どんな商売でも、
じぶんのところで扱っている商品について
どれだけ知っているかは
とても重要ですが、
そのことを近ごろ改めて気づかせてもらいました。
保土ヶ谷橋近くにある菓子舗「こけし」
のことは
すでにこの欄で紹介しましたが、
その後もちょくちょく寄っては好みのお菓子を買い、
その場で女将さんとしばらく話をします。
「これはどういうお菓子ですか?」
と問えば、
「それは○○製菓の△△です」
「これはどういうお菓子ですか?」
と問えば、
「それは☆☆製菓の□□です」
とすぐに答えが返ってきます。
「そこは昔からある会社で、つづいてほしいですね。
いい会社でも、つづけることが難しくて止めてしまうところもあります」
と女将さん。
なにか商売の基本を教えてもらったように思いました。
・天然色自転車乗りの春が行く 野衾
私のメフィストーフェレスも、シェークスピアの歌をうたうわけだが、
どうしてそれがいけないのか?
シェークスピアの歌がちょうどぴったり当てはまり、
言おうとすることをずばり言ってのけているのに、
どうして私が苦労して自分のものをつくり出さなければならないのだろうか?
だから、
私の『ファウスト』の発端が、
『ヨブ記』のそれと多少似ているとしても、
これもまた、当然きわまることだ。
私は、そのために非難されるには当らないし、
むしろほめられてしかるべきだよ。
(エッカーマン著/山下肇訳『ゲーテとの対話(上)』岩波文庫、1968年、pp.176-177)
ゲーテはこのように語りながらとても上機嫌だったらしい。
ほかの人の作品をじぶんの作品に取り込むのは、
容易ではないのだろう。
深くその作品を理解していないと、
水と油の関係になりかねない。
引用した箇所のすぐ前でゲーテは、
イギリスの詩人バイロン卿について触れながら、
「実生活から取ってこようと、書物から取ってこようと、
そんなことはどうでもよいのだ、
使い方が正しいかどうかということだけが問題なのだ! と言うべきだった」
とも語っている。
なるほどと思う一方、
それを言ったのが、
凡人でないゲーテであることを忘れるわけにはいかない。
・レジ袋転がり宙へ春一番 野衾
ひとり燈火(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、
見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
文は、
文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。
この国の博士どもの書ける物も、
いにしへのは、
あはれなること多かり。
徒然草第十三段。
徒然草は、高校に入ってまず習う古文だったと思いますが、
語句の意味に終始し、
テストで点をとることにあくせくと、
味わうところまでは到底及びませんでした。
いま読むと、
付き合いのあるあの人この人よりも、
上の文章を書いた昔の人がなつかしく思えてきて、
兼好法師もそのような気持ちだったのかと想像されます。
そう思うのは、
この世のわずらわしさが身にしみ、
嫌気がさしている証かも知れず、
それもまたいつの世も変わらずなのだな
と思うことしきり。
南華の篇は、荘子。
・春去ればポニーテールの揺れて過ぐ 野衾
石走(いはばし)る 滝もとどろに 鳴く蟬の 声をし聞けば 都し思ほゆ
万葉集3617番。
伊藤博の訳によれば、
「岩に激する滝の轟くばかりに鳴きしきる蟬、
その蟬の声を聞くと、都が思い出されてならぬ。」
横浜から桜木町へ向かう電車のなかでこの歌を読んでいたとき、
ほんの数秒のことだったとは思うが、
ぐわんぐわんとうねるようにひびき渡る蟬しぐれの音を
たしかに聴いた気がした。
ふと目を上げ、
いまじぶんのいる場所と時間を確かめるように。
作者は大石蓑麻呂(おほいしのみのまろ)
天平18年(746)ごろ、
東大寺の写経師として出仕していたことが、
正倉院文書に載っているとのこと。
前後の関係から、
船旅をしてきて久方ぶりに陸上で聴く蝉しぐれだったらしく、
いっそうの感慨がもたげたとしてもおかしくない。
絵でなく写真でなく、
言葉によって、
言葉だからこそ伝えられるものがある。
・賑はひの果つる旅宿や霜の声 野衾