プログレ愛が凄い!

 

ネットで見つけてすぐに買いました。
『1970年代のプログレ 5大バンドの素晴らしき世界』
5大バンドとは?
ピンク・フロイド、エマーソン・レイク&パーマー、イエス、ジェネシス、
キング・クリムゾン。
著者の馬庭教二(まにわきょうじ)さんは、
1959年生まれだそうですから、
わたしより二つ下のほぼ同年代。
著者が中二のとき出遭ったときの感想を引用してみよう。

 

その心地よさをどのように表現すればいいだろう。
真夜中に高い高い岩壁を登っていって
満天の星をいだく頂上に頭をつっこみ見上げた瞬間の達成感とでも言おうか。
高い高い滝の上からはるか眼下の滝つぼに向かって身を投じた刹那
の浮遊感とでも言おうか。
ともかく、
レコードに針を下ろしてから20分近くかけて
溜めに溜めてきた何物かが解き放たれる、信じがたい快感だった。
あまりのカタルシスに腰がくだけたようになっていると、
音楽は冒頭と同じ、
鳥のさえずりと川のせせらぎの音に包まれて終息した……。
(馬庭教二[著]『1970年代のプログレ 5大バンドの素晴らしき世界』
ワニブックス、2021年、p.43)

 

みじかい文章の中に「高い高い」が二度使われています。
それに「真夜中」「満天の星」「頂上」「瞬間」「達成感」「刹那」「浮遊感」
「快感」「カタルシス」と、
エッジの利いた単語が目白押し。
著者が中二で初めて聴いたこのアルバムは、イエスの『危機』。
原題は、Close to the Edge。
1972年発売。
著者のプログレ愛が迸っています。
わかるなぁ。
わかるわかる。
わたしは、イエスよりも、
どちらかといえば、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンのほうでしたが、
やはり馬庭さんのような昂奮度で聴いていた
気がします。
休日、ほかの本を読むのをやめて、一気に読了。
おもしろかった!
ちょっと懐かしくなって、
棚からCDを取りだし『危機』をゆっくり聴いてみました。
ふむ。
そうか。そうだったな。
でも、正直、
!?
若いときに好きだった、大好きだったものに触れこのように感じるのはよくあること。
なにかが失われ、
変ってしまったのでしょう。

 

・朝の体操明けゆく空の鶯  野衾

 

生きられる時間

 

世俗の時間への人間の包摂は、
人々の生き方や生活の整序化の仕方における変化の所産でもある。
脱魔術化をもたらしたのと同じ社会とイデオロギー上の変化が、
こうした事態をもたらしたといえよう。
とりわけ、
近代文明の秩序を作り上げた諸規律が、
人類史でも類例をみない仕方で時間を計測し組織化する道筋をつけたのである。
時間は貴重な資源になったのであり、
「浪費」してはならない。
その結果は、
凝集され整序された時間環境の創出であった。
こうした時間の管理が人々の生活を包み込み、
時間はやがて自然のように見られるようになった。
人々は、
そのなかで均一的かつ単純な世俗の時間を生きる環境を構築してきたのである。
人々は、
事を済ませるためにこの世俗の時間を計測し管理しようとしてきたわけである。
この「時間の枠組み」は、
おそらく近代の他のいかなる局面以上に、
「鉄の檻」という有名なウェーバーの記述を説明するものといえよう。
それはすべての高次の時間を閉塞させ、
それらを構想することすら困難にさせていった。
(チャールズ・テイラー[著]/千葉眞[監訳]
『世俗の時代 上』名古屋大学出版会、2020年、pp.75-76)

 

四十年ほど前、横須賀にある高校に勤めていたころ、
職員室のお茶飲み場で数名の先生がくつろいでいたとき、
授業から帰ってきた数学の先生が、
なんの話からそうなったのか忘れてしまいましたが、
そもそも時間とはなにか、
ということを話題にし始めた。
わたしは、勤めて間もない時期だったし、
だまって聴いていただけですが、
うまく説明できないけれど、なんだか違和感を感じたことだけは覚えています。
その違和感に触れる内容がテイラーの論考にある気がして
読みはじめましたが、
引用箇所はそのこととも関連しています。

 

・ドア近くあや取りの子ら初夏の風  野衾

 

「悪の陳腐さ」について

 

行為が悪いほど、それだけ動機も邪《ルビ=よこし》まになる。
アーレントが批判するのは、この信念である。
怪物でも変質者でもサディストでもなく、
イデオロギーの狂信者でもない個人、
出世をして優越感を感じたいというささやかな野望と欲望
に動機づけられている個人が――全体主義の状況に置かれると――
もっとも恐るべき悪行を犯しうるのである。
歴史的状況と社会が異なれば、
アイヒマンは人畜無害の小役人だったかもしれない。
あるいは別な言い方をすれば、
もっとも世俗的な欲望に動機づけられたまったく平凡な人間が
――異常な状況に置かれれば――
怪物的な行為を犯しうるのである。
現代の官僚制の諸条件に関してかくも恐ろしいのは、
これらの条件がこの種の悪を犯す潜在性を増大させていることである。
アーレントは全体主義体制の終焉後も根源悪の可能性が生き続けていると主張するが、
同じことが悪の陳腐さにも当てはまる。
(リチャード・J.バーンスタイン[著]/
阿部ふく子、後藤正英、齋藤直樹、菅原潤、田口茂[訳]
『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』法政大学出版局、2013年、pp.367-368)

 

弊社から刊行したヘレン・M・ガンターの
教育のリーダーシップとハンナ・アーレント』について、
訳者三名の先生方と座談会を行った際、
生澤繁樹さんがバーンスタインの『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』
を取り上げお話をしてくださいました。
その話がおもしろく、また忘れられないので、
さっそく翻訳書を求めてこの休み期間中にさっそく読んでみました。
引用したのは、その結論部分に書かれていたことです。
このごろの政治状況、社会状況を考えれば、
『教育のリーダーシップ~』と併せ読むべき本だと感じます。

弊社は本日より通常営業です。
よろしくお願いいたします。

 

・おぼろ月とんがり屋根の上の上  野衾

 

新緑の季節

 

明日から帰郷するはずのところ、
状況が状況ですので結局取りやめにしました。
いい季節になりまして、
目を瞑れば、
この時期のふるさとの山川がすぐに浮かんできますが、
ここ横浜は横浜で、
光と緑がささやき合い、じゃれ合い、語り合うかのようにしながら、
見るものの目を楽しませてくれます。
横浜といえば三渓園。
このごろしばらく遠のいていますけれど、
訪ねた折のそのときどきの光景は、
今も忘れずに覚えていて静かの時間を楽しませてくれます。
むかし勤めていた横須賀の高校に磯部という社会科の先生がおられた。
新米教師のわたしは、
磯部先生からいろいろ教わりましたが、
先生、三渓園をとても好んでおられました。
松尾芭蕉の俳句に、

 

さまざまの事おもひ出す桜かな

 

がありますが、
桜と同様、新緑もまたさまざまの事を思い出させてくれます。

さて弊社は、
明日4月29日より来月5日まで休業とさせていただきます。
5月6日より営業再開。
よろしくお願いいたします。

 

・雨ならず月のおぼろの雫かな  野衾

 

ほぼ満月

 

きのうは一日晴れていい天気でした。
帰宅途中、珈琲店で豆を買い、
スーパーマーケットで少々のおかずとおかきを買い。
ゴミ集積所の角を曲がって七十数段ある階段へ。
昇り終える寸前、
ひょいと上を見ると、
近くに住む白髪の女性がにこにこして立っていました。
「こんばんは」とあいさつ。
「そうですね。もうそんな時間ですね」
「ええ。日が永くなりました」
「さっき見たら満月がでていましたよ。ここからは見えませんが。
あら。そんなこと関係の無いことですね」
女性は少し照れ臭そうです。
「いえ。ありがとうございます」
女性にお辞儀をし、つづく坂道を上っていくと、
反対の丘の上空に満月。
いや、
下のほうが少し欠けているか。
いやいや、ほぼ満月だ。
しばらく見惚れ、
それからスイッチバックのようなカーブを曲がれば自宅。

 

・春雨にまた居るアンテナの烏  野衾

 

タ、タヌキ!!

 

いやあ、驚いたのなんの。休日の真昼間、ゆっくり本を読んでいたら、
目の前にタヌキ。ほんっと、
びっくり。
以前、自宅付近で少し弱っているタヌキを見かけた
ことはありました。
しかし、
まさかじぶんちのベランダに正真正銘
元気はつらつ野生そのもののタヌキが現れるなんて。
隣の家との間仕切りをくぐって現れ、
くんくん下に何か落ちていやしないかと
匂いを確かめる風に歩き、
反対側の隣の家との間仕切りをくぐって消えた
かと思いきや、
ほどなくしてまた現れた。
口をあんぐり開け呆けて見てい(たぶん)るちに、
もと来た隣の間仕切りをくぐり
姿を消した。
動きが猫より機敏。
ふと思った。
山の上とはいえ、
五分も歩けば国道一号線にでられる場所で野生のタヌキにお目にかかれる
というのは、
なかなか無いのでは?
そう考えたら、
この場所が前より好きになりました。

 

・春の宵深呼吸して雨となる  野衾

 

想い出はモノクローム

 

教えてくれる人がいて、さっそくパソコンを立ち上げ見てみました。
一度目は呆気に取られ、
二度目は自然と涙がこぼれ。
四十年の時を超え、
大瀧詠一のロングバケーションのあの有名なジャケットが
ミュージックビデオになって
新たに蘇りました。
プールの水面のキラキラ、太陽光線の眩しさ、
そして最後の余韻、
1秒、2秒、3秒。
クオリティの高さに驚きます。
制作にかかわった方たちの心意気が伝わってくるようです。
なるほどこういう表現もあったかと。
ソニーミュージックが配信しています。
あらためて、
大瀧詠一のすごさ、
松本隆の詞のセンスを思い知らされます。

 

・眺むれば散りてここまで桜かな  野衾