記憶の蔵

 

 新刊のインク匂ひし秋の風

東京都文京区の谷根千〈記憶の蔵〉にて開催されている
矢萩多聞展2010」に行ってきました。
千駄木の駅から歩きましたが、
おもしろそうな路地、お店に
目をキョロキョロしてしまいます。
会場の〈記憶の蔵〉はその名のとおり、
どこか懐かしい佇まいを見せ、
居るだけで気持ちのいい場所でした。
多聞さんの絵は、相変わらず細密で
物語性の強い楽しいものですが、
今までと違うなと感じられるものもありました。
どこから来てどこへ向かうのか、
ますます楽しみです。
夜はオープニング・パーティー。
御徒町にある南インド料理のお店
アーンドラ・キッチンのシェフが作った美食を、
インドの地ビールキング・フィッシャーといっしょに堪能。
時間を忘れるほどでした。
19日までの開催です。

 読むでなく捲る頁の秋澄めり

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APEC

 

 身に入みて友と語らふ夕べかな

来月七日から開催されるAPEC首脳・閣僚会議のため、
全国から警察官が集まり警備にあたっています。
桜木町駅近辺は東北ブロックが担当なのか、
おとといは青森、きのうは山形、
今日は秋田といった具合です。
名札をしているのですぐに分かります。
仕事帰りにふと見ると、
青森から来た警官二人が並んで、
みなとみらいの大観覧車を眺めていました。
忙中閑有といったところでしょうか。
横浜駅の改札では、
ちゃらそうなお兄さんが
岩手県の警官四人に取り囲まれていました。
一人二人ならいざ知らず、
四人の警官に囲まれると、
いかにも極悪人が捕まっているという感じがしましたが、
なんのことはない、
職務質問をされているようでした。
ちゃらそうなお兄さん、
ちょっとかわいそうなくらいでした。
あんなに大勢の警官、どこに寝泊りしているんでしょう?
一泊いくらぐらいなんでしょう?
池上彰さんなら知っているでしょうか?

 カウンター皿の鮟鱇笑ひをり

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武塙三山

 

 あはれ蚊や薬缶頭に停まりをり

わたしのふるさと秋田県井川町の先達に、
武塙三山という人がいます。
三山は雅号、本名は祐吉です。
わたしの実家から歩いて五分ほどのところに
三山を顕彰する碑が立っています。
三山は生前七冊の本を著しましたが、
古書店で求め、今、次つぎ読んでいます。
淡々とした記述の中に、
汲めども尽きぬ味わいがあります。
こういう文章を読むと、
「文は人なり」の言葉が思い浮かびます。
三山についての拙稿が、
10月11日付の『秋田魁新報』に掲載されました。
興味のある方はどうぞ。
コチラです。

 朝眺め夜も眺めし薄かな

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写真:橋本照嵩

あはれ蚊

 

 蟷螂の三角面のかたぶきぬ

床屋に行ったら季節外れの蚊が一匹飛んでいました。
バリカンのブーンという音に消され、
羽音までは聞こえませんが、
たしかに飛んでいます。
床屋のご主人、
バリカンでわたしの頭を刈りながら、
片手で蚊を捕まえようとしますが、
季節外れのわりにはすばしっこく、
なかなか捕まりません。
わたしは椅子の上でジッとしたまま、
目で蚊とご主人の手の攻防を追いかけました。
途中、予約の電話が入ったりして、
一時休戦状態になり、
いつの間にか蚊は目の前から姿を消しました。
かと思いきや、
わたしの額上部左側にはたと停まりました。
もしやご主人?
まさか…。(汗)
と、
次の瞬間、
パチン!
あ!
あ!
つぶしましたか?
つぶしました。
ご主人、心なしか勝ち誇ったような物言いです。
それから、
あはれ蚊のことは一切話題にならず、
わたしは顔を剃ってもらい、
頭をシャンプーしてもらい、
お代を払って店を後にしました。

 蟷螂や片目ふさぎて顔洗ふ

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公共する人間

 

 し残してきたことなきか秋の朝

二〇〇八年一〇月、
第八五回公共哲学京都フォーラム
「新井奥邃と公共人間」が三日間にわたり新宿で行われた。
『新井奥邃著作集』の版元の人間として
何か話してくれとわたしも声を掛けられ、
発題者の一人として、
出版に至るまでの経緯について申し上げた。
そのときの内容とディスカッションを踏まえ、
このたび東京大学出版会から、
『公共する人間5 新井奥邃』が刊行された。
出版会の竹中さんが二冊送ってくださった。
『著作集』を出したものの、
売れ行きがはかばかしくなく、
どうなるものかと危ぶんだ十年前のことを思えば、
隔世の感がある。
まだパラパラとしかめくっていないが、
やはりと感じたことがある。
それはコール ダニエル先生の力が与って、
こういう形にまとまったということだ。
「はじめに」の簡にして要を得た記述、
「公共する人間」のテーマに沿った語録抄、
『著作集』を踏まえさらに精査した年表と参考文献、
どれをとっても、
眼を吸い寄せられるグリップの強さを感じた。
この本が今後、
日本の行く末を真摯に考える人にとって、
大きな里程標になることは間違いない。
この本にひかれ、
『著作集』をひもとく人が一人でも増えることを
版元としては願っている。

 快と悔い身に入む頃となりにけり

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印泥

 

 薄原銀河鉄道走りけり

ときどき、肩から首、
頭まで痛くなることがあります。
毎朝欠かさずに気功をやっているのに、
どうしたわけだろうと不思議に思っていました。
昨日、仕事が終って帰宅するとき痛みがありました。
今朝もまだ残っています。
仕事が詰まっていて、
一日忙しかったからなあと思っていました。
それはそうなのですが、
はたと思い当たりました。
捺印(なついん)です。
かなりな数の書類にハンコを捺(お)しました。
わたしは、
ふつうに売っている水分を多く含む朱肉が嫌いで、
中国原産の印泥(いんでい)をつかって捺印します。
これだと印鑑の文字が滲まずシャキーン!と出ます。
美しくすら感じます。
ところが一つ問題がありまして、
相当力が要ります。
顔が赤くなります。赤鬼。
捺印の必要な書類は営業部担当のものが多いのですが、
力と経験が要るので、
必然、その役はわたしに回ってきます。
昨日は、二十六枚の書類に捺印しました。
角印と会社実印の丸印。
したがって五十二回、顔を真っ赤にして、
指に印鑑の痕がのこるくらい力を入れました。
その結果、
肩から首、頭の痛みとなって現れたようなのです。
原因が分かった分、スッキリしました。
痛みはまだありますけど。
今日は気功の日ですし、
ゆっくり解きほぐそうと思います。

 風吹けば又三郎の秋となり

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多聞展

 

 手を広げおいでおいでの薄かな

春風社のアートディレクターともいうべき
矢萩多聞さんの個展が久しぶりに東京でひらかれます。
わたしが多聞さんに初めて会ったのは、
髪が腰まであった多聞さん十九歳、
春風社の設立に向け準備をしている頃でした。
二十歳の記念の意味をこめ作ったのが、
『インド丸ごと多聞典』です。
これが彼にとって初めての装丁の本でもあります。
あれから十一年。
今は、装丁家として押しも押されぬ人になりましたが、
核にあるのが画業のはずです。
いま彼がどんな地平に立っているのか、
興味の尽きないところです。
春風社の装丁のエッセンスは、
多聞さんの絵にあるといっても過言ではありません。
興味のある方は、ぜひお運びください。
10月14日(木)から19日(火)まで、東京都文京区の谷根千〈記憶の蔵〉
詳しくはリンク先をご覧ください。ここ

 たおやかに闇に浮びし薄かな

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