「あはれ」の語

 

「あはれ」は、感動から「ああ、はれ」と自然に発する感動詞に原点を持つ
と言われているように、
時には「賛美」の歓声であり、時には「悲嘆」の溜息であり、
時には「愛着」「恋慕」であり、時には「共感」「同情」「憐憫」である
というように、
簡単には現代語には訳せないものがある。
要するに、
理性とは関係なく、
感情の動きだけを直接的に表す語なのである。
この歌の場合も、
言っても仕方がないが、つい口にしてしまう溜息、
せめて溜息をつくことによってみずから慰めるほかない
と詠んでいるのである。
(片桐洋一『古今和歌集全評釈(中)』講談社学術文庫、2019年、p.338)

 

引用した文章は、古今和歌集の502番

 

あはれてふことだになくは何をかは恋の乱れのつかね緒にせむ

 

「あはれ」という言葉までが存在しなかったら、
それ以外の何をもって恋に乱れる我が心を束ねる緒にしようか。
他に何も無い、「あはれ」という嘆声を発するほかはない。
(同書、p.336)

 

高校に入学してすぐ、古文担当の先生から薦められて買った古語辞典の
「あはれ」の語をいま見てみると、
黒のボールペンで線を引いただけでは足りなかったようで、
赤のボールペンでも線を引いています。
辞典ですから、長い説明はありませんが、
片桐さんの説明と同様のことがそこに書かれています。
歌のこころは「あはれ」の語にある、
といってもいいのかもしれません。

 

・うぐひすや日のうつろひを惜しむらし  野衾