハガネのように固くなっていた。……
朝、ご先祖さまに手を合わせ、ありがとう。
百日練功目前の気功をしながら肩首内臓密処肛門へ、ありがとう。
3時にお茶をいれてくれた総務イトウに、ありがとう。
下版前の最終チェックをしてくれた編集長ナイトウに、ありがとう。
電話校正に対応してくれた著者に、ありがとう。
そうそう。千葉名産のピーナッツを自宅で炒ってきてくれた専務イシバシに、ありがとう。
フジスーパーの混雑するレジのところで定期を拾って(財布を鞄から出すときに落としたか)くれた見知らぬおばさんに、ありがとう。見えない人と見える人に。
それから、お天道さま、ありがとう。
東城百合子さんにそういうタイトルの本がある。元気がでるけれど、こわいところのある本。
マイルス・デイビスのCDで一番のお気に入りはと訊かれたら何と答えるだろうか。オーソドックスに『カインド・オブ・ブルー』? 村上春樹も好きだという『フォー&モア』? 地底を揺るがした、なんていうキャッチコピーも確かあったはずの『ビッチェズ・ブリュー』? 日本の聴衆のド肝を抜いた『パンゲア』? それとも、ちょっと逸れて『イン・ア・サイレント・ウェイ』? 『オン・ザ・コーナー』あたりだろうか。
わたしの場合は、だれが何と言おうと『ダーク・メイガス』。マイルス・デイビスの何たるかも知らずにジャケ買いしたレコードを今はCDで聴いているのだが、最初はホントに、ナンダコリャ〜!!だった。その後、マイルスという人はカッコいい音楽をやっている人だと思うようになって、そうしたら、中でも一番なのが『ダーク・メイガス』ということになったのだから好みというのは分からない。こっちが元気なときに限るが、むちゃくちゃ聴きたくなるときがある。思い出や明日の高望みや酒に溺れたことなどひとまず横に置いといて、ただただ禍禍しい音の洪水に浸りたくなる。貘さんみたいに空でもひっかぶって不貞寝したくなる。
GWが終り、今日から仕事。しかも月曜日だし、きっちり1週間働かなければならない。楽しかった思い出に浸っている場合ではない。のだが、ほんの少しだけ。
山里で食べた山菜はやはりうまかった。シドケ、アイノコ、コゴミ。ゆでたり天ぷらにしたのを、ふつうは醤油をかけたりマヨネーズをつけたり、タレにつけたりして食べるところを、青青とした色にひかれ、何もつけずに食べた。シャキシャキとした歯ごたえとともに、山の土の香りとでもいうのか、少々苦味のある独特の味が口中にひろがる。山の幸、気が満ちているようでもあった。アイノコが一番と思っていたが、今回は、地元で山菜の王様と呼ばれているシドケを堪能した。
長田弘さんの本にそういうタイトルの本があって、むかしに読んで、いい本だったと記憶しているが、どのようによかったのか忘れてしまった。でも、タイトルのとおり、深呼吸はどうしたって必要だ。
イライラがつのったとき、わけのわからない不安に襲われたとき、からだとこころがかたまっているとき、パソコンとにらめっこしながら情報の海に溺れそうになったとき、息が浅くなったとき、目を閉じて大きくながくゆっくりと息を吐く。はぁ〜〜〜〜〜。吐ききる。そうすると下っ腹に息がふわっと流れこんでくる。沁みてくる。10回やる。ゆっくり目を開ける。目のピントも心なしか合ったような気がする。午前と午後1回ずつ、息がつまらないように深呼吸をする必要がある。
初めて子供を
草原で地の上に下ろして立たした時
子供は下ばかり向いて、
立つたり、しやがんだりして
一歩も動かず
笑つて笑つて笑ひぬいた、
恐さうに立つては嬉しくなり、そうつとしやがんで笑ひ
そのをかしかつた事
自分と子供は顔を見合はしては笑つた。
をかしな奴と自分はあたりを見廻して笑ふと
子供はそつとしやがんで笑ひ
いつまでもいつまでも一つ所で
悠々と立つたりしやがんだり
小さな身をふるはして
喜んでゐた。
千家元麿さんの「初めて子供を」という詩。わたしは千家元麿さんの詩を読んだことがないから、こういう素敵な詩があることも知らなかった。谷川俊太郎さんの『「ん」まであるく』のなかの「理由なき喜び」というエッセイのなかで紹介されていた。千家さんの詩を紹介しながらの谷川さんのエッセイがまた素晴らしい。