先日、昔からなじみの店でお茶をご馳走になっていた時のこと。
このごろよく顔を見せるようになったKちゃんがやって来た。可愛いので、みんな「Kちゃん」と呼ぶ。わたしも、鼻の下が伸びないように気を付けながら、Kちゃんと話したりする。
それから小1時間もしたろうか。はじめて見る女性が店に入ってきた。Kちゃんとあいさつを交わしている。どうも、知り合いのようなのだ。わたしは、ぽけーと、その様子を見ていた。すると、その女性が「ご主人さまですか?」と、わたしを見て言った。呆気にとられ、きょとんとしているわたしをそのままに、今度はKちゃんに「ご主人さまですか?」と、言葉に出さずに、目で尋ねた。Kちゃんは臆することなく、「ええ、主人です」と言った。うれしかった。生きる喜びがふつふつと湧いてきた。わたしとKちゃんでは、親と子ほどの歳の開きがある。
その話を後日、店のご主人に話した。ご主人大笑い。いわく、「そりゃあ、うれしいわ。それで10年は寿命が延びたね」。たしかに。
フィルムを出しに、久しぶりに横浜駅南口のヨドバシカメラへ。ところが、以前あった場所にDPEのコーナーがない。辺りを見回しても、それらしき案内が出ていないので、店員に尋ねた。西口の三越があった場所にドでかいヨドバシカメラが出来たが、そこに移ったらしい。さっそくその足で西口店へ。
ケータイ電話のコーナーがやたら広く取ってあるのは、これが今一番儲かる商売だからなのだろう。ところで、DPEは? DPE、DPE、と。ここで間違いないはずなのに、天井からぶら下げられた案内プレートをいくら探しても、見当たらない。仕方がないので総合案内で訊いてみることに。すると、店を出て左、通路の脇にあると教えられた。店を出た。通路の脇に確かにそれはあった。風前の灯のDPEコーナーが。
東洋医学、気功、呼吸法などでは、よく丹田ということがいわれる。臍下丹田(せいかたんでん)、気海丹田(きかいたんでん)と言ったりもする。場所としては下腹部のあたり。腹式呼吸でもここが重要ポイントのようだ。以前、金さん銀さんも診ていたという名古屋の鍼灸の先生に診てもらったとき、気海丹田が元気の元とおっしゃっていた。
ところで、丹田の丹とは何か。漢和辞典で調べてみると、?赤色の土。とある。?あか(赤)。あけ(朱)。あかい。とも。要するに、丹=赤。
意味は分かったけれど、では、なぜ元気の元とされる場所を赤い田と呼ぶのだろう。そこで、赤の字義も調べてみた。すると、「赤」という字は、「大」の下に「火」と書いたものが古い字形で、火がかがやくと大いに燃えることから、火の色、あかの意を表す。とある。
なんとなくイメージがつながってくる。丹=赤で、赤が火が大いに燃えることを意味するとすれば、元気の元となるエネルギー(赤く燃える)が蓄えられる場所として、赤い田=丹田と呼ぶようになったのではないか。丹心、赤心という言葉もある。まごころという意味になる。
日本史の教科書に、貝原益軒『養生訓』と、地の文よりも太い文字で確か記されていた。重要な固有名詞で、試験にも出やすいということだったのだろう。そういうキーワードのところだけ緑のボールペンで塗りつぶし、緑の下敷きを当て、教科書を問題集としても使ったりしていた。そんなふうにして覚えたものは、名前しか知らないのに、「養生訓? ああ、貝原益軒ね。接して漏らさずの人でしょ」などと口にし、おのれの愚かさを人前でさらすことになりかねない。
針灸の治療院の待合室で、たまたま講談社学術文庫の『養生訓』(現代語訳)を見つけ、ぱらぱら頁をめくってみた。ななめ読みするつもりが、つい一行一行読んでいた。こういうことを書いている本だったのかと新鮮な驚きがあった。いのちの根本は、自分のものではなく、天からの授かり物なのだから、生をやしない、人に尽くし、天寿を全うすべきだという考えも、なるほどと思った。
このごろはだいぶ気功生活が身に付いてきたのか、何かを見ても、誰に会っても、気功的に見たり感じたりしているようだ(我がことなのに、「ようだ」は変だけれど)。ドストエフスキーの小説を読んだ後で、世の中がドストエフスキー描く小説の法則によって運行しているような気になったり、竹内さんのレッスンに参加した後では、からだごとリフレッシュして、もう一度新しく生きはじめている感じがしたのと似ている。
教室に通う仲間や近所の人たちも交え、いっしょに練習するのも楽しい。背骨をくねくね動かしていると、みんなお蚕さんになって、桑の葉をぷちぷち食べては白く輝く気の糸を放出しているようで、いつの間にかその場にいい気が満ちている。練習の後の1杯のお茶のおいしいこと。
四年越しで取り組んできた『ニュージーランド百科事典』が昨日ようやく完成した。頬ずりしたくなるぐらい素晴らしい出来。なんといってもこの事典、執筆者42人のニュージーランドへの愛情がどの頁にも込められている。頁を繰りながら思わず読んでしまうのは、そのせいだ。
ニュージーランドにはこんなことがあるんだよ。こんなサカナが泳いでいるよ。こんな変わった木が生えているよ。世界で1番長い地名だってあるし。女神の名前がパパなんて、可愛いじゃない。「ん」から始まる名前なんてのも面白いし。……
自然が幸う国は言霊の幸う国でもあるのだろう。傍に置いて、撫でたり、さすったり、それから読んだりしてみたい。内容に見合った和田誠さんの装丁も素晴らしい。
担当編集者は武家屋敷。お疲れさまでした。
出版ジャーナリスト・塩澤実信(しおざわ・みのぶ)さんにお目にかかる機会があり、手料理までご馳走になった。出版と出版人についての血の通った話が面白く、午後3時にうかがって、塩澤さんの事務所を出たのが7時半。
きのうの午後、塩澤さんから電話があった。よくぞこれほどのものを出しましたね。出版界に身を置きながら、わたしは名前も知りませんでした、と。『新井奥邃著作集』のことだ。筑摩書房の創業者・古田晁について書いた名著『古田晁伝説』の著者からそのように言われ、くすぐったかったけれども、うれしかった。いただいた電話なのに、塩澤さんの温情にほだされ、次から次としゃべりまくった。ベストセラーは欲しいけれど、塩澤さんと話しながら感じていた熱を忘れてしまっては、この仕事にたずさわる資格はないなと改めて思った。