・朝の気の新緑酸素いただけり
家のパソコンが、
地震のように急にグラグラ揺れだし、
(本当に初めディスプレイがぷるぷるって)
あとはもう
有無を言わさぬ感じで
ぐいぐいぐいぐい、
口を開け
呆けて見ているうちに、
Windows7から10に
勝手になっちゃいました。
いやあ、
びっくりしたー。
すげーもんですね。
顔が見えないのに、
どこかでだれかが、
こんなふうに強制力を発揮できちゃうんですから。
いやはや。
パソコンでいろいろやっている人は、
困っちゃうんじゃないでしょうか。
わたしの場合、
このブログを書くことと、
インターネットで
日々のニュースを見るぐらいですから、
7でも10でもあまり関係なく。
それにしても、
ああびっくりした。
・本牧のこんなところに青葉木菟 野衾
・訪ね来て葉を裏返す渓の風
JR山手駅から本牧山頂公園を経由し、
徒歩で三渓園まで。
天気はいいし、
気が置けない仲間たちで
なんとも愉快。
思い返せば四十年ほどまえ、
大学に入った年の夏に
受験英語で世話になったH先生を訪ねて横浜に来たとき、
連れていってもらったところが
三渓園。
大学を卒業し横須賀の学校に就職してから、
また、
東京の出版社に勤めてからも、
折々に訪ねては清新な気に触れ、
心身をリフレッシュしてきました。
よく手入れをしているけれど、
磨きすぎないところが気に入っています。
帰りは歩いて桜木町まで。
2万5千歩のウォーキング。
約15キロ、
みんなよく歩きました。
・錯覚か視力向上初夏となる 野衾
・田を植ゑて村とつぷりと暮れにけり
鏑木清方の『續こしかたの記』を読んでいたら、
面白い記事に出合いました。
関東大震災に見舞われたころのこと、
庭の青楓に白鷺が飛んできたそう。
家の者に指示し
大きな風呂敷で捕まえようとすると、
ばさと翼を広げて縁側に飛ぶ。
ばさばさ。
ばさ。
(とは鏑木さん書いていませんが、わたしのイメージ)
悠然として騒ぐ気色なし。
手ごろな籠に入れ、
近所のうなぎ屋からドジョウを求め
与えなどしていたところ、
のちに、
池の端茅町の
大観先生が飼育したものと分かって
返上したのだとか。
横山大観と白鷺、
似合う。
あまりに似合っていて、
可笑しすぎる!
*
秋田魁新報に拙稿が掲載されました。
コチラです。
・田を植ゑて父の鼾の高鳴れり 野衾
・買わなくて得した気分初夏の風
編集者の仕事に校正がありまして、
いただいた原稿を精読しつつ、
句読点の位置から何から、
一字一句気になるところをチェックしていきます。
最初から朱をつかうことはなく、
鉛筆で、
疑問点や意見も併せ記入します。
昔からしてきたことで、
それはいいのですが、
このごろとみに疲れます。
一日の仕事を終え外にでると、
ぐだぐだよろよろとなっている自分に気づく。
要するに歳。
原稿を読むことは頭の相撲
だと思ってきましたが、
がっぷり四つに組んで上手投げ、
みたいなことは
困難になってきました。
濃い人間関係を厭う気持ちと重なっているような。
ほどよく淡く淋しいのがむしろ好ましい、
てか。
枯れてきた?
・グラウンド濡れても楽し五月かな 野衾
・はつ夏を鎌倉へ往く和服かな
論語の巻第五「子罕第九」に、
子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜、
とありまして、
金谷治訳注の岩波文庫版『論語』では、
書き下し文として、
「子、川の上《ほとり》に在りて曰《のたま》わく、
逝《ゆ》く者は斯《か》くの如きか。昼夜を舎《や》めず」
とあり、
現代語訳は、
「先生が川のほとりでいわれた、『すぎゆくものはこの〔流れの〕ようであろうか。
昼も夜も休まない。』」
原文があり、書き下し文があり、現代語訳があるわけですが、
さてこの文をどう読むのかについて、
日本はとりもなおさず、
本家本元の中国でも、
議論があったことを吉川幸次郎の『読書の学』
で知りました。
日本人としては、
「ゆく川の流れは絶えずして」
とか
「月日は百代の過客にして」
の言葉もありますから、
なんとなく、
暗い感じの言葉として読みたくなります。
が、
いやいや、
これは宇宙万物の真理を述べた言葉であって、
不遇の人生を詠嘆してのそれではない
という見かたも根強くあるんだそうです。
吉川幸次郎にいわせれば、
本を読むのは
著者を読むということになりまして、
となると、
孔子先生は、
果たしてどっちのこころで言ったんだったの?
そこんところが気になります。
真理はコナンよろしく
ひとつでありますけれど、
現在ただいまのこころとなると、
猿馬のごとく、
一瞬も立ち止まっているものでなく、
目くるめく
変化の諸相の内にあるとすれば、
二者択一に絞り込むのは難しい気がいたします。
論語の文章から、
言葉が発せられたその時点の現在を読む
というふうに読んでいくと、
色々いろいろに感じられて面白い!
・はかどりし仕事もありて卯月かな 野衾
・草も木も黙して聴けと告げてをり
がっちりした上製本には布製の紐がついていて、
これを「しおり」
または「スピン」といいます。
小ぶりの文庫本でも、
しおりのついているものが昔はありました。
文庫本や
ソフトカバーの本の場合、
布製のものでなく、
紙のしおりが挟んであります。
しおりのない本もあります。
古い本を読んでいて、
ページとページの間に挟まれ、
くねっとやわらかく佇んでいるしおりに会えば、
ホッと息が抜け、
文字を読むのを少し休み
しおりのたたずまいを楽しみます。
古い古い本になると、
時間がそこに凝固してしまったかのように、
しおりの染め色がページにうつり、
いま太陽の光を浴びて、
うっすら、
ひとの影のように見えたり。
ああ、
これが本だよ。
夏休みの宿題で仕方なく読んでいた本でも、
しおりに出くわすと、
そこでずっと待っていてくれたような、
そんな気さえしたものでした。
・五月雨や淋しき心待つ心 野衾







