奥邃と孟子

 

新井奥邃(あらい おうすい)の文章を読んでいると、
ときどき、
立ち止まるようにして目をとめることばに出くわすことがありますが、
「師病」はその一つ。
わたしたちは、
いまだ十分に学んでいないにも拘らず、やたらに人を教えたがる、
そういう人間の傾向を、奥邃は「師病」と呼びました。
ところで、
これによく似たもの言いが、『孟子』「離婁章句 上」にでてきてハッとしました。

 

孟子曰、人之患、在好爲人師、

孟子曰く、人の患いうれいは、好んで人の師となるにあり。

 

孟子がいわれた。「世間の人の悪い癖は、
〔それほどでもないのに〕とかく他人《ひと》の先生のなりたがることだ。」

 

岩波文庫『孟子』のなかで訳注者の小林勝人(こばやし かつんど)さんは、
そのように訳しており、
内容的に、奥邃のことばと重なります。
新井奥邃が『論語』『孟子』をはじめ、中国の古典に親しんでいたことは、
『新井奥邃著作集』を作りながら知ったことでしたが、
たとえば『孟子』を読んでいて、こういう箇所に出くわすと、
なるほど、
ここのところを踏まえてのことばであったかと、
さらに合点がいきます。

 

・クラシックジャズもまた良し秋うらら  野衾

 

霜始降

 

季節のうつろいを春夏秋冬で表しますが、
さらに、
半月ごとの二十四節気、ほぼ五日ごとの七十二候があります。
10月27日のきょうは、
二十四節気では「霜降《そうこう》」、
七十二候では五十二候目にあたる「霜始降《しもはじめてふる》」
週に三度、
健康伺いを兼ね、
秋田の田舎に住んでいる高齢の親に電話をしますが、
前回、25日に電話した折、
稲刈りを終えた田んぼに霜が降り一面真っ白になっていると告げられました。
七十二候はほぼ五日ごとで、
25日といえば、
「霜始降《しもはじめてふる》」のちょうど真ん中、
五日あるうちの三日目にあたる。
ウソがなく、気持ちがいい。

 

・秋晴や上り列車の後の富士  野衾

 

悪口を聞かない

 

あなたが「だれをもそしら」ない〔テト三2〕と決断したのならば、
もう一つの教えを学びなさい。
それは「だれの悪口も聞くな」ということです。
もし聞き手がいなければだれも語りません。
盗品を受け取る者も強盗と同じように悪いのです。
それゆえに、
あなたが聞くことによって、
だれかが悪口を語るならば即座にそれをさえぎりなさい。
そして聞くことを拒否しなさい。
人に優しく、話す言葉も温和で、善意を告げることができる人が、
暗闇で人を刺すような真似をさせないようにしなさい。
(A.ルシー[編]坂本誠[訳]『心を新たに ウェスレーによる一日一章』
教文館、2012年、p.317)

 

著名な作家(タレント? 脚本家?)が、
悪口ほど楽しいものはないと書いていたのをどこかで目にしたように覚えていますが、
功成り名を遂げた人がそういう類のことを言ったり、書いたりするのは、
「赤信号みんなで渡れば怖くない」式で、
ちょっとウケるのかもしれない。
しかし、
本心からそう思っているかどうかは、判りません。
タレントの藤田ニコルさんのコメントを
今月14日に、この欄で紹介しましたが、
藤田さんは、人の悪口を言わないだけでなく、
悪口を聞かないようにしている、
とのことでした。
悪口をつい口にしてしまうことがありますが、
後味のいいものではありません。
むしろ、
それを口にしたことを後悔することのほうが多い。
なので「楽しい」というのはウソだと思います。
また悪口を聞くことに関して、ウェスレーのことばは刺さります。

 

・蒔くことも刈ることもせず秋日和  野衾

 

心位

 

蕪村によれば、俳諧の修行は、
結局、
みずからの心位を高めることによって完成されるのであり、
その実際的方法としては、
古典をたくさんよむことが第一だという。
古典に含まれる精神の高さを自分のなかに生かすこと、
それが俳諧修行の基礎でなくてはならぬ。
この考え方は、
蕪村のえがく文人画においても、同様であった。
それは、あくまで技巧だけの画ではない。
いくら巧うまくても、
巧いだけではいけない。
技巧よりも、むしろ気韻の高さが必要なのである。
気韻のこもらぬ画は「職人のしごと」だと意識される。
「文人の画」であるためには、
画技を磨くよりもさきに、古典をよみ、心位を高めることが要件であった。
(小西甚一『日本文学史』講談社学術文庫、1993年、pp.165-6)

 

小西さんによれば、蕪村にとっての古典とは中国古典、とくに漢詩だった、
ということになります。
しかし、
小西さんの説く「心位」ということでいえば、
漢詩にかぎらず、
古典が古典という名に恥じないものであるかぎり、
どの古典も心位の高さを湛えていると思われ、
そこに古典をよむことの意味も意義もあるのでしょう。
たとえば『孟子』「公孫丑上」に「浩然の気を養う」がでてきます。
この箇所だけでなく、
『孟子』の文章をよめば、
文のそこここに浩然の気が盈ちていると感じられ、
心位の高さに触れることができます。

 

・秋晴やする事しばし忘れをり  野衾

 

人生の真実

 

この随筆は、たいへん断片的な構成をもち、統一らしい統一がない。
そこに述べられている思想や感情さえ、
しばしば矛盾を示すのである。
随筆と訳する西洋のessayやWissenschaftは、もっと主題に統一があり、
思想の骨組が明確で、
『徒然草』のように無構造的ではない。
しかし、
この無構造的なところこそ、じつは、日本文藝のひとつの特色なのであって、
古くは『古事記』あたりから、
作り物語・連歌・浄瑠璃・歌舞伎脚本・浮世草子にいたるまで、
みな多少とも持ちあわせているものである。
『徒然草』は、
その代表的な作品といってよいが、
ときどきあまりにも明瞭な矛盾が示されるので、
中世人の博識にして不統一なる頭脳の見本だと評する人もある。
しかし、これは、
兼好が人生の真実を知りぬいていたことの現われと解するべきだろう。
人生は矛盾のかたまりであって、
そこにおもしろさもあれば味もある。
その辺の消息は百も承知、千も合点という苦労人兼好が、
ものごとは両面をもつものだから、
割り切らないところに真実が在るのだよ――と教えているのである。
(小西甚一『日本文学史』講談社学術文庫、1993年、pp.127-8)

 

小西さんの文章、あいかわらず歯切れがよい。
兼好法師が人生の酸いも甘いも知って『徒然草』を書いたというのは、
なるほどと納得しますが、
そういうことを歯切れよく書いている小西さん、
これをいくつでものしたか
と疑問に思い「あとがき」を読んだら、
いまは絶版になっている弘文堂の「アテネ新書」の一冊としてこの本の旧版が世に出たのが、
昭和28年12月。
え!
ということは、小西さん、
おそらく、このときまだ38歳!
38歳にしてこの穿つような物の見方、文章と文藝に対する読みの深さ。
そして切れ味のよさ。
生家が伊勢神宮の近くの魚屋さんだということですから、
たとえば鯵をさばくようなものか。
ちがうか。
ほとほと参ります。
ドナルド・キーンさんが感服したのも分かる気がします。

 

・電車降りホームぐるりの秋高し  野衾

 

矢の病

 

古今和歌集893番は、

 

かぞふれば とまらぬものを としと言ひて 今年はいたく 老いぞしにける

 

『古今和歌集全評釈(下)』にある片桐洋一さんの通釈は、

 

数えてみると、止まらずに過ぎ去るものを年と言って、
どうしようもなく「疾し(速い)」と思われるものであって、
今年は、ひどく年をとってしまったことであるよ。

 

つまり、疾《と》く(=速く)過ぎ去るのが年、
年は疾し、ということになります。
よみ人知らずの歌ですが、
千年以上まえの昔から、
そういうとらえ方をしてきたのだと、しみじみ味わい深く思います。
光陰矢の如しということばもあるけれど、
「疾」という字のなかに「矢」があり、
いわば矢の病《やまい》が「疾」ということになり、
てことは、
年月は、また老いは、
あっという間に飛び去る矢の病であるよなぁ、
とも思えてきます。

 

・よく見れば皃の字に似る飛蝗かな  野衾

 

イエス・キリストのこと

 

以下の文章は、ある本からの引用です。

 

我々はイエス・キリストをどのようなお方と考えたらよいのだろうか。
それが最大の問題であって、
証拠を全体として捉えて初めて正しい解決が得られる。
西暦一世紀に、
人間の子供たちの中で他に比類のないお方がこの地上を歩かれたことは、
まじめな歴史家なら否定できない歴史上の事実である。
情報源をすべて消去しても、
神秘的な人物、パウロ書簡で証言されている人物、
福音書の中で生き生きと、自明力をもって我々の前を歩まれる人物、
キリスト教会建設の基礎となられた人物がなおも残る。
彼を人間的な尺度で説明しようとする努力、
彼を世界のどこか他の場所で作用している力の産物として説明しようとする努力が、
数多くなされた。
そのような説明は、
証拠を一つ一つペダンティックに扱う人を満足させるかもしれないが、
全体的視野を見渡せる人を満足させることは決してないであろう。
罪の暗い背景の前で神の光に照らしてイエスを見るならば、
また人間の最も内奥の必要を満たす者として、
また偉大な栄光と紛れもない真理へ導くことができる唯一の人物として見るならば、
種々の議論があるにもかかわらず、
新約聖書が真実であり、
神がこの地球の上を歩まれ、
また我々を愛されるがゆえに、
永遠の御子がこの世に来られて我々の罪をあがなうために十字架上の死を遂げられた
という驚くべき確信を持つようになるであろう。
そのような確信に達したとき、
処女と御子の物語に対する見方が、これまでと大いに変わってくるだろう。
不思議なことに反発を感じることはもはやなくなり、
むしろ、
「そのような誕生は、他のすべての人々と異なったこのお方にふさわしいことであった」
と言うであろう。
(J・グレサム・メイチェン[著]村田稔雄[訳]『キリストの処女降誕』
いのちのことば社、1996年、pp.372-3)

 

高校の教員をしていた頃のことですから、
二十代の終りの夏に、
わたしにとって初めてとなるインドを訪れました。
のちにブッダとなったゴータマ・シッダールタゆかりの地
(だけではありませんでしたが)
を歩き、
そうしているうちに、
たしかに、
そういう人がここの地を歩いていたんだなと感得されました。
ブッダガヤでは、さんさんと注がれる陽光のもと、
サリーをまとった女性がうつむき加減に、
一歩一歩、
足裏で数を算えるようにして大地を踏みしめていました。
忘れられない光景です。
そのとき、ふと思いました。
ひるがえって、
十代の終りから読んできた聖書に記されたイエス・キリストはどうか。
イスラエルを訪ねたら、
おなじような感懐をもつことができるだろうか。
なんとなくですが、
おそらくそういうことは無いのではないか、
ブッダガヤを歩きながら、そんなふうに感じました。
その後、イスラエルを訪ねたことはなく、
今後も無いとは思いますけれど、
あのときの感覚は、
いまにつながっていて、
それがあるものですから、真理を得たくて聖書を読みます。
いわば、聖書が大地です。
それは小学四年生の理科教室まで遡ります。

 

・ゆうるりと空から一つ枯葉かな  野衾