三月のハエは

 洋間のソファーに横になり本を読んでいて、ぽかぽか陽気で気持ちよくなり、いつしか眠ってしまったのだろう。夕刻、そろそろ起きなきゃなぁと、まどろんでいたら電話が鳴った。相手の声に集中する。懐かしい教え子からだった。(教え子、という言葉も相当なものだ。高校時代の教師と生徒の関係がそもそもの始まりだから、教え子。教室、黒板、教壇、机、椅子、授業、…。なにか教えたろうか。現代社会、政治経済、…)
 静かにいろいろ話していたとき、窓ガラスに止まっているハエを見つけた。おや、と思った。出てくる季節を少し間違えてやしないだろうか。受話器を持ったまま、1メートルほど近づいたら、ほんのちょっぴり飛び上がり、またガラスにぴたりと張り付いて、はっきりハエだと分かった。なんだか可笑しかった。五月のハエはうるさくうっとうしいだけが、三月のハエは至って静か。ちょっと早かったか、なんてハエ、思っているのだろうか。

真っ黒

 保土ヶ谷駅の近くのFスーパーによく寄る。会社の帰り、休日。
 最近、アルバイトで入った娘なのか、その辺のところは知らないが、おおおっと目を惹く娘がレジを打っている。とにかく、まつげが真っ黒い。顔全体の化粧はそんなに濃くないのに、まつげだけが異様に濃い。二十歳を過ぎているだろうか。高校生かもしれない。なんと言ったらいいのか、誤解を恐れずに言えば、わたしは、その彼女をいとおしく感じる。けなげな感じと言えばいいだろうか。
 まつげがマスカラで真っ黒い=いとおしい。けなげ、というのは、あまりに個人的趣味に走っているようにも思うが、たとえば、井上陽水の「飾りじゃないのよ涙は」を、作った本人が歌えば年齢もあり渋くカッコイイのに、若い頃の中森明菜がツッパッて歌えば歌うほど、けなげな感じがして可愛く感じたものだ。この感じ方というのは、いわゆる「オジさん」「オヤジ」の感性かもしれない。いや、そうに違いない。でも、なんと言われようと、そう感じるから仕方がない。世知辛い世の中で精一杯自分らしくあろうとしている姿に見えてしまうのだ。
 まつげ真っ黒の娘、ぼくの後ろに並んでいる客がいないのを見とどどけたのだろう。ビニール袋をただ籠に入れずに、わたしが買ったものを一つ一つ袋に入れてくれ、籠は自分のそばに置き、袋のほうを渡してくれた。勘定を払い、真っ黒まつげの娘から袋を受け取り、「ありがとう」と言って外へ出た。

朝起きて

 ヨイショの掛け声と共に起きる。洗面所に行き歯を磨く。磨いているうちに内臓が刺激されるとでもいうのか、トイレに行き用を足す。コップ一杯の水を飲む。お湯を沸かす。柿の葉茶をいれる。「よもやま」を書く。ダンベル体操に続き、西式体操(背腹運動、毛管運動、合掌合蹠運動、金魚運動)をする。風呂に入り、これまた西式による温冷浴をやる。風呂から上がると、足裏のツボマッサージ百回。祖父母の小さな写真を飾ってある仏壇(と言っても、ただの台だが)の水を取り替え掌を合わせる。柿の葉茶を数回に分けて飲む。ベランダの植物に水をやる、などなど。朝起きてから出社するまでが結構いそがしい。リズムは大切と思うからそうしている。

若き編集者

 ただいま小社では編集者を募集している。すでに何通か書類が届き、メールによる問い合わせも来ている。編集希望というくらいだから、趣味の欄には必ず「読書」があるし、それなりに本好きなことが分かる。教師になりたい人に「なんで?」と訊くと、「子供が好きだから」という答えが多いように、編集者になりたい人に「なんで?」と訊くと、「本が好きだから」…。
 編集者は本を作るわけだから、本が嫌いでは話にならない。が、それはもう前提の話であって、理由に挙げて欲しくない気持ちがこちらにはある。こんなことを書いたら、これから応募してくる人に影響があるかもしれないが、まあ、いい。わたしの気持ちとしては、「本」というよりも「文章」に偏執狂的であって欲しい。たとえば、自分の好きな文章(詩の一行でもいい)に触れたら、アロマセラピーの香りを嗅いで気分がよくなるぐらいに感応し、ダメな文章に触れたら、逆に反感を覚えるぐらいに、目の前の文章に身体的に密着して欲しいと思うのだ。
 そういう意味も含め作文を課しているわけだが、作文だけではなかなかそこまでは分からない。お蚕さんが桑の葉を食べるように倦まず弛まず文章を読み、ゲラを通して、それ以外では得られないコミュニケートの質に喜びを感じられるような若者が欲しいし、そういう編集者に育って欲しいと思う。

さむねむ

 きのうはポカポカ陽気と思ってダウンジャケットをやめ、ほかの上着を着て出かけたのだが、一日終わってみれば相当気温は低かったことが判明、判断の誤りに気づいた次第。寒い日は寒い日で、いつになったら暖かくなるだろうと身を縮こませているし、日が照ってくれば照ってくるで、眠くなる。夜、テレビをつけたら、寒いと思っていたこの二月三月、去年にくらべると統計的には暖かいそうで、その分、桜の開花が早まるそうだ。今日は朝方は寒いが、日中だんだんと暖かくなると言っていた。天気予報など見ないだろう近所の三毛猫が、きのうは姿を見せなかったのに、今朝はこの日記を書いている今の今、ベランダに置いてある棚の所定の位置に陣取り、ひなたぼっこを楽しむ風情。なんとも気持ち良さそうだ。

白い日

 きのうは寒かったですねえ。八王子方面では一瞬粉雪が舞ったとの知らせが友人から入り、道理で、と思わず納得。桜木町の辺りでは雪は見なかったが、それでも窓際に机のあるわたしの位置は相当寒かった。今日はまた昨日と打って変わってポカポカ陽気、気持ちのいい朝を迎えた。バレンタインデーのお返しにいかがかと、マシュマロデーと銘打ち、白いふわふわのマシュマロを売りに出したのがホワイトデーの発祥とニュースでやっていた。

昼寝

 あと10分、あと10分、…と呪文のようにまどろみ、二時間が過ぎたろうか、何度も起き上がる夢を見たあとで、たがが外れるようにしてようやく目が覚めた。居間の灯りが点滅するようになり、そろそろ寿命かと思って脚立に上り外のカバーを外したら、コンセントの近くが黒くなっているので、やっぱり交換するしかないのだった。直径が40センチと30センチの対のもので、黒くなっているのは大きい輪っかの方だったが、またしばらくして今度は小さい方のが、となるのも面倒だから、一緒に外して紙袋に入れ、外へ出た。もう夕刻で、丘に張り付いた家々に灯りがともっている。左に目をやれば、JR保土ヶ谷駅に出入りする電車がいつものように走っていて、まるでオモチャみたい。ズレた感覚はしばらく続き、甘酸っぱいような重い寂しさは懐かしいようでもあった。