感応

 これまでも、たとえば小説を読んでいて、映画を観ていて、感動的な場面に出くわすと、あ、まずいと思いつつ、つい、目頭を押さえることはあった。しかし嗚咽することはそんなになかった。
 ブラッド・ピットが主演の『リバー・ランズ・スルー・イット』を有楽町の映画館で観たとき、嗚咽した。映画館を出ても、なんだかふらふらして、適当に歩いて目に付いた喫茶店に入りコーヒーを頼んだら、また泣けてきた。思い返せば、当時の境遇と心身の状態がまずあって、そこに映画の何らかが響いたということなのだろう。
 本となると、嗚咽したことなどなかったのに、休日『大峯千日回峰行』を読んでいたとき、あるところに差しかかったら、突然、ワッと声が出て大声で泣いた。自分でも何がなんだかわからずに、あわてた。
 1300年間で2人目という千日回峰行を満行された塩沼亮潤さんの荒行の話は、どこを読んでも驚きと感動に満ちているけれど、泣いたのは、塩沼さんの話ではなく、聞き手の板橋興宗さんの話。
 だれも真似のできない荒行を終えられた塩沼さんに最大限の敬意を払いつつ、板橋さんは、これからは、塩沼さんが住職をされている寺で、ほかの人たちといっしょに修行してくださいとお願いしている。
 けさ、そこをもう一度開いてみたら、不思議な気がした。どうして嗚咽したのだろうと思う。板橋さんの捨て身のまごこころとでもいったものが感じられたのかもしれない。

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