本を割る

 

いまはやらなくなった、いや、出来なくなっただけかもしれませんが、
若く、力があった頃は、
りんごを、ズボンの太腿の辺りで磨き、
それから膝にかけ、腰を下ろし、思いっきり力を入れて、
両手で割ることがありました。
ググッと力を入れると、
バキッと音を立て、
割れる瞬間に飛沫が飛ぶ。
そうして、
半分になった皮ごとのりんごの片方にかぶりつく。
その美味しさ、みずみずしさ。
わたしのファイト一発はりんごでした。
ほんとうに、包丁で皮をむき、きれいに切ったりんごよりもおいしい気がしたものでした。
もちろん科学的根拠はありません。
しかし、
薪を割る、でも、腹を割って話す、でも、
割ることには、
どくとくの微かな快感が伴っている気がします。
力が衰えてきた反動か、
わたしはこの頃、
本を読むときに、
本のノドが鈍角からフラットになるぐらいまで本を押し広げるようにしています。
視力が衰えたせいもあるでしょう。
この頃は、糸でかがらない、
糊付けだけの製本が主流ですから、
ときどき、
開きすぎて、バキッと、
文字どおり割れることもあります。
平らになった本はまるで木簡、竹簡、金文、石文。
本を斜めに開いて、薄暗いノドの部分の文字を探るように読むよりも、
右ページと左ページが平らになるぐらいまで開き、
紙と文字を指でなぞるようにして
光のなかで読む
のは、
心地よいだけでなく、
時空を飛び越え、
本の中身と著者に、より近づけるような気さえします。
たとえば古代ギリシアまでひとっ飛び。
ただし、
図書館でも、知人でも、借りた本の場合、
それはできません。

 

・かをり立つ珈琲の香や梅の雨  野衾