ドキュメンタリー映画のよう

 Iさんが編集を担当している本の装丁をたがおが任され、作ったラフを見せにきた。ひとめ見て、なかなかいいなと思いながら、たがおの説明を聞いた。外部に頼むのと違い、社内で作る場合、お互いに勉強なのだから、編集者と装丁担当者との間でどんな会話がなされ、どんな思いをこめて作ったか、わたしも知りたいからだ。
 たがおはたがおで、装丁を任された人間として原稿を読みイメージを作ったが、Iさんから事前に「ドキュメンタリー映画を見るような感じ」のことを言われたという。たがおがそれを口にしたということは、大事なポイントとして自分の中にインプットし、それと、みずから原稿を読んでのイメージとをオーバーラップさせ、または、響き合わせることで装丁の形にまで具体化させたのだろう。Iさんは編集者=第一の読者として「ドキュメンタリー映画のよう」という言葉を見つけた。簡単なことのようだけれど、見つけようとしなければ見つからない。