Archives : 2月, 2006

著者校正

 著者からまず原稿をいただく。手書きの場合もあれば、最近はフロッピー、メールに添付されて送られてくることも多くなった。
 こちらで入力し組んだのち校正・校閲、気になる箇所に鉛筆で書きこむ。直しを入れる。ボールペンやサインペンでなく鉛筆で行なうのは、著者が見て、必要ないと思われる直しは消しゴムで簡単に消すことができ、ゲラが汚れないからだ。ゲラを通じてのコミュニケーションによって著者と編集者の関係がつちかわれる。著者は、編集者が原稿のどこに手を入れたのかが分かるし、編集者は、著者から帰ってきたゲラを読み、初校を読んだ時点では気づかなかった著者の隠された意向が分かることもある。間接的ではあるけれど、静かで緊張を伴うやりとりによって編集者の腕が磨かれ、著者との関係も築かれる。ここのところが相当スリリング。

テレビ

 この頃テレビをよく見る。バラエティー番組が特に好きなわけではないが、ついつい見てしまう。それで思うのは、芸能人はつくづく生活が不規則になって大変だろうなあということ。牛飲馬食を競うような番組もあって、見ているこっちは、笑っていればいいだけだが、やっているほうは体を張っているとしか思えない。若い時の無理は中年以降になり、さまざまな形となって現れる。芸能人とて例外ではないだろう。ドラマはほとんど見ない。物語を追うのが疲れるし、深刻なものは避けたい気持ちだ。ニュース番組も、寒々しく痛々しい事件がやたら多く、あまり見ないようにしている。そういう中で、トリノオリンピック・フィギュアスケート女子でみごと優勝した荒川静香さんの演技は、見ていて感動もし、晴れ晴れしい気持ちになった。「無欲」が金メダルにつながったのだろうと荒川さんは話していたが、なるほどと思った。

装丁

 本の外回りのデザインを装丁(そうてい)という。装幀とも書く。プロの装丁家に依頼することもあれば、社内でチームを組んで仕上げることもある。編集担当者みずから装丁する場合もある。
 プロの装丁家に依頼した場合、できることはできる、できないことはできない、とハッキリしているから、仕事としてはやりやすい。それで食べている職業人だから、一定のレベルのものが仕上がってくるのを待てばよい。
 逆に、編集担当者みずから装丁する場合、最初から本の中身をよく知っていてデザインを考えるから、プロの装丁家が作ったものとはまた違って、味のあるものができることもある。
 問題は、「社内でチームを組んで」だ。装丁の仕事だけで食べているプロフェッショナルではないし、なにしろ社内、同僚ということもあるから、これはできる、これはできない、というわけにもいかないことだってある。その場合、いちばん大事なのは、編集者と装丁担当者とのコミュニケーションだ。会議みたいなコミュニケーションだけでなく、イメージが伝わり、装丁担当者のどこかにパッと火が点されなければならない。そのためのコミュニケーション。写真を使うか、絵を使うか、はたまた文字だけでいくのか、素材を考えるのはその後でいい。素材を考えているうちに閃くということもあろう。とにかく火。これが点されないところでいくら考えたって、それはまさに泥沼に嵌っていくようなもの。イメージが収斂するためには、装丁担当者が編集者に向かい「そんなんじゃできません!」とキッパリ言う場面があっていいだろうし、編集者も、装丁担当者に向かいどんどんイメージをぶつける、伝える、浸透させる必要があるだろう。

F先生

 昼食から戻りしばらく経った頃、F先生から電話があった。懐かしい先生の声。「まもる君? 今日会える?」「ええ。もちろん」「会社に行けばいいかしら?」「はい。場所、分かりますか、先生。開洋亭の隣りのビル」「分かるわよ。これからバスで行くから二、三十分後には着くわ」。ということで、F先生が会いに来てくれることになった。この欄に以前書いたことがあるが、わたしが横浜で暮らすようになったそもそものきっかけを作ってくれたのがF先生だ。
 最新号の『春風倶楽部』に手紙を添えてお送りしたのだが、それを読んでくださったのだろう。
 先生が来社されたので、ザッと会社を見ていただき、それから一緒に社を出て、隣りの開洋亭の喫茶室に入った。ほかに客は誰もいなく静かでゆっくりできた。先生はコーヒー、わたしは紅茶を頼んだ。先生は、バッグの中からわたしが送った手紙をそっと出しテーブルの上に置いた。
 いろいろ話した。問わずがたりに話すとりとめのないわたしの話を黙って聞いてくださり、ときどきコメントしてくれる。ありがたかった。十代の頃、英語の通信添削の教師をしていた先生と知り合い、その後、わたしは大学に合格、横浜まで会いに来た。実際の先生がどんな人だろうとドキドキしながら待ち合わせ場所に行ったのを覚えている。
 大学卒業後、横須賀の高校に就職。結婚。離婚…。わたしの不義理で会わなくなって十年ものブランクがあったのに、一昨年、先生の自宅を訪ねたことから、おかげさまで関係が復活、また連絡し合えるようになった。その先生とテーブルを挟んで今こうして話している。不思議なような、当然のような、ちょっとふわふわした感覚で。
 気がつけば、すでに二時間半が経過していた。外へ出ると、もう薄暗かった。「じゃ、まもる君、またね」「はい、先生。今日はどうもありがとうございました」。先生はわたしを名前で呼ぶ数少ない人の一人だ。

探し物

 この欄で紹介した「黒糖梅飴」を、イシバシの友人が都内某所で見つけ、写真貼付の上、メールを送ってくださった。なんだか、こっちまでうれしくなった。
 仙台で学生をしていた頃、欲しい本があると、まず大学生協へ行って探す。ないとなれば、バイクで仙台市内の書店、古書店を隈なく探す。そうして手に取った本は、中身よりも何よりも、頬ずりしたくなるような大切なものになった。結局どこにもなく、元に戻って、生協で注文することもしばしばだった。
 子供の頃、弟とよく遊んだ。キャッチボールをしていて、とんでもない方向へボールを投げ、水を張った春の田に飛んでいってしまい、ズボンの裾をまくってボールを捜した。見つかることもあったが、見つからないこともあり、よく喧嘩した。
 弟とやる遊びで卓球があった。卓球は、読んで字のごとく「卓」の「球」だが、家には「卓」がなかった。ラケットはあった。コンクリートの庭に炭で線を引き、それを卓球台に見たててピンポン玉を弾く。ピンポン玉を使ったテニスみたいなもの。コンクリートの庭だから、ピンポン玉はよくつぶれた。急に卓球をしたくなった時に限って買い置きのピンポン玉がなく、売っている店は分かっているのだが、運悪く自転車がパンクしていた。歩いて買いに行ったら往復で二時間はかかる。パンクした自転車をゴトゴト言わせてピンポン玉を買いに行った…。
 ベランダに雀が来た。今日はポカポカ陽気。春はそこまで来ている。

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三浦衛(みうら・まもる) 春風社代表にして自慢大王&悪ノリ大王。体調のいいときは自らを天才と称し、不調の折はちりあくたにも劣るヤツとしょんぼり。

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三浦衛の本


『カメレオン』
 三人ときどき声にならぬ声を洩らし/とろけ とろけ 唾までとばし/クヂるとナメるとネヂるとチョす…(「鳶」) 自在に色を変え、不意に突き刺さる、軽妙なことばの戯れ。秋田方言満載の詩集。本文は金属活字による活版印刷。


『マハーヴァギナまたは巫山の夢』
 三平佐世夫は、千一夜の夢うつつで女と戯れ、印度に旅し、睾丸を抜かれ、鰐を飼い、横浜を彷徨う。言語の崖っぷちを綱渡りする、めくるめく冒険。本文活版印刷に美麗造本を施した平成の大奇書。


『父のふるさと』
 父の目に映じた故郷の風土、ひと、くらし、農事を、愛惜をこめ描きだす。本文は金属活字による活版印刷。「身と蓋函」に納める。


『出版は風まかせ』
 横浜の出版社「春風社」社長が本づくりと会社経営にまつわるエピソードを豊富におりまぜ、創業から10年を振り返る。