記憶の女神と詩歌の女神

 

だが、歌唱の伝達は口承によるものであった。
文字が使用されたのは比較的遅くなってからのことである。
これは散文が後代になって始まっていることからもすでに証明されるし、
さらにアッティカ悲劇の時代においても、
エウリピデスがこの技術のことで大騒ぎをしていることからも証明される。
文字が叙事詩にとってもともと考慮されていなかった
ということは、
特に数多くの畳句《リフレイン》、反復、
そして特定の語に決まってつけられる装飾的形容詞《エピテタ》から明らかであり、
これらのものは記憶力のために、
考えをまとめる余裕を造り出すという働きを持っていたのである。
だが、
叙事詩が口承によって伝達されたものであること
を最も強力に証明してくれるものは、
その
時を忘れさせる面白さ《この10文字に傍点が振られている》にある。
これらの歌唱は
速度の早い話しぶりの最高の名人芸を示すものであり、
それは、
文字を書く諸民族では同じ速度で話すのがなかなか困難
であるような躍動的な前提に満ちている。
もろもろの事柄は
まさにギリシア人のもとでは
読まれたもの《アナグノステンタ》
としてではなく、
歌われたもの《アイドメナ》として生き続けたのであり、
平板単調なものはすべておのずから滅びている。
無論記憶力は歌人にとって途轍もなく大切なものであった。
それだから、
記憶の女神《ムネモシユネ》が詩歌女神《ムウサ》たちの母であったのは
謂《いわ》れのないことではないのである。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第三巻』
筑摩書房、1992年、p.98)

 

そうなんだろうなあ、
と納得。
アイヌ民族のユーカラはもちろん、
ちょっとこのごろ怪しくなってはいるものの、
古事記編纂にかかわった稗田阿礼
なんかも、
口承による文芸伝達にゆかりの深い人だったのではないかと思われます。
また、
記憶の女神と詩歌の女神については、
わたしは読んでいませんけれど、
ヘシオドスの『神統紀』によれば、
記憶の女神はゼウスと添い寝し
「災厄を忘れさせ、悲しみを鎮めるものとして」
詩歌の女神《ムウサ》たちを生んだのだそう。
これは、
シャハリヤール王の怒りと悲しみを鎮めるために語りだすシェヘラザード
に直結するように思います。
さらに、
敬愛する詩人・佐々木幹郎さんの詩集『明日』のなかに、
「鎮魂歌」という詩が収録されていますが、
あの詩は、
ムウサのこころで、
ムネモシユネに捧げるものとして詠われている
と改めて感じます。
忘れないための歌があり、
好きな歌は忘れることがありません。

 

・捕虫網狙ひ定めて逃がしけり  野衾