稲と日本史

 

源氏物語には、地方に赴任する受領のことが、物語の主旋律ではないけれど、
幾度か登場します。
また、
枕草子では、
たとえば田植えをする早乙女の姿
が描かれている段があります。
そういう箇所を読むたびに、紫式部、清少納言を
深いところで下支えしたはずの農業を思わずにいられませんでした。
そのことを考え始めると、
話は、おもしろいにはおもしろいし、
身につまされたり、うなずかされたりもするけれど、
源氏物語も、枕草子も、
きれいなおべべを身にまとった、
手の届かぬ女性たちの高踏的な文章表現と思えてくるのでした。
その感慨がまたまたもたげてきたのは、
いま日本書紀を読んでいるからだろうと思います。
仁徳天皇の感慨工事に関する記述、
さらに、屯倉、田部などの語彙を目にするとき、
権力者を権力の座に上らせた無名の人々の苦労と農業技術の高さ、日々の努力に、
想像が飛んでいきます。
「農はこれ たぐひなき愛」
(秋田県立金足農業高等学校校歌にでてくることば、作詞:近藤忠義)
の文言が「日輪の たぐひなき愛」(同)として、
燦然と輝きを増してきます。

 

・ひぐらしや腹のふるへのさびしかり  野衾