気流

 春風を孕み洟垂れ又三郎
 ガラガラっと音がして、向こうの車輛からこちらの車輛へ移ってきた、30代でしょうか、男の人がありました。ドアの近くに座っていた人たちは一斉に眼を上げました。
 男はドアを閉めずにそのまま真っ直ぐ車輛の端まで歩いていきました。わたしもつられて、男の移動するラインを飛行機雲を追いかけるように眼で追いました。
 男が立ち止まったのを確認し、首を元の位置に戻すと、そばの人たちも同じように眼で追っていたのか、ほぼ同時に元の姿勢に戻ったようでした。
 気が流れ、気が収まったようで、ちょっと面白かったです。

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春風駘蕩

 風はらみ宙に億兆馬糞かな
 子供時代、ですから、今から40年以上前になりますが、秋田のほとんどの農家では馬や牛を飼っていました。自家用車などまだ持っていない頃のことです。
 小学校の行き帰り、自動車が走る代わりに、馬車がゆっくりのっそり行き交っていました。スピードがそんなにありませんから、ランドセルをガタガタさせて走っては、荷台の後ろにつかまり、しばしいっしょに小走りしたものです。
 馬車は、馬に曳かせます。馬は動物ですから、したいときに糞をします。ところかまわずです。道端には、よく馬糞が転がっていました。馬は草食性ですから、糞といってもそんなに臭くなく、汚いといった印象もあまりありません。
 春になって雪が解け、乾いた風が吹いてくると、ぬかるんだ土が乾いてパンパンに白くなり、フキノトウが芽を出します。美空ひばりさんではありませんが、おらだぢのいぢばんすぎなきせづだなや〜、というわけです。
 乾いた土は宙に舞い、目を開けていられないこともありますが、乾いた土といっしょに、乾いて粉々になった馬糞も宙に舞い上がります。
 土と馬糞で空が真っ白に、などということはありませんが、秋田の人は皆、馬糞を吸って大きくなった、と教えてくれたのは、高校の日本史の先生でした。
 花粉より馬糞取り込み秋田びと

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夢

 グループ全体のパーティーがあり、わたしは少々遅れて会場に到着した。式はすでに始まっていて、乱雑に脱ぎ捨てられた靴を除けながら、わたしは部屋の後ろに行き、社長を始め、お歴々の挨拶を聞くともなくぼんやり聞いていた。
 眠くなるような第一部がようやく終わり、会場をホールに移し、いよいよパーティーということになった。
 第一部の部屋からどっと人がいなくなり、頃合を見計らって、わたしも上の会場に行こうとした。ところが、いくら探しても、わたしの靴がない。似た靴はあっても、わたしのものではない。あとに居残った人たちがいっしょに探してくれたけれども、やはり、どこにもない。あるのは惨めで、みすぼらしい、革のなれの果ての靴どもだった。
 仕方なく、裸足でホールに向った。どうしたの。靴がないんだ…。
 パーティーは前半が終了し、休憩時間に入るようだった。社長と専務が近づいてきて、近頃の若者の勤務態度がどうのと言い、意見をもとめる風であった。傾いだこころと体を無理に伸ばして、わたしは自分の意見を言った。あら、それは前にあなたが言ったことと違うんじゃないかしら、と専務は腕の包帯をさするような仕草をしながら言った。いつ怪我をしたのだろう。社長は、専務の腕をかばうような目でじっと見た。
 なんだかつまらなくなって、わたしは二人にお辞儀をし、宙ぶらりんのまま身を持て余した。
 ありましたよ、ほら。いとこのM君だった。笑顔で差し出された手に握られていたのは、まぎれもなく、わたしの靴だった。どこで見つけたの? M君は、いいからいいからと言って、わたしが靴を受け取ると、会場のどこかへ消えてしまった。
 どういうわけだか、涙がにじんできた。それと、どの人にもなにか十分に接してこなかった気がして、そのことが、なんだかとても悔やまれるようだった。涙は、そのこととも関係があるようで、ぐじゃぐじゃになった。
 やがて休憩時間が終わり、パーティーは最後のプログラムへ移ったが、あとのことは覚えていない。

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紫の山

 春山を狂女蹴立てて花粉かな
 前に書いたことがありますが、この季節になると、どうしても思い出します。
 父のいちばん下の弟がいまして、わたしと弟は、その叔父のことを、名前の下に「おじさん」をつけ、「まさのりおじさん」と呼んでいました。今も帰省すれば、そう呼びます。
 まさのりおじさんが小学生だった頃(おそらく低学年でしょう)、写生会があり、生徒はそれぞれ思い思いの場所に腰を据え絵を描いた。季節は春。雪が解け、近くは緑、遠くの山はおぼろにかすみ、なんとも言えない風情だったのでしょう。
 まさのりおじさんは、それを絵に写し取りたかった。山一面むらさきに塗り、おじさんは満足。写生会が終わり、担任の先生に絵を提出すると、まさのりおじさんは頭をひどく殴られた。「バカヤロウ! むらさきの山があるものか!!」。ふざけて描いたと思ったのでしょうね。
 頭を殴られたおじさんは可愛そうですが、なぐった先生の気持ちもわかるような気がします。きっと、あざやかな原色の絵の具で紫に塗りたくられていたのではないでしょうか。おぼろにかすむ、かすかな紫を絵で表現するのは至難の業かもしれません。
 まさのりおじさんは、酒を飲みながら、満面の笑顔でその話をしてくれました。たのしい思い出なのでしょう。

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Google

 ひくひくと鼻を曳かれて沈丁花
 検索エンジンで代表的なグーグルですが、大げさでなく、ほとんどの調べものは、これで済んじゃいますね。
 画像検索をすると、きれいなカラー写真が出てきますし、検索したサイトによっては動画が出てきたり、音声付きのものまであります。匂いまで出てきたら最高ですね。
 このごろご無沙汰している知人や友人を思い出して、いま何をしているのだろうと、遊び半分で検索すると、写真付きで現れたりします。へー、こんなことしてるんだ、と驚くこともしばしば。
 時間は平等に過ぎていくようです。

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朝鮮菊

 駄菓子屋の裏の垣根の沈丁花
 父のいちばん下の妹と電話で話した。このごろ、叔母は庭に花壇をつくり季節季節の花を楽しんでいる。
 亡くなった祖母が花いじりの好きな人だったので、花好きの血をだれよりも受け継いだのだと兄姉たちに言われているようだ。
 花壇づくりの楽しさと難しさをひとしきり話した後で、叔母は、祖母がいちばん好きだった花が何か知っているかと言った。しばらく考えたが、答えが浮んでこなかった。「朝鮮菊…」と叔母は言った。
 電話を切った後で、さっそくグーグルのイメージ検索で朝鮮菊をしらべてみた。たしかに祖母の周りには朝鮮菊があった。銀座アスターのアスターも、この花に由来するそうだ。
 五月に帰省したら、叔母の花壇を見てみようと思う。

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気功教室

 日だまりの丘の光りのフキノトウ
 昨日は週一度の気功教室の日。用事があって少し遅刻して行ったたのですが、教室に入りきれないぐらいの大入り満員。数えてみたら、先生を入れて22名いました。そんなに大きな教室ではない(大きな教室がたまたま取れなかったのでしょう)ので、蠕動(じゅうどう)をするときなど、目をつむっていると、横の壁や机の端や隣りの人の指先に触れてしまいます。少ないときは5、6人のときもありましたから、隔世の感(大げさか)があります。
 22名のうち、男は先生を含め5人。あとは女性。『壮快』やら『スンダリ』やら『週刊女性』にダイエットに効く功法として大々的に取り上げられたので、その影響かと思われます。
 来月にはまた『からだにいいこと』という月刊誌にカラー4ページで特集されることになっていますので、教室がいよいよ生徒であふれるかもしれません。

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