土の家

 

 冷えし体日に四度のお風呂かな

玄関も廊下もトイレも洗面所も居間も洋間も台所も
珪藻土を塗ったことで、家の中が土に囲まれ、
まさにドームのような雰囲気を醸し出しています。
そのおかげか、いま季節は冬ですが、
ストーブはもちろん、エアコンもめったに点けません。
我慢しているわけではありません。
割りと快適です。
が、じーっと、冬の蜘蛛みたいに居つづけると、
さすがに体の芯まで冷却してきます。
そんなときは、ぬるいお風呂にぽけーっと浸かります。
これがとっても気持ちいい!
ゆうっくり、ゆうっくり、青から黄色に、
やがて赤に変っていくような感じで…。
風呂から出て、また読みかけの本のページに戻ります。

 冬晴れの空より電気のこぼれ落つ

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読む骨董品!?

 

 マフラーをきつく巻き過ぎノド苦し

昨日、帰宅後テレビをつけたら、
人力車にいのちを吹き込むとかいうひとを
紹介していました。
そのとき、「動く骨董品」という
キャッチコピーがつかわれていて、
人力車が「動く骨董品」なら、
紙に印刷された本は、やがて「読む骨董品」と
呼ばれるようになるかもしれないなと思いました。
意地悪く「スノッブなインテリは、
紙で本を読むようになるだろう。」というひともあり、
時代の移り変わりを感じないではいられません。
今年が「電子ブック元年」になるだろうと唱えるひともあります。
人間は裸で生まれて、裸で死んでいきますから、
物をなるべく持たない価値観からしても、
電子ブックはまさに時代のアイコンとよべるでしょう。
なので、日本でもっと普及し、
機械音痴のぼくでも使いこなせるなら、
ぼくも買いたいと思いますが、
でも、スノッブといわれようが、個人的に
やはり数十冊の紙の本は、手元に残して置きたい。
そういう気持ちにさせる本を作り続けなければならないと、
今、痛切に感じています。

話がらりと変って、ハダハダ(鰰、ハタハタ)鮨は、
鍋で煮るとまたナマで食べるのとは
ちがった味わいがありまして、
とくに大根をはじめとする野菜が格別旨い!
秋田では、大根のことをデャゴンといいます。

 ハダハダ鮨煮立てしデャゴンの甘さかな

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年賀状

 

 駅伝を見て涙ぐむ三が日

仕事始めの一番のたのしみは年賀状。
印刷だけの賀状もありますが、
ひとことでも手書きの言葉が添えてあると、
うれしくなります。
言葉の意味とあいまって、
文字の大きさや行の曲がり具合など、
どんな気持ちで書いてくださったのだろうと、
いろいろ想像します。
机上に積み重なった賀状を、
想像をたくましくしながら丁寧に読んでいくうちに、
今年の春風社の方向性みたいなものが
だんだんと見えてくるような気がします。
うぬぼれに酔わないための良薬でもあります。
五時からは社内での新年会。
編集長ナイ2とテラチーが買い出しに行ってくれました。
お惣菜屋さんで、
「お。久しぶりだねー」と声を掛けられたそうです。
不況の折、皆さん、期するところがあるのでしょう。

 木卓の仕事始めの大賑わい

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キャハ~

 

 喜寿を過ぐ父の語りや大晦日

街を歩いていたら、寅でなく、犬に出くわしました。
下の写真、犬に見えませんか。
キャハ~って言っているような…。
かわいくなって、そばに寄ってパチリ。
なんか、いいことあるかな?
みなさんのお正月は、いかがでしたか。
弊社は、今日が仕事始め。
すぐに、生誕百年を記念する滝沢克己の論集
『滝沢克己を語る』の刊行が控えています。

では、皆さま、本年もよろしくお願いします。

 腰さする母の身丈の大晦日

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うれしかったこと

 

 遠来の客に注ぎ足す冬ビール

先週日曜日にひらかれたトークイベントで
おしゃべりしたあと、
しばらく休憩時間がありました。
そのとき数名の方が『出版は風まかせ』を
買ってくださったのですが、
ある中年の男性がわたしに近づいてきて、
「よもやま日記を読ませていただいています。
今日の案内がでていましたので、来てみました」
「ありがとうございます…」
名前はもちろん、どういう人なのかもわかりません。
でも、ほんとうにうれしかった。
読んでくださる人がいるということは、
書き手にとって、これに勝る喜びはありません。
このひとのためにも、倦まず弛まず、
これからもちゃんと書こうと思いました。

春風社は、
明日30日から明年5日まで、正月休みとさせていただきます。
6日が仕事始めです。御用の方は、6日以降にお願いします。

それでは、どちら様も良い年をお迎えくださいませ。

 朝十枚午後二十枚賀状書く

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毛抜き男とリンゴ女

 

 ふるさとや雪中ふかき三山碑

小説のタイトルみたいですが、実際の話。
道を歩いていると、いろんなひとに出くわします。
電気シェーバーで髭を剃りながら横断歩道を渡る男の話を
ここに書いたことがありますが、
このごろまた変ったひとを目にしました。
ひとりは毛抜き男。
朝、保土ヶ谷駅に向かって歩いていたとき、
商店街を抜けたあたりで、前を行く男性に近づきました。
少し猫背で、後ろから見ても、
歩きながらなにやら顔の辺に手をやっているのが分かります。
追い抜きざま、ひょいとみると、
口元の伸びた髭を毛抜きで抜いているではありませんか。
年の頃、三十代半ばでしょうか。
電気シェーバーの男も面白かったけど、
こちらも相当に面白い。
朝から愉快な気分になりました。
また別の朝、紅葉坂の交差点を渡って、
心臓破りの長い坂を上っていた時のことです。
県立図書館の前の坂を、リンゴを丸齧りにしながら
中年の女性が下りて来ました。
このごろ丸齧りも珍しいのに、
歩きながらですから、相当に奇抜です。
よほど歯がいいのでしょう。羨ましいかぎり!
ここでもまた元気をもらいました。朝食だったんですかね。
出版人としては、
どういう経緯から、歩行中に毛を抜いたり、
リンゴを丸齧りする仕儀になったのであるか、
二人に尋ねてみたい気にもなりました。

 夢を持てと一人好い気の師走かな

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思うこと

 

 さっき行ったトイレに走る冬の朝

今其れ人を愛するに於て一法有り。人工の法に非ず。
姑らく之を循環黙愛と謂はむ。何ぞや。
譬へば此に友十人ありとせん。
我れ静黙以て日に其一人を胸裏に特愛し、
十日にして全部に及ぶ。終りて復た始まる。循環して已まず。
諸友各々亦此の如くす。此れ集団を神愛するの一法也。

人を愛する方法について、新井奥邃が具体的に記している箇所で、
「信感第二」(『新井奥邃著作集』第二巻三二七頁)に
でてくる言葉です。
年賀状を虚礼とよぶ向きもあり、
郵政民営化についてどう考えるかということも無視できませんが、
弊社では、今年も年賀状をだします。
だすとなれば、こころを無駄に用いずに、循環黙愛をもって、
一人ひとりていねいに一言したため送りたいと思います。

 バケヤロー!! 冬空仰ぎ高いびき

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