異端の系譜

 

その宗教批判を越えても、スピノザはヘーゲル左派の人々を魅了した。
彼のいわゆる汎神論は、
この地上の現世的な生活と自然な(肉体を持った)存在としての人間に価値と堅固さを
回復させるもの、と理解されたからだ。
物質と精神の統一はヘーゲル左派の謳い文句であり
理想であって、
それを満たすのはヘーゲルではなくスピノザだと目されたのである。
ヘーゲルは根本において人間を、
その感覚的自然を乗り越えこれを圧倒する精神と見なしていた。
この点でヘーゲルはキリスト教的思想家にとどまっていた。
近代の思想家のなかでスピノザただひとりが、
物質と精神、延長と思惟、
身体と知性を同じ次元に置き、
同じ内在的な人間性の二つの同等の表現と見なし、
互いに同じように必要なものと説いたのである。
これは人間存在の自由な自己解放を訴える強固な使信だった。
ヘーゲル左派はこのような使信を
彼ら自身のキリスト教批判から引き出すとともに、
それがスピノザのなかで明確に語られているのを見出した。
二世紀も前にあらゆる超越的宗教を放棄していたこの反体制派ユダヤ人思想家が、
現代の新たな英雄となり、
ハイネの呼び方を用いれば「未来の哲学者」
となった。
彼は新たなモーセであり、ナザレのイエスと同等で、
この二人の預言者と同様に、
新時代の告知者だった。
(イルミヤフ・ヨベル[著]小岸昭・エンゲルベルト ヨリッセン・細見和之[訳]
『スピノザ 異端の系譜』人文書院、1998年、p.354)

 

引用した箇所につづくつぎの段落がまたわくわくする内容でありまして、
著者のヨベルは、
スピノザが救済の過程における聖ヨハネだとすれば、
真の新しい救済者、救済の科学的預言者は、
ほぼ二世紀後に、
スピノザが生まれたアムステルダムではなく、
ドイツのトリアーに生まれたカール・マルクスであると言っている。
思想というものがいかに深く人間を突き動かし、
ひいては社会と歴史を動かしていくものであるかを、
あらためて思い知らされます。

 

・風光るうつむく吾の影に影  野衾