さ夜ふけての「さ」

 

『古今和歌集』648は、

 

さ夜ふけて天《あま》の門《と》渡る月影にあかずも君をあひ見つるかな

 

『古今和歌集全評釈』の片桐洋一さんによる通釈は、

 

夜がふけて、天の門、すなわち雲間を渡る月の光によって、
飽きることもなく十分にあなたを逢い見たことであるよ。

 

歌の冒頭「さ夜ふけて」の「さ夜」について、
片桐さんは、
「さ夜」は「夜」に美称の接頭語「さ」がついた形、
と説明しています。
手元にある講談社の『古語辞典』
および電子辞書(『全訳古語辞典 第三版』旺文社)を見ると、
「さ」は接頭辞、
あるいは接頭語としているだけで、
「美称」の語はありません。
バンテリンのテレビCMではありませんが、
あるとなしでは大違い。
(ちなみに、バンテリンのテレビCMは「するとしないじゃ大違い」)
「さ夜」に限らず、
たとえば、
むか~し、学校で習った『冬景色』の歌の冒頭、
「さ霧消ゆる 湊江(みなとえ)の舟に白し 朝の霜」にある
「さ霧」の「さ」も、
ただの接頭語でなく、
美称の接頭語ということになれば、
目の前に広がる冬景色のありようが違ってくるように思います。

 

・ごみの日の網を住処の守宮かな  野衾