著者校正

 著者からまず原稿をいただく。手書きの場合もあれば、最近はフロッピー、メールに添付されて送られてくることも多くなった。
 こちらで入力し組んだのち校正・校閲、気になる箇所に鉛筆で書きこむ。直しを入れる。ボールペンやサインペンでなく鉛筆で行なうのは、著者が見て、必要ないと思われる直しは消しゴムで簡単に消すことができ、ゲラが汚れないからだ。ゲラを通じてのコミュニケーションによって著者と編集者の関係がつちかわれる。著者は、編集者が原稿のどこに手を入れたのかが分かるし、編集者は、著者から帰ってきたゲラを読み、初校を読んだ時点では気づかなかった著者の隠された意向が分かることもある。間接的ではあるけれど、静かで緊張を伴うやりとりによって編集者の腕が磨かれ、著者との関係も築かれる。ここのところが相当スリリング。

テレビ

 この頃テレビをよく見る。バラエティー番組が特に好きなわけではないが、ついつい見てしまう。それで思うのは、芸能人はつくづく生活が不規則になって大変だろうなあということ。牛飲馬食を競うような番組もあって、見ているこっちは、笑っていればいいだけだが、やっているほうは体を張っているとしか思えない。若い時の無理は中年以降になり、さまざまな形となって現れる。芸能人とて例外ではないだろう。ドラマはほとんど見ない。物語を追うのが疲れるし、深刻なものは避けたい気持ちだ。ニュース番組も、寒々しく痛々しい事件がやたら多く、あまり見ないようにしている。そういう中で、トリノオリンピック・フィギュアスケート女子でみごと優勝した荒川静香さんの演技は、見ていて感動もし、晴れ晴れしい気持ちになった。「無欲」が金メダルにつながったのだろうと荒川さんは話していたが、なるほどと思った。

装丁

 本の外回りのデザインを装丁(そうてい)という。装幀とも書く。プロの装丁家に依頼することもあれば、社内でチームを組んで仕上げることもある。編集担当者みずから装丁する場合もある。
 プロの装丁家に依頼した場合、できることはできる、できないことはできない、とハッキリしているから、仕事としてはやりやすい。それで食べている職業人だから、一定のレベルのものが仕上がってくるのを待てばよい。
 逆に、編集担当者みずから装丁する場合、最初から本の中身をよく知っていてデザインを考えるから、プロの装丁家が作ったものとはまた違って、味のあるものができることもある。
 問題は、「社内でチームを組んで」だ。装丁の仕事だけで食べているプロフェッショナルではないし、なにしろ社内、同僚ということもあるから、これはできる、これはできない、というわけにもいかないことだってある。その場合、いちばん大事なのは、編集者と装丁担当者とのコミュニケーションだ。会議みたいなコミュニケーションだけでなく、イメージが伝わり、装丁担当者のどこかにパッと火が点されなければならない。そのためのコミュニケーション。写真を使うか、絵を使うか、はたまた文字だけでいくのか、素材を考えるのはその後でいい。素材を考えているうちに閃くということもあろう。とにかく火。これが点されないところでいくら考えたって、それはまさに泥沼に嵌っていくようなもの。イメージが収斂するためには、装丁担当者が編集者に向かい「そんなんじゃできません!」とキッパリ言う場面があっていいだろうし、編集者も、装丁担当者に向かいどんどんイメージをぶつける、伝える、浸透させる必要があるだろう。

F先生

 昼食から戻りしばらく経った頃、F先生から電話があった。懐かしい先生の声。「まもる君? 今日会える?」「ええ。もちろん」「会社に行けばいいかしら?」「はい。場所、分かりますか、先生。開洋亭の隣りのビル」「分かるわよ。これからバスで行くから二、三十分後には着くわ」。ということで、F先生が会いに来てくれることになった。この欄に以前書いたことがあるが、わたしが横浜で暮らすようになったそもそものきっかけを作ってくれたのがF先生だ。
 最新号の『春風倶楽部』に手紙を添えてお送りしたのだが、それを読んでくださったのだろう。
 先生が来社されたので、ザッと会社を見ていただき、それから一緒に社を出て、隣りの開洋亭の喫茶室に入った。ほかに客は誰もいなく静かでゆっくりできた。先生はコーヒー、わたしは紅茶を頼んだ。先生は、バッグの中からわたしが送った手紙をそっと出しテーブルの上に置いた。
 いろいろ話した。問わずがたりに話すとりとめのないわたしの話を黙って聞いてくださり、ときどきコメントしてくれる。ありがたかった。十代の頃、英語の通信添削の教師をしていた先生と知り合い、その後、わたしは大学に合格、横浜まで会いに来た。実際の先生がどんな人だろうとドキドキしながら待ち合わせ場所に行ったのを覚えている。
 大学卒業後、横須賀の高校に就職。結婚。離婚…。わたしの不義理で会わなくなって十年ものブランクがあったのに、一昨年、先生の自宅を訪ねたことから、おかげさまで関係が復活、また連絡し合えるようになった。その先生とテーブルを挟んで今こうして話している。不思議なような、当然のような、ちょっとふわふわした感覚で。
 気がつけば、すでに二時間半が経過していた。外へ出ると、もう薄暗かった。「じゃ、まもる君、またね」「はい、先生。今日はどうもありがとうございました」。先生はわたしを名前で呼ぶ数少ない人の一人だ。

探し物

 この欄で紹介した「黒糖梅飴」を、イシバシの友人が都内某所で見つけ、写真貼付の上、メールを送ってくださった。なんだか、こっちまでうれしくなった。
 仙台で学生をしていた頃、欲しい本があると、まず大学生協へ行って探す。ないとなれば、バイクで仙台市内の書店、古書店を隈なく探す。そうして手に取った本は、中身よりも何よりも、頬ずりしたくなるような大切なものになった。結局どこにもなく、元に戻って、生協で注文することもしばしばだった。
 子供の頃、弟とよく遊んだ。キャッチボールをしていて、とんでもない方向へボールを投げ、水を張った春の田に飛んでいってしまい、ズボンの裾をまくってボールを捜した。見つかることもあったが、見つからないこともあり、よく喧嘩した。
 弟とやる遊びで卓球があった。卓球は、読んで字のごとく「卓」の「球」だが、家には「卓」がなかった。ラケットはあった。コンクリートの庭に炭で線を引き、それを卓球台に見たててピンポン玉を弾く。ピンポン玉を使ったテニスみたいなもの。コンクリートの庭だから、ピンポン玉はよくつぶれた。急に卓球をしたくなった時に限って買い置きのピンポン玉がなく、売っている店は分かっているのだが、運悪く自転車がパンクしていた。歩いて買いに行ったら往復で二時間はかかる。パンクした自転車をゴトゴト言わせてピンポン玉を買いに行った…。
 ベランダに雀が来た。今日はポカポカ陽気。春はそこまで来ている。

体操の時間

 夜、寝る前に西式体操(故・西勝造氏発案による)をやっている。金魚運動、毛管運動、合掌合蹠運動、背腹運動<左右揺振運動>の四つだが、トータルで二十分はかかる。テレビを見ながらの二十分なら、あっという間なのに、体操の二十分となると相当ながく感じる。一計を案じ、BGMを流すことにした。ジャズ、ブルース、ポップス、ロック、インドの古典音楽、ナイジェリアの民族音楽等々、その日の気分でCDを替える。とたんに体操の時間が短く感じられるようになった。CD選びが気分にちょうどよくマッチした時など、音楽に聴き惚れてしまい時間を超過することもある。なんだか、得したような損したような変な感じ。それはともかく、こんなところにも音楽の効用があるのかと思った。エアロビクスでもジャズダンスでも、フィギュアスケートでも、音楽に合わせて体を動かす。あれ、音楽をとってしまったら、やるほうはもちろん、見るほうも、味気なくつまらなく、苦痛なものになるんではないかな。

チェット・ベイカー

 河出書房からチェット・ベイカーの伝記『終わりなき闇』が出たので、さっそくネットで注文し読み始める。A5判2段組500ページに及ぶ大作で、まだ数十ページ読んだに過ぎないから、感想を言える段階ではないけれど、波長が合わないものは、とっくに読むのを止めているはずなので、面白くなくはない(ややっこしい!)といったところか。本の帯に「ジャズ、女、麻薬、それがすべて。これがおれのトランペットから流れ出た悲哀の正体」とある。また、「異例のスピードでジャズ界のスターとなってから世界一有名なジャンキーへと成り下がった男」「ブルース・ウェーバーらが魅了された天才ジャズマンの人生を描ききった決定版」とも。
 といっても、チェット・ベイカーにそれほど思い入れがあるわけではない。彼の名前で出ているCDで、わたしが持っているのは、『チェット・ベイカー アンド クルー』と『チェット・ベイカー シングズ』だけ。特別な思い入れがあったら、こんな数ではないだろう。それなのに、彼の伝記を読んでみようと思ったのには、ちょっとした理由がある。
 彼のリーダーアルバムではないが、好きなジャズのCDにジム・ホールの『アランフェス協奏曲』がある。その中でトンランペットを吹いているのがチェット・ベイカーだ。
 大学に入り、何がきっかけでジャズを聴き始めたのか、はっきりと思い出せないが、聴き始めた数枚のジャズのレコード(当時CDはまだなかった)のうちの1枚がそれだった。すぐに、はまった。
 風呂上がり、寝る前に必ずといっていいほど聴いていた時期があった。クラシックの曲として知っていた『アランフェス』が、ジャズメンの手にかかると、こんなふうに身近に感じられるのか、と思った。おごれる者久しからず、といった文句を思い出したり、月並みだが、廃墟が目に浮かぶようでもあった。そのなんとも言えない、うらぶれて、物悲しい、それでいて懐かしいような澄んだ雰囲気を最もよく伝えているのがトランペットの音色だった。チェット・ベイカーという名前を、レコード盤に何度か何十度か針を落とした後にライナーノートで確認して覚えた。息の長い音が続いたあと、音がかすれ、かすれ、かすれ、そこで終わらずに、さらにまた続く。そこがなんとも印象深いのだった。チェット・ベイカーといえば、ぼくにとっては、あのワン・フレーズというか、長い1音というか、それがひっかかっていて、今回、伝記を読もうという気にさせられたのだろうと思う。

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