最終面接

「どうぞ、こちらの席へ。どうぞどうぞ」
 ということで始まった今回の最終面接者。女性。黒のスーツをピシリと着こなしている。左目の下まぶたにほくろがあり、チャーミング。関係ないか。いや、大いに関係ある。あのほくろ、千昌夫のように眉間にあったらどうだった。印象はがらりと違っていたはず。
 こちら(専務イシバシ、武家屋敷ノブコ、わたし)の質問にハキハキ答え、若さが迸るようだ。声の大きさもいい。けして流暢というわけではない。どんな質問にも集中して答えようとする姿勢が感じられる。
「ここはご覧のようにオープンスペースで、面接に限らず初めてのお客さんは皆に監視されているようで相当緊張を強いられるようですが、いま、緊張していますか」
「いえ。居心地がいいです」白い歯がこぼれた。
「編集者募集の期間が終わってからの応募だったわけですが、ホームページをご覧になってどういう印象を持たれましたか」
 応募があったとき電話に出たイシバシに、彼女は、わたしが書いた文章と武家屋敷が書いた文章に感動したと言ったそうだから、そのことを踏まえて、同じ質問をしてみた。
 すると、
「……こういうことを言ったら失礼かもしれませんが、経営が……難しいだろうなぁと思いました」
 は。……。場内、いや、社内、爆笑のうず。わたしも思わず大笑い。経営困難経営困難。その通り。安定志向なら出版社は受けてはならじ!
 すると、彼女、
「経営が難しいだろうのに、作りたい本を楽しみながら作っている、そういう印象を受けました」ふむ。うれしいことを言ってくれるじゃねえか。
 最後にイシバシが「ここにいらっしゃるのが最後かもしれませんから、何かおっしゃりたいことがあったらどうぞ」と水を向ける。
「……わたしはこれまで直感で生きてきた人間です。……春風社はわたしに必要と強く感じました。……ここで働かせてください!」ぺこり。
 来週から働いてもらうことになった。

虚と実

 小社創業の頃の大きな仕事に『心理学|梅津八三の仕事』があった。収録した講演の記録のなかで梅津は、重複障害をもつ子供たちを前にして、手をこまねいて見ているしかなかったことが自分の学問の始まりと語っている。その梅津に「虚」と「実」についての興味深い言葉があったことを思い出し、旧友であり、『心理学|梅津八三の仕事』でいっしょに仕事をした中澤さんに電話で確かめた。正確に知りたかったからだ。中澤さんは、わたしが不正確ながら「虚」と「実」についての梅津の言葉を記憶していたことに驚き、ありがとうと言った。ありがとうはわたしのほうで、素直にうれしかった。
 実に居て 虚に遊ぶべからず
 虚に居て 実を行なうべし
 橋本さんから送られた膨大な写真群を1枚1枚めくっているうちに不意に思い出したのだ。おととい、橋本さんが来社された折、上の言葉を伝えた。橋本さん、何度も口にし、噛み締め、言葉の意味を味わうようであった。
 きのう、橋本さんからFAXが入った。梅津八三の言った言葉を正確に知りたいから、もう一度教えて欲しいという。橋本さんにも響いたのだなと思った。

雪道

 『北上川』でブレイクしている(今年に入って3刷!)写真家の橋本さんから、次の写真集の企画のための写真がダンボールで二つ送られてきた。あと同じくらいの量があるという。ダンボール箱を開けると、中にテーマごとのファイルがぎっしりと収められてあり、わたしはとりあえず適当に2、3のファイルを取り出して大判の写真を1枚1枚眺めてみた。
 「雪道」と書かれたファイルがあった。同じ場所で撮られたものが十数枚(もっと?)はあったろうか。建物も何もない雪道で、左にゆっくりカーブしている。角のところに街灯が1本立っていてそこだけ明るい。道の両側は除雪された雪が壁をなしており、街灯の光は届かず、黒々とした塊だ。光が当たっている場所の雪は、写真がモノクロだというのに、雪国で生まれ育った者にはなんとも懐かしくクリーミーでミルキーで優しく感じられる。ミルキー・ウェイへとつながる色、いのちを育む乳の色だ。ジョバンニが病気で臥している母のために牛乳を取りに行くとき通った細い道にも街灯が立っていた。そんなことまで彷彿とさせる、無意識が豊かに発動した写真と思われた。

完結間近!

 今日の「よもやま」のタイトルを入力する際、間違えて「ぢ」を「じ」でキーボードを打ったら、「完結マジか」と変換され、あわてて訂正入力。でも、まあ、六年越しの『新井奥邃著作集』マジで完結するのかと思ったこともあったから、「完結マジか」というのも、あながち間違ったタイトルとも言えない。
 さて、昨日からコール先生が来社し、最終第10巻である別巻の編集作業に取り掛かってくれている。新井奥邃と当時の年表、奥邃の文章と聖書の文章との対照表、キーワード索引など盛りだくさんの内容だ。
 六年前『著作集』に取りかかった頃、奥邃の名前を知っている人は一体どれだけいただろう。それが今や、新井奥邃の名前がいろいろな場面で散見されるようになった。昨年九月には「田中正造と新井奥邃を考えるシンポジウム」が東京で開催された。東京大学の先生たちが中心になって進めている「公共哲学」のプロジェクトから声を掛けられ、コール先生がパネリストの一人として奥邃について語り、それが東大出版会から刊行された本に収録された。詩人の飯島耕一さんが奥邃に注目し、「江戸と西洋」のタイトルで書かれた論考のなかで奥邃を大きくとりあげてくださり、それが『漱石の<明>、漱石の<暗>』(みすず書房)の冒頭に入れられた。今回、別巻の月報にも原稿を寄せてくださった。工藤、コール両先生の苦労の賜物だが、思い返せばありがたいことばかり。
 ということで、完結間近はマジです。今しばらくお待ちくださいませ。

 開花予想どおり、横浜は桜が咲き始めた。白、薄いピンクなど、木によってそれぞれ個性を発揮しているようだ。小社は桜木町にある。都市開発でどんどん町が様変りするのはやむを得ないとしても、名前の由来がわかるぐらいには桜の木を残して欲しい。いま、紅葉ヶ丘に立ち港の方を見遣れば、ランドマークタワーを始め「みなとみらい」を象徴する建造物が立ち並んでいるが、昔はどんなだったろうと想像する。町の名にするほど、坂の上から船の行き来する霞む港まで、桜がふぁ〜っと見えただろうか。浦島太郎が立っていて、このごろ流行りのはまちゃんバスが横を通っていった。

閉店

 社屋のある紅葉ヶ丘を扇のかなめに見たて、広げた扇子の一方の端が野毛を通って伊勢佐木町・馬車道あたり、他方の端が音楽通りをかけJR桜木町駅方面あたりまでが昼の散策・昼食コースなのだが、駅近くにあったカレー専門店が昨日で突如閉店になった。
 いつものようにイカ空揚げカレーを頼み、いつものように食べ、さて勘定を払うべく、割引のスタンプを捺してもらおうとカードを出したら、今日で終わりになりますので使えない、とのこと。えええっ! 急に通達が来たそうで、店のおばさんたちも戸惑いを隠しきれない様子。本店が京都にあるチェーン店で、値段も手ごろ、美味しかったのに残念だ。店の外に閉店のあいさつが寒空の下、A4の紙に貼ってあった。きのう行かなければもう食べれなかった。おばさんたち、今日から就職活動か。

面接

 ホームページ上で編集者を募集したところ、二十名ほどの応募があり、書類選考の上、きのうは二人面接。部屋の真ん中にある木のテーブルに向き合いながら話すのだが、面接するこちらはなんでもなくても、されるほうは相当緊張を強いられるだろうなぁと、面接しながら思った。
 面接官は、専務イシバシ、武家屋敷ノブコ、それと私。面接室を特に設けているわけではなく、また、ウチはパーテーションなるものがなくオープンスペースなため、面接官以外は自分の仕事に没頭しているとはいうものの、社員全員に取り囲まれ面接を受けている印象は免れない。受けるほうは大変だろうけれど、ウチの雰囲気を印象深く知ってもらうには、悪くないのかもしれない。