衣紋掛け

 

・足下へごろり仰向けアブラゼミ

朝、
以前はほぼ毎日、
このごろはたまに、
禅智内供の鼻を彷彿とさせる男とすれ違います。
顔の中央にどかんと鎮座ましましている。
揺るぎもない。
だけでなく、
肩が妙に張っていて、
まっすぐの棒でも入っているかのよう。
そして、
少し斜めに、
ゆっくりゆっくり歩いてくる。
サンダル履き。
あ。衣紋掛けだ、と、
わたしはこころのなかでつぶやく。
いっさい面白そうでない。
仮に声をかけでもしたら、
ゾマーさんよろしく、
ほっといてもらいましょう、
とでも言われそうだ。
*
写真は、ひかりちゃん提供。

・蝉しぐれ負けてならじと鳥も啼く  野衾

七夕

 

・七夕や村の灯りの異なれり

ふるさとの町がまだ村だった頃、
町内は部落と呼ばれ、
各部落ごとに子どもたちが公民館に集まり、
七夕の飾りをつくったものでした。
齢(とし)のいった器用な子どもは、
角材を使ったりして燈籠をつくりました。
夜になると、
子どもたちが燈籠や飾り付けされた笹を持ち、
部落の端から端まで歩きます。
七夕の歌を歌ったか、
歌わなかったか、
はるかむかしのことで、
忘れてしまいました。
当時公民館は、
同級生の小屋の二階だった気がします。
すこし傾いでいたような。
ただの夢の記憶かもしれません。
ところであの行事、
今はどうなっているのでしょう。

・さらさらと今宵銀河の星祭  野衾

花火

 

・景気づけ出血ドドンの花火かな

神奈川新聞社主催の花火大会が、
盛大に行われました。
これでもか、これでもかと、
だんだん高く、だんだん大きく。
ベランダ越し、
ランドマークタワーの左手に上がります。
おーで、へーで、おっで、はー。
意味はなく。
ただため息がでます。
花火を見ているのか、
花火に見られているのか、
とんと怪しい。
現実に生きている人よりも、
好きな本の著者のほうが、
ずっと身近に感じる日もあります。
「屈託したとき、
他人を傷つけたような気がしてならないとき、
だれかのことばが針のように刺さっているとき、
あるいは自分の小心さがいやになるとき、
気がつくと『鶴』をとり出している。」
池内紀さんのエッセイ集『海山のあいだ』(中公文庫)
にある言葉です。
『鶴』は長谷川四郎の小説。
池内さんの言葉に導かれるようにして、
『鶴』を読みました。
アルセーニエフ『デルスウ・ウザーラ』
を訳した人の書いた小説だなと
合点がいきました。
『デルスウ・ウザーラ』は黒澤明監督が映画にしました。
こちらも素晴らしい。
映画タイトルは「デルス・ウザーラ」

・つぎつぎと音は微かの花火かな  野衾

本の引っ越し

 

・夏休みといへばファーブル昆虫記

一度そうしたら、
わたしの悪い癖で
勢いづき、
読み終わった本をどんどん秋田へ送っています。
読み終わっても
再読しなさそうなものは、
売るか捨てるかしますから
送りません。
本箱に並んでいる本の景色が変化し、
なんだかおもしろい。
自分のからだみたいです。
こころといってもいいかもしれません。
秋田の本箱は、
さしずめ過去のわたし、
横浜の本箱は未来のわたし、
しかして現在のわたしは、なんて。
今日も暑くなりそうだなあ。
さてと、
鏡花を読むかな。
*
写真は、なるちゃん提供。

・絵日記を後にのこした夏休み  野衾

ひそひそ話

 

・あと少し待ぢだ待ぢだのお盆かな

昼、よく行く店のカウンター席に座り、
お茶をすすりながら泥鰌鍋を待っていると、
年配の男性二人が入ってきました。
テーブル席はすべて埋まっています。
わたしの隣りに並んで座りました。
二人、米寿を越していると思われます。
仲がいいのか、
ひそひそひそとあれこれ話します。
わたしの泥鰌がやっとでてきました。
唐辛子をささっと振ってから箸をつけます。
二人のうな丼はまだでてきません。
順番がありますから当然です。
「おれたちのは、まだかなー」
「遅いな」
「これぐらいかかりますと最初に言ってくれりゃいいんだよ」
「くれりゃいいんだな」
「おれたちの話、聴こえてねーのかな」
「聴いて聴かぬふりしてんじゃねーの」
「いや、齢(とし)だから聴こえねんじゃねえの」
わたしはここで、
口に含んでいた泥鰌をぷっと吹いてしまいました。
齢のいったものが齢のいったものを齢だからというのが、
なんとも可笑しく、
我慢なりませんでした。
わたしのすぐ隣りの米寿が、
「おいおいおい、なんだよ、大丈夫か」
と、体を反らせ、
露骨にいやな顔をしました。
すみません、すみません、
と謝り、
こぼれた汁をおしぼりで拭き取りました。
やがて待ちに待ったうな丼がでてきて、
米寿の二人はおとなしく、
並んで丼に箸をつけていました。

・盆踊りねじり鉢巻太鼓かな  野衾

ジョルダーニ家の人々

・ウグイスは七月なのに啼くんだね

観ましたよー。
六時間三十九分の長丁場。
午後一時四十分に始まり、
三度の休憩が入り終ったのが九時十五分。
神保町の岩波ホールにて。
あまりの長さに、
途中何度か寝るかなと思いきや、
ていねいに撮られた細部に眼を奪われ、
眠る間もなく、
映画の面白さを久しぶりに堪能した気がしました。
ほんとうに面白かった。
現代のイタリアを舞台にした家族の物語で、
携帯電話、
それもスマートフォンが
物語の大事な場面でさりげなく使われ、
お、現代だな、
あ、うまいなと思いました。
少しだけ物語に触れると、
どこにでもあると思われた家族が、
末の息子の交通事故死から大きく歯車が狂い始めます。
平穏な日常というものが、
危うい奇跡的なバランスの上にしか
成り立たないものであると、
あらためて気づかされます。
登場する人物たちのだれもが弱く、
かなしく、
いとおしく思えてきます。
息子の死を受け入れられず、
ひとり精神の彷徨をつづけていた母が、
父の本気の語りかけにうなづき抱き合うシーンは涙を誘います。
この場面がストンと腑に落ちるために、
六時間半があったのだと合点がいきました。
何よりも、
一人ひとりの悲しみの表情、
喜びの表情、
切なさの表情、
あきらめの表情に“いま”を感じました。
そして必ず、
だれもがだれかの役に立っている。
必ず。
そのことが悲しいのです。
すばらしい映画でした。

・蚊遣香焚いて脛打つ夕べかな  野衾

梅ジュース

 

・静けさや夏に鏡花の文妖し

本を秋田の家まで送るのに、
宅配便の係りの人に来てもらいました。
休日の午前中に来て欲しいと
電話受付で伝えたのですが、
休日の配達に思いのほか時間がとられたらしく、
十一時ごろ、
担当のトラック運転手から電話がありました。
礼儀正しい若者で、
約束の時刻より遅れる詫びの電話なのに、
きびきびはつらつとしてい、
電話を切って受話器を置いたとき、
気持ちよくなってさえいました。
十二時四十分ごろ、
ドアホンが鳴りました。
暗い廊下を歩きドアを開けると、
黒々した強烈な熱の塊(失礼!)が立っていました。
渡された元払いの送り状に記載している間も、
若者は休むことなく
近所へ荷物を配達しています。
送り状を書き終えて数分後、
若者が戻ってきました。
タイミングよく、
グラスに入れた自家製の梅ジュースを
家人が盆に載せて持って来ました。
差し出すと若者は礼を言い、
一気に喉を鳴らせて飲みました。
と、
「うめぇー!! なんですかこれは! うめぇー!!」
その後も、
言葉にならぬうめぇーのさざなみが
きらきらしています。
熱中症にならぬよう気をつけてください。
はい、ありがとうございます。
なんとも気持ちのいい若者でした。

・ベランダの風鈴二つ音を競ふ  野衾